第6話 現在へ—選ぶ未来
「はぁ……はぁ……っ」
息苦しさと共に、俺は勢いよく身体を起こした。
胸が激しく上下している。額にはじっとりと汗が滲み、喉の奥が焼けるように熱い。それなのに身体の芯は妙に冷えていて、薄く震えていた。
(……夢)
池に飛び込んだ、あの日の夢だった。
冷たい水。沈んでいく感覚。遠くから聞こえる誰かの叫び声。
あの時の絶望が、まるで昨日のことのように蘇る。
荒い呼吸を整えながら、ゆっくり周囲を見渡した。
窓の外はまだ暗い。夜明け前なのだろう。
静まり返った部屋の中で、自分の呼吸音だけがやけに大きく聞こえる。
もう一度横になるが、先ほどの夢が頭から離れない。
火魔法適性なし。
その言葉を聞いた瞬間の絶望。何も分からなくなって池へ向かった自分。
(……本当に、死ぬつもりだったんだな)
今になって思えば恐ろしい。けれど、あの時の俺にはそれ以外の選択肢が見えなかった。
ぼんやりと天井を見上げながら何も考えずにいると、いつの間にか再び眠っていたらしい。
コンコン、と扉を叩く音で意識が浮上する。
「レオルド様、お目覚めですか?」
エリーの声だった。
「……うん」
身体を起こしながら返事をする。
「おはよう、エリー。今何時?」
目を擦りながらベッドを降り、ソファーへ移動する。
「七時を少し過ぎた頃ですね」
扉を開けて入ってきたエリーは、いつも通り落ち着いた様子で一礼した。
「朝食はどうされますか? お部屋までお持ちしましょうか?」
「父上と母上は?」
「旦那様は本日王宮でのお仕事がお休みのようです。奥様も先ほど起きられたそうなので、これから食堂へ向かわれるかと」
その言葉に少し考えた後、小さく頷く。
「じゃあ食堂に行くよ」
「かしこまりました。ではお着替えを」
父上は領主としての仕事に加え、王宮でも重要な役職についている。そのため普段は日が昇る前には屋敷を出ていることが多い。
一方で母上は朝が弱いらしく、この時間に起きるのが普通らしい。
着替えを済ませて食堂へ向かうと、ちょうど父上、母上、リュシカが席についているところだった。
「おはようございます」
「おはよう、レオルド」
父上が穏やかに頷く。母上も安心したように微笑み、リュシカは嬉しそうにこちらへ手を振った。
「兄様! おはようございます!」
「おはよう、リュシカ」
挨拶を交わしながら席につき、朝食が運ばれてくる。
焼き立てのパンの香りに、温かなスープ。
以前の俺なら、食事中も次の勉強のことばかり考えていただろう。
けれど今は、こうして家族と同じ時間を過ごしていることが少しだけ不思議に感じた。
しばらく静かに食事をしていると、父上がナイフを置きながら口を開く。
「レオルド。これからのことなのだが」
その声に自然と背筋が伸びる。
「鑑定の儀の時に殿下が言っていたように、王宮で働く道もある」
やはりその話か、と内心で思う。
「十五歳で成人すれば、見習いとして王宮へ入ることも可能だ。働き次第では正式な文官にもなれるし、殿下の側近となる道もある」
父上の言葉は現実的だった。
家を継がない貴族の子供は、成人と共に自立を求められる。
特に女性は大変だ。高位貴族か王宮侍女くらいしかまともな就職先がないため、幼い頃から婚約者探しと同時に侍女教育を受けるのが普通らしい。
男性は比較的選択肢が多いとはいえ、無能では生き残れない。
その点、俺は勉強だけなら得意だった。
公爵家の跡取りとして叩き込まれてきた知識量は、同世代の中でもかなり上らしい。
だからこそ、父上は王宮勤務を勧めているのだろう。
王宮なら父上とも顔を合わせられる。公爵家の息子としての立場も活かせる。
きっと、一番安定した未来だ。
でも――。
「はい。でも、俺は……旅に出たいです」
自分でも驚くほど、はっきりと言葉が出た。
食堂の空気が少し止まる。
「自由に生きていいと言っていただけたなら、色々な場所をこの目で見てみたいんです」
前世で叶わなかった夢。
健康な身体で、自由に世界を見て回りたい。
雪景色も、海も、異国の街並みも。
この世界に存在するものを、自分自身の目で見てみたい。
できることなら、今すぐにでも。
母上とリュシカが驚いたように目を見開く。
「旅……?」
「兄様がお家を出るのですか……?」
リュシカが不安そうに呟く。
一方で父上だけは、小さく「そうか」と頷いた。
前世の記憶を思い出した直後、少しだけ旅への憧れを話していたからだろう。
父上は静かに考え込むように腕を組む。
「レオルドの気持ちは分かった」
そして真っ直ぐ俺を見る。
「だが、旅に出るのは十五歳――成人してからだ」
「……はい」
「それまでは、今までとは違う勉強をしなければならない」
「違う勉強?」
思わず聞き返すと、父上は少し苦笑した。
「ああ。旅に出るなら、平民に紛れて生活することもあるだろう」
言われてみれば当然だった。
俺は公爵家の長男として育てられてきた。買い物一つしたことがない。宿を取ることも、値段交渉も、自分で荷物を運ぶことさえない。
だが平民の子供たちは、十歳くらいでも普通にそれをやっているらしい。
「貴族では当たり前でも、平民から見れば不自然なことは多い。逆も然りだ」
「……確かに」
旅をするなら、その辺りの知識は必要になる。
「それと」
父上は少し真面目な顔になる。
「お前の適正魔法についてだ」
その言葉に自然と姿勢が正される。
「魔眼、空間魔法、テイム、召喚魔法。少なくとも私は聞いたことがない能力ばかりだ。この家の使用人たちも知らなかった」
やはり珍しい能力なのか。
「自分の力を知らないままでは危険だ。旅をするなら尚更な。まずは自分なりに適正魔法について調べてみなさい。私の方でも資料を探してみよう」
その言葉に、胸の奥が少しだけ温かくなる。
否定ではなく、理解しようとしてくれている。
「……はい。ありがとうございます、父上」
そう答えると、父上は静かに頷いた。
旅に出られるのはまだ先だ。
けれど――。
火魔法の適正がなく終わったと思っていた人生に、少しだけ新しい道が見え始めていた。
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