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跡取りになれなかった公爵嫡男は、前世の夢だった“自由な旅”を選ぶ  作者: みのり
一章 目覚めと旅立ち

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第5話 崩壊と選択(回想③)

 鑑定の儀が終わったあと、俺は自室へ戻された。

 けれど、そこから先の記憶は曖昧だった。

 母上が何かを言っていた気がする。エリーも心配そうに声をかけてくれていた。でも、そのどれも頭に入ってこなかった。

 気づけば、俺は部屋の中央に置かれた椅子へ座ったまま動けなくなっていた。


 火魔法適性なし。


 その言葉だけが、ずっと頭の中を回り続けている。

 ぼんやりと視線を落とす。握り締めた手が震えていた。


(……なんで)


 何度考えても答えは出ない。

 どうして俺には火魔法の適性がなかった?

 どうして、よりにもよってランハード家の長男として生まれた俺に?


 小さい頃から必死だった。

 父上のようになりたかった。

 領民に慕われ、強く、優しく、この国を支える存在に。

 だから勉強した。遊びたい日も、眠い日も、全部我慢した。

 長男だから。跡取りだから。期待に応えなければならないから。


 それなのに――。


「……意味、なかったじゃないか」


 掠れた声が、静かな部屋に落ちる。


 火魔法がなければ、俺は公爵家を継げない。

 継げなければ、父上のようにはなれない。

 だったら、今までの努力は何だった?


 父上は言っていた。

 当主以外の道もあると。

 ライオネル殿下も言っていた。

 王宮で文官として働けると。


 でも、俺は最初からそんな未来を考えたことがなかった。


 俺はランハード公爵家の長男で、次期当主になるために育てられて、そのためだけに努力してきた。

 それ以外の生き方なんて、分からない。


 皆、優しいから言ってくれているだけだ。

 まだ子供だから。道はあるから。大丈夫だと。

 でも、それは慰めでしかない。


 本当に価値があるなら、火魔法の適性がなくても跡取りでいられるはずだ。

 それができない時点で、答えは出ている。


 ――俺は必要とされる存在じゃない。


 どれくらいそうしていただろうか。

 部屋の窓から差し込んでいた光が、少しずつ赤みを帯びている。

 夕方になっていた。


 俺はゆっくりと立ち上がった。


 頭は妙に静かだった。

 考えがまとまったわけじゃない。むしろ逆だ。

 何も考えたくなかった。


 このままここにいても、きっと一生「火魔法を持たなかった長男」として生きていくことになる。

 耐えられる気がしなかった。


 ふらふらと部屋を出る。

 廊下を歩く足取りは、自分でも驚くほど頼りなかった。


 途中、使用人とすれ違う。


「レオルド様? どちらへ……」


「……庭に」


 小さくそう答えると、相手は困ったような顔をした。


「ですが、旦那様から今日は安静にと――」


 その言葉を最後まで聞かず、俺は歩き続けた。


 別の使用人も俺を止めようとした。

 けれど、もう何も耳に入らない。

 ただ、足だけが勝手に前へ進んでいく。


 向かう先は決まっていた。

 庭園の奥。ランハード公爵邸の敷地内にある、大きな池。


 幼い頃、リュシカと少しだけ遊んだことがある場所だ。

 普段なら綺麗だと思うはずの庭も、今は何も感じなかった。

 ただ、空っぽだった。


 池が見えてくる。

 夕日に照らされた水面が、赤黒く揺れていた。


(……ここなら)


 子供の俺なら、溺れて死ねるかもしれない。


 そんな考えが、妙に自然に頭へ浮かんだ。

 怖くはなかった。

 むしろ、ようやく終われるという安心感に近かった。


 当主になれないなら。

 父上のようになれないなら。

 もう、生きている意味なんてない。


 池の縁まで歩く。

 冷たい風が頬を撫でた。


 そこで一瞬だけ、家族の顔が浮かぶ。


 父上。

 母上。

 リュシカ。


 皆、優しかった。

 責めなかった。

 だからこそ、申し訳なかった。


「……ごめんなさい」


 小さく呟く。


 父上、母上。

 期待に応えられなくて、ごめんなさい。


 リュシカ。

 出来損ないの兄で、ごめん。

 もっと、一緒に遊んであげればよかったな。


 遠くから、誰かの声が聞こえた気がした。

 俺の名前を呼んでいる。


 でも、振り返らなかった。


 もういい。

 何をすればいいのか分からない。

 これ以上、生き方も分からない。


 だったら――。


 俺は、なんの迷いもなく池へ身体を投げ出した。


 冷たい水が全身を包み込む。

 一気に沈んでいく感覚。


 苦しい。

 息ができない。


 それでも、不思議と恐怖はなかった。


 ただ、暗い。


 どこまでも深く、暗い。


 遠くで幾重にも俺を呼ぶ声が聞こえる。

 けれど、その声も次第に遠ざかっていく。


 意識が沈む。


 光のない深い闇へと、ゆっくり落ちていった。

読んでいただきありがとうございます!

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