第7話 背中を押す手
朝食を終え、自室へ戻った俺は早速適正魔法について調べることにした。
ランハード公爵家には長い歴史がある。当然、屋敷には大量の文献が保管されている。
けれど父上ですら知らなかったのだ。魔眼や空間魔法について書かれた資料は、おそらくこの屋敷にも存在しないのだろう。
机へ向かいながら小さく息を吐く。
魔眼は、あの日以降ずっと発動したままだった。
意識しなくても視界の端に情報が浮かぶ。
名前、状態、適正魔法。
最初は驚いたが、数日もすればある程度慣れてしまっていた。
(……そういえば)
ふと思う。
自分自身は見たことがなかった。
他人ばかり見ていたが、自分にはどんな情報が表示されるのだろう。
そう考え、鏡の前へ向かおうとした時だった。
コンコン、と扉が叩かれる。
「レオルド、入るぞ」
父上の声だった。
「はい」
返事をすると、父上と母上が部屋へ入ってくる。
「父上、母上。どうされました?」
「先ほどの話をもう少し詳しくしたくてな」
「先ほど……旅の話ですか?」
「ああ」
父上はそう言って、ソファーへ腰を下ろした。
母上もその隣へ座るが、どこか不安そうな表情をしている。
「本音を言えば、お前にはずっと私たちの目の届く場所で生きていてほしい。安全な場所で、何事もなく暮らしてほしいと思っている」
その言葉に、胸が少し痛む。
「旅に出るということは危険も伴う。魔物だけではない。人間にも悪意を持つ者はいる」
母上も続ける。
「この家から離れるということは、私たちの手が届かない場所へ行くということなの。命の危険だってあるわ。それでも行きたいの?」
二人の気持ちはよく分かる。
この世界は安全ではない。
街の外へ出れば魔物がいる。
低ランクの魔物でも、油断すれば命を落とす危険がある。
では街の中なら安全かと言えば、そうでもない。
金目の物を狙う盗賊。
人攫い。
見た目が良く、力を持たない者は違法奴隷商へ売られることもあるらしい。
奴隷制度自体は存在している。
犯罪奴隷や借金奴隷は認められているが、それ以外はどの国でも違法だ。
だが、欲に目がくらんだ者は後を絶たない。
「危険があることは理解しています」
だからこそ、俺は真っ直ぐ父上と母上を見た。
「それでも、自分の目で世界を見てみたいんです」
前世ではできなかった。
病室の窓から外を見ることしかできなかった俺が、ようやく自由に動ける身体を手に入れた。
だったら――見てみたい。
この世界を。
知らない景色を。
色んな人たちを。
「……そうか」
父上は小さく息を吐いた。
しばらく黙っていたが、やがて真っ直ぐこちらを見る。
「ならば条件がある」
「条件……ですか?」
「ああ。我が公爵家騎士団団長の息子、ロベルトは知っているな?」
「はい。同い年だったと思います」
何度か顔を合わせたことがある。
赤茶色の短髪に、よく日に焼けた肌。
剣術訓練が好きで、じっと座って勉強するのは苦手だとぼやいていた少年だ。
「そのロベルトを護衛として連れて行くこと」
「……え?」
思わず目を瞬かせる。
「俺としては嬉しいですが……本人は了承しているのですか? 当主命令で無理に同行させるのは……」
「大丈夫だ」
父上は苦笑する。
「団長にもロベルト本人にも話はしてある。むしろ本人は乗り気だ」
「乗り気……?」
「あいつは昔から騎士団より冒険者になりたいと言っていてな。剣の腕も悪くないし、適正魔法も身体強化。旅との相性は良い」
なるほど。
確かにロベルトなら旅にも向いていそうだ。
「もちろん、無理にとは言わん。だが、親としてはお前一人で行かせる気にはなれない」
「……分かりました」
ロベルト本人が納得しているなら問題ない。
「もう一つ」
父上は少しだけ真剣な顔になる。
「旅をしていても、次の目的地へ向かう前には必ず一度帰ってきなさい」
「帰ってくる……?」
「ああ。行き先と滞在期間を必ず報告すること。これは約束だ」
それは、きっと親としての譲れない条件なのだろう。
前世でも両親はずっと俺を心配していた。
だから少し分かる。
子供がどこにいるのか分からないというのは、かなり不安なのだろう。
「分かりました。その二つの条件、受け入れます」
俺が頷くと、父上はようやく少し安心したように表情を緩めた。
「そうか。それなら私は反対しない」
その言葉に胸が熱くなる。
「お前が納得するまで旅を続けなさい。そして、十分だと思えた時は戻ってこい。仕事の斡旋くらいならいくらでも手助けしてやる」
「……ありがとうございます、父上」
自然と頭が下がる。
「もう、この人が納得したなら私が反対しても意味ないじゃない」
母上は呆れたように言いながらも、どこか優しく笑った。
「レオルド。辛くなったら、嫌だと思ったらいつでも帰ってらっしゃい」
「はい」
「もし街中で危険な目に遭ったら、公爵家の名前を出しなさい。無理に一人で抱え込まなくていいのよ」
「……はい、母上」
本当に、優しい両親だと思う。
俺の気持ちを否定せず、受け入れようとしてくれる。
(二人の子供で良かったな)
心からそう思った。
父上と母上が部屋を出たあと、一人でお茶を飲みながらぼんやりする。
(……何か忘れてるな)
そんなことを考えていると、扉が少しだけ開いた。
隙間から、ひょこっとリュシカが顔を出す。
「兄様……入ってもいいですか?」
「いいよ。どうした?」
手招きすると、リュシカはとことこと近寄ってきた。
「朝、兄様がお家出ていくって……」
不安そうに服の裾を握る。
「どこ行くの? 行かないで……」
胸が少し締め付けられた。
まだ六歳だ。
旅というものを完全には理解していないだろう。
けれど、“兄がいなくなる”ということだけは分かったらしい。
「リュシカ。俺が出ていくのはまだ先だよ」
「でも……いつか行く?」
「うん。でも、ずっといなくなるわけじゃない」
目線を合わせ、頭を撫でる。
「ちゃんと帰ってくるよ」
それでもリュシカは俯いたまま涙目になっている。
まだ幼い弟にとって、兄が家を離れるというのは不安なのだろう。
「リュシカ、母上とこの家を守ってほしい」
「守る……?」
「これはリュシカにしか頼めないお願いなんだ」
するとリュシカは不安そうに首を傾げた。
「僕にできる?」
「リュシカならできるよ」
そう言うと、少しだけ嬉しそうに目を瞬かせる。
「それと、これから毎日手紙のやり取りをしないか?」
「お手紙!」
ぱっと顔が明るくなる。
「僕、兄様とする! やりたい!」
ころころ変わる表情が可愛くて、自然と笑みが零れた。
「じゃあ今日は俺が書くから、明日はリュシカが書いてくれるか?」
「うん!」
満面の笑みで頷くリュシカ。
そこへ侍女がおやつの時間を知らせに来て、リュシカは名残惜しそうにしながらも部屋を出ていった。
静かになった部屋で、ふと思い出す。
(あ、自分のこと見るの忘れてた)
鏡の前へ立つ。
そこにはダークシルバーの髪と瞳を持つ少年が映っていた。
そして、視界の端へ文字が浮かぶ。
名前。
状態。
適正魔法。
さらに適正魔法へ意識を向けると、詳細情報が表示された。
魔眼。
鑑定の上位版。
人、魔物、道具、土地、魔力の流れ、呪い、契約状態などを見抜ける。
空間魔法。
アイテムボックス、転移、結界、短距離転移などが可能。
テイム魔法。
信頼関係を築き、魔物と契約する力。
召喚魔法。
ランダムで魔物を呼び出す特殊魔法。
「……あれ?」
思わず呟く。
「これ、意外と凄くないか?」
むしろ――旅や冒険と相性抜群なのでは?
そんな考えが浮かび、俺は鏡の前でしばらく固まっていた。
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