皇太子の兄弟
短めです。
ディリウスは、望まぬ訪問者を前にして本を読みふけっていた。拒絶の意思表示だ。
しかし、相手はそんなものを気にしない。
「久しぶりに皇宮に戻って来たけど、相変わらず悪趣味にキラキラしてるよな。それに比べて、皇太子宮は良いな。シンプルで無駄がない感じが落ち着く…」
心底からそう思っているようで、ふう~、と大きく長いため息を吐く。
気の抜けた吐息と共に背もたれに沈んでいく相手を、ディリウスは眉間にしわを刻んで一瞥する。
「あ、エディオス、コーヒーおかわり」
「はい、すぐお持ちします」
「…なんでコーヒーがここにあるんだ」
おかわり、という発言に、コーヒーのストックがあると理解してディリウスは想わず沈黙を破る。
答えたのは、エディオスだった。
「トリオス様は紅茶よりコーヒー派でいらっしゃいますから」
「そうじゃない。なんで、そいつしか飲まないコーヒーのストックをわざわざ作ってんだ、てことだ」
忌々しい、という感情を隠しもせずに吐き捨てるディリウスに、エディオスは一切動じることなく告げる。
「ディリウス様を『当たり前の弟』として見て、案じてくださっているトリオス様を邪険にすることなどできません」
あまりにもはっきりと力強く言い切られてしまったから、ディリウスはおかわりを入れる為に背を向けたエディオスを唖然と見送った。
その姿に、ディリウスに無視され続けていた男・トリオスは腹を抱えて笑った。
ディリウスが鬼の形相で睨みつけてもどこ吹く風だ。
ディリウスと同じ白銀の髪を腰まで伸ばして無造作に縛り、切れ長の朱金の瞳をした、第一皇子トリオス=ログマンディル・ルイゼンシュルトは、目じりに涙を浮かべながらにやにやと笑みを浮かべる。
「相変わらず、お前らは愉快だねぇ」
「失せろ」
「弟が酷いっ!」
嘆く口調でありながら、また笑う。
笑い上戸、という言葉がぴったりな様子は、優秀有能と称えられる皇子様と同一人物だとは思えない。だが、実際、その腕も頭脳も本来ならば筆頭皇位継承者となってもおかしくないものだ、とディリウスは知っている。
「可愛い可愛い弟の為に、味方だぞ、と遠路はるばる言いに来た兄を労わる気持ちはないのか?」
「ログマンディル子爵領は遠路というほど遠くない。ダランディアードの方がずっと遠い」
「いや、国境辺境と比べられても…。皇太子になったって聞いたの、海の向こうだったんだよ」
「そのまま藻屑になっていればいいものを………チッ」
「あ、今の舌打ち、本気だなっ?!」
酷い酷いと喚くが、本気で言っていないことは初見の者ですらわかる。何故なら、笑っているから。
(だから、嫌いなんだ、こいつは……)
内心で苦い思いをかみ砕こうとして失敗し、秀麗な顔を歪めているディリウスの想いに気付いているのかいないのか。おそらくは前者だ。
腰を落ち着けてから変わらず浮かべ続けている笑みをそのままに、トリオスは新たに注がれたコーヒーを手に取った。
「そんなに嫌そうな顔すんな。可愛い可愛い弟の為に、使いパシリになってやったんだから」
「は?」
不機嫌マックスな様子で聞き返すディリウスの前に、トリオスは封筒をかざす。
真っ白な封筒には宛名も送り名もない。だが、キラリと煌めく金色の封蝋とその文様で誰からかは一目瞭然だ。
証拠に、ディリウスは瞳を見張ると封筒を取ろうと手を伸ばす。
素早すぎる動きだったが、トリオスはさっと手を挙げてディリウスを避ける。
とっさの行動である為か、空ぶった体勢のままディリウスはしばし固まってしまう。その様子に、トリオスはにやぁと非常に愉快そうな笑みを浮かべる。言い換えれば、意地が悪そうな笑みだ。
「必死になっちゃって、か~わい~」
全力でからかってくるトリオスに、臨界点ギリギリまで一気に湧いた殺意を押し殺し、ディリウスは深く息を吐く。
「兄上」
「ん?」
「とっとと寄越さねぇと、ログマンディル子爵令嬢に無い事無い事吹き込むぞ。捏造証拠付きで」
「……えげつないにもほどがあんだろうが、お前」
地を這うようなディリウスの言葉に、頬を引き攣らせたトリオスは素直に封筒を差し出す。
受け取るとさっそく封を切るディリウスに、トリオスは新しく入れてもらったコーヒーに口をつけて遠い目をする。
(変われば変わるもんだなぁ、おい)
無気力無能を演じるディリウスを目にして、早々に演技であると見抜きながら放置していたトリオスは、手紙一つに必死になる姿に微笑ましい気持ちになる。
人の感情を持たずに生まれたかのような弟を、トリオスなりに気にしていたのだ。
最初は、奴隷の母を持つ第一皇子と正妃の母を持つ第三皇子で、距離も溝も果てしなく興味関心などなかったのだが。
臣籍降下するか王籍削除の二択しかなく、後者の可能性が高かったトリオスの後見に名乗りを上げたログマンディル子爵がいなければ、二人が『兄弟』として向き合うことはなかっただろう。
「予定とは違ったが、問題はないんだろう?」
「はい。あちらに行くかこちらに来るかの差ですから。どちらであっても、過不足なく問題はないかと」
手紙に集中しているディリウスを見ながら、トリオスとエディオスはほのぼのと会話を繰り広げる。
二人の視線の先では、ディリウスがわずかに目元をほころばせて書かれているであろう文字を追っていた。それを微笑ましげに見て、トリオスはコーヒーを飲み干す。
「さて、そろそろ帰るかね。いい加減、顔出さねぇと愛想つかされちまう」
「では、こちらを」
「? 何だ?」
「王都で有名な菓子店までの行き方です。令嬢へのお土産にどうぞ」
「…本当、出来た奴だよ、お前は」
ディリウスをよろしくな、と頭を撫でて去っていくトリオスに、深々と頭を下げてエディオスは手紙に集中している主を振り返る。
穏やかな幸福に満たされた姿に、エディオスの心も温かくなる。
抜け道を使い、誰にも見咎められることなく王都の市街まで降りてきたトリオスは、エディオスが教えてくれた店で菓子折りを購入し、歩きながらふいに瞳を細めた。
「…阿呆共がバカやらかさねぇように、警護を強化しろ。ディリウスはこの国の未来を託せる唯一の存在だ。損なわれることはあってはならない」
『御意』
囁くようなトリオスの声に、足元から了承の返答があった。
トリオスの陰から響いてきたそれに気付いた者はおらず、トリオス自身も素知らぬふりで歩みを進める。
少し離れた路地で、影が揺らめくようにして動き、消えたことに気付いた者はいなかった。
ディリウスでさえ把握できない程、巧妙に隠され静かに活動するトリオスの部下達。
裏を知る者は、『影狼』と呼ぶ隠者の集団だ。
誰にも悟らせる事無く、彼らはトリオスの命令でディリウスを支援している。
唯一、それを知っている当のディリウスは、だからこそ、トリオスを苦手としていた。
護られ、心配され、助けられることに覚える違和感の正体を知らないからこそ、ディリウスの態度はつっけんどんになる。
傍から見れば、どう考えても思春期の弟の照れ隠しでしかないことに、ディリウスだけが気付いていない。
周囲は、鷹揚な兄と不器用な弟の交流を温かく見守っていた…。




