第三十六話 悔恨を偲ぶ
次回は8月1日投稿予定です
人にはそれぞれ、人生の分岐点というものがあると思う。もちろん、私にもある。私の人生を決定するような大事件が。
あの頃のことはよく憶えていない。他の全ての出来事があの事件に塗りつぶされてしまっていた。
私とスグ兄は昔っから家族ぐるみの付き合いがあった。お父さんが同じ大学の親友だった上、私とスグ兄の幼稚園が偶然同じだったからだ・
家族ぐるみ、といってもどちらの家族も父親は仕事が忙しかったので、私が会うのはいつも一緒に遊んでくれるスグ兄と、とっても優しいスグ兄のお母さんだけだった。でも、私はあの家族と一緒に居るのが大好きだった。多分、二人共優しかったとか、そんな単純な理由だったのだろうが。
「おい! 救急車を呼べ! 一人吹き飛ばされたぞ!」
「怪我人を運ぶぞ! 誰か! こっちを手伝ってくれ!」
「……」
小学生になったばかりの春。慌ただしく目の前を動き回る大人たちの前で、私はただ呆然と突っ立っていた。
思い切り突き飛ばされたせいか、お尻がジンジンと痛む。だけどそんな事はどうでも良かった。
私の脳裏にフラッシュバックしたのは、ゆっくりと動いていく視界。その中で微塵も心配させないような笑みを浮かべているスグ兄のお母さん。そして、そんなスグ兄のお母さんにトラックが迫って−−
直後、鈍い音と共にスグ兄のお母さんの体が吹き飛ぶ。
「ウッ!」
その映像を思い出した瞬間、口の中に酸っぱい匂いが充満する。口を抑えながら、私は歩いてその場を逃げ出した。
家に帰った私はベッドに潜り込んで、目を閉じていた。先程までの出来事が夢であってほしかった。目が覚めると、何も変わらない日常があるんじゃないかって……。だけど、ホントはそんなことは無いって分かっていた。
「悠香ッ! 優君のお母さんがっ!」
翌日の朝、慌てるようなお母さんの声で起こされる。後で聞いた話だが、死因は出血多量によるショック死だった。意味が、分からなかった。いや、分かりたくなかった。
その後、私はお母さんに連れられて、病院へと向かった。
病院に着いてから、私はベンチに座って待たされていた。小学生になりたての私を家に置いていくことは出来ず、だからといって人の死に近づけるような事も出来なかったからだろう。
そこで一人、私は考え事をしていた。
あの人が死んだ? 私を助けるために? 私が周りを見ていなかったから? 私のせい? ……私が、殺した?
そんな考えで、頭の中がいっぱいになった。
「謝らないと……」
ポツリと口をついて出た言葉。スグ兄のお母さんが死んだこと。これは私が居なければ絶対に起きなかった。だから、謝らないと……。
そう思ってベンチから立ち上がる。同時に病室からスグ兄が出てくる。
「……」
真っ赤に泣き腫らした目。光を失った瞳。病室から出てきたスグ兄の様子はまさに絶望といった風だった。
「スグッ……!」
それを見て、小学生であった私の覚悟がいかに脆いものなのかを思い知った。
私が謝らないとなんて思えたのは、スグ兄のお母さんの死が私の中で現実味を帯びていなかったからだ。私を目の前に居ることすら気付けないほど落ち込んだスグ兄を見て、現実を思い知り、言葉が口の奥底へと隠れたように何も話せなかった。
……怖くなったんだ。大好きな人の大切な人を殺したと伝えるのが、嫌われるのが怖くなって、私は謝ることから逃げたのだった。
それから一週間、スグ兄は学校を休んだ。むしろ、よく一週間で学校に戻ってきたと思う。だが、スグ兄が戻ってきてからは地獄のような日々だった。
ひどく落ち込んだスグ兄を見るたびに、私の中にある罪悪感に心がどんどん蝕まれていくのだ。辛かった。出来ることなら、スグ兄から離れたかった。
だけど、スグ兄の前ではまるでなんでもないように演じた。スグ兄があんなになってしまったのは自分のせいなのだ。私が支えてあげないと。どんなに辛くても、それをスグ兄に見せてはいけない。逃げるなんて以ての外だ。私にそんな権利は無い。
真実を伝えられない私の、せめてもの贖罪だった。
何度も心が折れそうになった。スグ兄は私から離れようとしていた。多分、私の事を大切に思ってくれていたから、これ以上何も失いたくないと思って。何度も邪険にされた。酷いときは怒鳴られたっけな。
だけど、何度も何度も向き合った。いくら邪険にされようと、めげずに話しかけた。お母さんが居なくなって、寄辺が無いスグ兄を一人にしてはいけない。私がなんとかしないと。
必死に自分を叱咤した。何逃げようとしているんだ、と。おかしくなりそうな毎日を自分に言い聞かせて耐えた。耐えろ、耐えろ、耐えろ。
耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ
もしかしたらあの時私はもう、おかしくなっていたのかもしれない。
そんな私を救ってくれたのはスグ兄だった。
スグ兄が中学生になった春だった。その頃には、スグ兄もお母さんの死からある程度立ち直って普通に会話出来るようになっていた。
「いやぁ〜スグ兄ももう中学生か〜。なんだか感慨深いね〜」
「いやなんでお前が感慨深く感じるんだよ。お前まだ中学生になってねぇだろ」
「年下でもスグ兄を見てきた年月は変わらないでしょ! 幼稚園生のころから見てたんだから、そりゃ感慨深くも感じますよ〜」
私がふざけてそれにスグ兄がツッコミを入れる。そんないつもどおりの他愛ない会話。この頃になると、スグ兄の前で明るい自分を演じることにも慣れきって、明るい自分が普通になっていた。
「けど、ホントあっという間だったな〜」
「……」
スグ兄は大きく伸びをする。その視線の先には、スグ兄の家の家族写真があった。その中ではスグ兄のお母さんが眩しく笑っている。
「お母さん。俺、立ち直ったよ。もう気にしてない……とまではいかないけど。こうやって普通に生活できるくらいには」
語りかけるように、スグ兄は話し始める。相手はきっと天国に居るはずのお母さんだろう。私はそれを黙って聞いていた。
「だから、もう安心してくれて大丈夫だ。俺のことは気にしないで、ゆっくりと眠っていてくれ」
スグ兄は言い終わると手を合わせて目を閉じる。おそらく、彼なりのけじめだったのだろう。お母さんの事を引きずらないという。スグ兄のお母さんが死んだあの日から約五年。中学生になった今日がスグ兄の過去を捨てて前に進む日だったのだ。
「……」
そんなスグ兄を見て、正直なんだか複雑だった。スグ兄はけじめをつけて、お母さんの事を受け入れた。それ自体はすごい嬉しいことだ。だけど、私はまだ全然罪を償えていない。そんな状態でスグ兄が私の助けを必要としなくなったら? 私の中にあるこの罪悪感はどうやって対処すれば良い?
長年取り繕うこと作られた仮面は、もはや私の一部であり、拠り所となっていた。それがなくなるとなって、私の中は不安でいっぱいに−−
「悠香」
「え? な、何!?」
考え事をしているところに急に話しかけられて、思わず声が裏返る。
「ありがとうな。ずっと支えてくれて。お前が居てくれたおかげで、今の俺が居る」
「え……?」
そんな事を言われるなんて全く思っていなかったから、困惑の声が漏れる。
「ずっと俺の事気遣ってくれてただろ? お母さんが死んでから。すげぇ迷惑かけたと思うけど……それも今日までだ」
「……」
「あっ! 違うからな! 別に友達をやめようとかそういうのじゃなくって、もう俺のことは気遣わなくて良いってことだからな? 勘違いすんなよ!」
「……」
「悠香? うわっ!」
黙りこくっている私の様子に不思議そうな顔をするスグ兄にいきなり飛びついてやる。するとスグ兄は少し情けない声を上げる。
嬉しかった。スグ兄は私の頑張りに気づいていて、それに感謝してくれていた。それだけで私の今までの苦しみが報われたようで、さっきまでの不安が一気に晴れていった。
「もう! そんなの分かってるってば! 全くスグ兄は心配性だな〜! この野郎〜!」
「ちょっ! ヤメロっ! 重いって! そんなはしゃぐなって!」
「アハハハハ! アハハ! アハハ!」
あの日、私は数年ぶりに心の底から笑えたような気がした。あの日から私は、スグ兄のことが−−
「ガハッ!」
「−−ッ! −−ッ!」
ポタポタと口から血がこぼれ落ちる。氷で傷口が冷やされているにも関わらず、突き刺されたところが焼けるように熱い。
氷の檻の中では悠香が必死に声を上げている姿が目に入る。
なんでだ? 俺はもう既に使われるはずのなかった攻撃に困惑する。
あの攻撃は時間を過去に戻すことで行われていた。そしてもうこれ以上その攻撃は出来ないってのはさっきの攻撃で分かっている。
もうここら一帯の時間は完全に巻き戻ってるはず……。ならなんで……。
「ッ!」
俺は視界の端に映るある光景を見て、どういうことか理解する。これならっ!
「クッ!」
慌ててその場から走り出す。脇腹がじんわりと痛むが、今だけはそれを無視だ。
まずは今するべきことを整理しよう。
今の悠香は暴走によって心力が抑えられていない。だから、まずはその暴走を止める必要がある。そのために必要なのは会話だ。つまり、俺がするべきことは……
あの攻撃をくぐり抜け氷の檻の中に居る悠香を救い出す! 結局はその一点だけだ。そのために今は少しでも時間稼ぎを!
「ウグッ!」
それから約十分。俺はひたすら攻撃を避け続けていた。しかし、攻撃を避けるたびに傷口から更に血が滲み、服が大分真っ赤になってきている。……流石にもうこれ以上の戦闘は難しいな。だが、あの心力ももう大分限界のはずだ。もう十分時間は稼いだ! ここからが肝心だ!
「うぉぉぉぉぉ!」
攻撃を避けることなんて全く考えていない捨て身の突進。そんな俺を追ってくる氷の棘を全力でくぐり抜け、悠香を閉じ込めている氷の檻の近くまで向かう!
「クッ!」
しかし寸前、氷が俺の目の前で薙ぎ払われる! それを思いっきり飛び上がることで避け、そのまま悠香の元へ!
最後の障壁は、悠香を囲う氷の檻だった。それを壊すまでの時間どうしても無防備になってしまう。氷の棘が突き出してくる間にそんな事をすれば当然、ダメージを食らうことになってしまう。
だからひたすら時間を稼いだ。攻撃の事を気にせず、ひたすら回避に専念した。その結果が今、目の前に現れる!
「ッ!?」
小さな水音をたてながら、氷の檻が一瞬にして溶ける。その中から驚いたような悠香の顔が見える。
「悠香。もう大丈夫だ。助けに来たぞ」
悠香の元にたどり着いた俺は、そのまま悠香を抱きとめた。




