第三十五話 かけがえのない物
次回は7月25日午後七時投稿予定です。
「うおっ!」
俺に向かって現れた氷の棘、それを避けようと体を大きく動かした瞬間、氷で足が滑り大きくバランスを崩す。その瞬間、地面が蠢き出す。
「ヤッベ!」
急いで体勢を立て直し、その場から離れる。直後、その場に五本の氷の棘が突き出てくる。……さっきから何度も悠香に近づこうと試すが、こんな具合で全く近づけない。
スピード自体はそんなに早くない。それどころかヒエンの攻撃と比べても大分ゆっくりな上、飛び出る直前に地面が蠢くっていう明確な”合図”がある。だが……地面の氷が邪魔だ。少し無理な体勢をすると足が滑るせいで行動がかなり制限される。
「スグ兄! 横!」
「クッソ!」
悠香の焦るような声。言われるがままに目をやると、すぐそこの壁が蠢いていた。慌てて体勢を低くし、その場を離れるとすぐ後ろで鈍い音が響く。後ろを振り返ると、合計五本の氷の棘が地面と壁から突き出て、ぶつかり合っていた。その結果、砕けた氷がゴトリと音を立てて地面に落ちる。
……あれを食らったらひとたまりもないな。気をつけないと……。
「さて……。どうしようかな……」
悠香を見据えながら考える。さっきから何度か攻撃を避けてみて分かったことは二つ。一つはおそらく、あの氷の棘は一度に五本までしか突き出て来ない。俺が体勢を崩したときも、壁に近づいたときも、ずっとそうだった。
そして二つ目。五本の氷を突き出したあと、少しの間インターバルが必要だということ。今だって、俺は突っ立っているだけなのに氷の棘は何もしてこない。
俺が使える能力は電撃だけ。先輩みたいに身体能力を上げたり、添木みたいに心力の使用を抑えるってことも出来ない。出来るのは魂の破壊だけだ。
それに、悠香は今暴走状態だ。ナナシが言うには魂が非常に不安定で、俺の電撃をまともに食らうとそれだけで命が危ない。つまり、電撃を悠香に撃っていいのは悠香の暴走を抑えたとき、最後に心力を奪うタイミングだけだ。
「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい……!」
「……ッ!」
考え事をしていると、悠香の悲痛な声が聞こえる。そちらに目を向け、思わず息を呑む。……悠香の背後から、更に四本の氷の棘が触手のようにうねりながら現れていた。
俺は……あの化け物を能力無しで倒さないといけない。
「悠香! 俺の声は聞こえるか!」
「う、うんっ!」
氷の棘から逃げながら、姿の見えない悠香に呼びかける。
「湯ノ花に心力を渡されたはずだ! どんなのか分かるか?!」
まずはこの氷の攻略が必須だ。だが現状、この氷がどんな物なのか全く検討がつかない。心力で作り出されているのは確定だが……。
「わ、分かんない! ただ……」
「ただ?」
「今は……渡された方の心力は使ってない……と思う」
「は?」
思わず困惑の声が漏れる。どういうことだ? 悠香が元々持っていた心力は時間を巻き戻すもの。氷の生成なんて……。
「アガッ!」
考え事をしながら走っていたせいで、体勢の制御が疎かになり、足を滑らせる。そのまま頭から地面に突っ込む。瞬間、目の前に地面が蠢き出す。
「ッ!」
慌てて立ち上がると、眼前に氷の棘がそびえ立つ。い、今のは危なかった……。だが、おかげでこの氷の攻撃。その原理が分かった。
俺の目に前で攻撃の予兆が起きる寸前、氷が溶け出していた。蠢いているように見えたのは、溶けた氷が波打つ様子だったのだ。
多分、氷が溶けたというより、水が凍る前の時間まで時間が遡ったのだろう。さらに、それらの水が氷であり、狙った場所に存在していた時間まで巻き戻すことで氷の棘として再析出させる。
多分、これが先程から行われている氷の棘の攻撃の原理だ。悠香の後ろから出てきた触手のような氷も同じようなものだろう。
暴走前とは比べ物にならない程の範囲、速度で行われる時間の遡及。もちろん、生物等の魂がある物は相変わらず能力の対象外だろうが、それでも十分な脅威−−
「アガッ!」
突然、触手のような氷が横薙ぎに振るわれる。それに一瞬反応が遅れ腹からモロにその打撃を食らう。体にめり込んだ氷の塊が肺を押しつぶし、呼吸が苦しい。
「スグ兄!」
「ゴホッ! ゴホッ! 大丈夫だ! 悠香は少しでも気持ちを落ち着くように努力−−」
トプンと、足が水に沈み体勢が崩れる。どうやら氷を水に戻したらしい。油断した! そうだ! さっきからあの氷はずっと溶けて固まってを繰り返してるんだ! こういうことだって!
「っ!」
慌てて足を引き抜こうとするが、動かない。何事かと思い足に目を向けると、周りの水が氷に戻り動きを封じていた。ヤバい! このままだと……。
次の瞬間、俺の思ったとおりに氷が蠢き出す。しかし足が取られている以上、簡単には動き出せない。
「このッ!」
なんとか氷から足を引き抜き、その場から駆け出す。しかし動くことの出来なかった数秒間は致命的で
「グッ!」
後少しと行ったところで氷の切っ先が太ももに突き刺さる! ここで足にダメージを負うのはマズイ……。動きが鈍くなれば、それだけ攻撃が避けにくくなる。
氷を足から引き抜くと、血がダラダラと噴き出る。その様子を見てか、悠香は悲痛そうな声を上げる。
「スグ兄! もう私の事はどうでも良いの! 私はスグ兄のお母さんを殺して……それをずっと隠して……。なのにスグ兄にはあんな図々しく接した! スグ兄知ってた? 私、スグ兄が思ってるよりもずっと酷い人間なんだよ!?」
「……」
「そしてまたこんな迷惑かけて……。私はこれ以上スグ兄を傷つけたくない!」
悠香の心からの叫びが俺に届く。その感情に応じたのか、周りの氷も動きを止めていた。
俺は、そんな悠香の物言いに苛立ちを覚えていた。確かにアイツはいつも生意気で、わがままで、すぐに迷惑をかけてくる。
だけど、確かに大切な存在でもある。見捨てるなんてあり得ない。なのに、アイツは簡単に俺に諦めるよう勧めてくる。まるで、俺の決意が軽く見られているようだ。
だから、俺ははっきりと言葉にすることにした。俺のことを何も分かっていないアイツに、俺が、どんなふうに思っているかを。
「……悠香、よく聞け」
「え?」
「俺は! お前のことが! 大切で大切で仕方がない!」
「……え?」
「……」
普段は絶対に言わないような恥ずかしい言葉。当然、そんな事を言えば、悠香も困惑する。だが、そんな悠香の困惑を無視して俺は続ける。
「母さんが死んだ時、落ち込んでいた俺を支えてくれたのは誰でも無いお前だった!
もうこんな思いをする位なら誰とも関わらないようにしようと思っても、お前だけはずっと俺のそばに居てくれた!
どんなに邪険にしても、拒絶しても、諦めずにそばに居てくれた! これがどんなに嬉しかったか分かるか!?
父さんは母さんが死んだショックでまともに構ってくれなかった中で、それでも俺に近づいてくれるヤツが居る!
それだけで俺の心がどれだけ救われたか分かるか!?」
「スグ兄……」
「お前が思っているよりも、お前は俺よりもずっとずっとかけがえのない存在だ!
代わりなんて絶対に居ない! だから……お前を見捨てるなんて絶対にあり得ない! お前と縁を切るなんてことも絶対にしない! だから……俺をそこに行かせてくれないか?」
「……」
俺の必死の訴えに悠香は黙り込む。……おそらく今の悠香の心には二つの感情が混ざっている。俺をこれ以上傷つけたくないって感情と、俺に近づいてほしくないって感情だ。俺に近づいてほしくないのは、多分、近づかれれば悠香は母さんの事を話さなきゃいけないから。話して俺に縁を切られることを強く恐れているから。どうしてもその不安は拭えないのだろう。
だけど、今の会話で、少しはそれが和らいだ……はずだ。俺が必死にアイツに伝えたんだ。少しは効果があってほしい。
そう思いながら足を前に踏み出す。しかし……
「ッ!」
やはり氷の棘は近づこうとする俺を邪魔するように突き出てくる。流石に悠香の不安の全てを拭いきれなかったようだ。だが、その速度は先程よりもゆっくりになっている。どうやら少しはその不安を弱めることに成功したようだ。これならアレが……。
「悠香! 少し痛むぞ!」
「ッ!」
電撃から閃光を放ち、悠香の目を潰す。さっきまでは避けることに精一杯でこんなことは出来なかった。これだけでもさっきの一連の会話にも意味があったってもんだ。
今ならさっきまでみたいな正確な攻撃は出来ないはず! そう考えた俺は一気に走り出し、悠香に向かう! しかし……
「クッ!」
俺の目の前に大きな氷の壁が作られる。クッソ! 目が見えないからって無理やり大きな壁を作って時間を稼ぐってか! だが、短時間で作ったからか厚さはそこまでだ!
「こんのッ!」
氷の壁を思いっきり殴りつけ、穴を開ける。そこから悠香の元に……
「クッソ!」
近づこうとしたところで周りの氷が蠢き出す。どうやら悠香の目はすでに回復してしまったようだ。慌てて駆け出し、氷の棘を躱す。そして再び電撃から閃光を放つ!
「ッ!」
悠香の目が眩む。そして俺が近づこうとしたところを邪魔するため、また壁が作られるのではないかと身構えるが、そんなことはなかった。
「アガッ!」
俺の姿が見えない中、闇雲に振り回された氷の触手が俺の横腹にめり込む。
「ゴホッ! ゴホッ!」
どうやら氷の壁では俺を抑えられないと見て、攻撃に舵を切ったようだ。すべての触手が俺が居るか居ないかに関わらず動き回っている。それも、俺が居るかどうかを確認していないからか先程までよりも動きが早い。
「このッ!」
「えっ?」
時間的にもう悠香の目は戻っただろうと考え、再び電撃で閃光を放とうとする。しかし、その直前に周りに氷の壁が悠香を守るように現れる。クソっ! これじゃあ悠香の元まで光が……。
「ウグッ!」
一瞬の動揺の内に氷の触手が再び俺を襲う。吹き飛ばされた俺は……
「ハァ……ハァ……」
荒い息を吐きながらヨロヨロと立ち上がる。……さっきからずっと走ってるんだ。そろそろ体力の限界も近い。だけど……。
「諦める訳にはいかねぇんだよッ!」
大声で自分を奮い立たせ、悠香の元へ走る! しかし、その道の先が蠢き出す! それを避けようと体の向きを変える! しかし
「は?」
足が空中に投げ出され、視界が傾いていく。氷で足が滑り、そのまま転んでしまったようだ。ヤバいッ! もう氷の棘は突き出す寸前だ。そんな中で転んだりしたら、避ける暇なんて無いっ!
恐怖で体がすくむ。しかし、それでも倒れる体を止める術なんてなく、そのまま倒れてしまう。俺は棘が体に刺さる事を覚悟して、目を瞑る。結局ダメだったか……。あんな威勢の良いことを言って……。結局何も出来ずに死ぬなんて……。
そんな事を思っていたが、いつまで経っても攻撃が来ない。不思議に思って目を開けると、氷は付き出そうとしたところで、動きを止めていた。
「フゥ……」
つい安堵のため息をつく。どうやら、ギリギリで限界が来たようだ。
悠香の心力は物の時間を巻き戻すこと。それを恐ろしい速度で行い、俺が居るところにかつて存在した氷を作り出す。それが先程俺が予想したあの氷の棘の正体。だが、それだけの速度で時間を巻き戻せば、いずれ氷が存在することも無いほどの昔……地球に氷が存在すらしてなかった程昔まで巻き戻るのにもそう時間がかからないはずだ。
その上、大量の氷を必要とする氷の壁、俺に攻撃を当てようと闇雲に、しかし素早く動かした氷の触手達はその時間の消費を激しくさせたのだろう。なんとか、致命傷を受ける前に逃げ切ることが出来た。
「ハァ、ハァ! 悠香ッ!」
俺は軽く駆け、悠香の元へと向かう。俺の閃光から守るために、悠香を囲むように作られた氷の壁。そこから悠香を助け出すために、氷の壁を殴る。しかし、その氷の壁は先程の物よりも硬く、ヒビを入れるだけだ。
「悠香ッ! もう大丈夫だ! もうあの攻撃は−−」
「……! ……!」
氷の壁の奥で何かを訴えかけるような悠香の動き。それに気づいたときには遅かった。
「は?」
瞬間、俺の脇腹に激しい痛み走る。
「ゲホッ!」
そして口から赤く、生温かい液体が吐き出される。……血だ。
俺の脇腹に、氷の棘が深く突き刺さっていた。




