第39話 湖の灯り
ノクスレヴィアと盟約を交わしてから数日が過ぎた。
《黒蛇》の騒動や湖の毒の件で慌ただしく過ごしていたが、その間にゆっくり観光する余裕はほとんどなかった。
そのため王都へ帰る日を少しだけ延ばし、俺たちは久しぶりに何も考えず過ごしていた。
リブは元いた海域へ帰っていった。
別れ際に「また呼んでねー」と相変わらずの調子だったが、海での騒動から今回の湖の件まで随分助けられた。
今度会った時は礼をしないとな。
「よし!今日は水遊びだー!」
ルナが元気よく湖へ飛び込む。
その後をノアが追いかける。
『あまり遠くまで行っちゃ駄目よー』
『はーい!』
元気な返事だけが返ってくる。
「本当に元気だな」
「子供だからな」
ライオネルが苦笑する。
人気のない湖岸を選び、俺たちはのんびり過ごした。
だが、それだけでは終わらない。
『ご主人ー!』
「ん?」
『手合わせしよう!』
ルナが目を輝かせながら言った。
『私もやりたいわ』
ノアまで賛成している。
「……ほどほどにしろよ?」
そう言った結果、ボロボロになったのは俺だった。
「はぁ……」
地面へ仰向けになる。
空が綺麗だ。現実逃避したくなるくらいには綺麗だった。
『やったー!』
ルナが尻尾を振り回して喜んでいる。
「まさか一本も取れないとはな」
ロベルトが笑いを堪えている。
「笑うな」
俺は思わず睨む。
確かに手加減はされていた。だが負けは負けだ。
『ルナはまだまだ未熟よ』
ノアが当然のように言う。
「……あれで?」
『ええ』
ノアは頷いた。
『まだ子供だもの』
そう言われると何も言えない。
アルベルグの成獣を見たことはないが、希少種ともなれば普通の魔獣とは比べ物にならないのだろう。
今でも十分強いのに、さらに強くなるらしい。
将来が少し楽しみで、少し怖かった。
そして帰る前日。
俺たちは冒険者ギルドを訪れていた。
ギルド長へ挨拶をするためだ。
「ああ、明日帰るのか」
ギルド長が少し寂しそうに笑う。
「はい」
俺も頷いた。
「観光もしましたし、美味しいものもたくさん食べましたから」
「そうか」
ギルド長は椅子へ深く腰掛ける。
「君たちには本当に世話になった」
湖の主の暴走。湖の毒。《黒蛇》の情報。
短い滞在だったが、色々ありすぎた。
「またこちらへ来ることがあれば是非寄ってくれ」
「ええ。ノクスレヴィアともまた来る約束をしましたから」
「そうか」
ギルド長は嬉しそうに頷いた。
そして何かを思い出したように口を開く。
「そうだ」
「?」
「今日は祭りの日だ」
祭り?初耳だ。
「年に一度の《湖の灯り》という祭りでね」
ギルド長は窓の外へ視線を向ける。
「湖へランタンを流して豊作と平穏を祈る祭りだ」
「へぇ……」
そんな祭りがあったのか。
「せっかくなら見ていくといい」
「そうします」
帰る前に良い思い出になりそうだ。
夕方。東の空がゆっくりと藍色へ染まり始める頃、俺たちは湖へ向かった。
「……すごい」
思わず立ち止まった。
湖一面に無数の灯りが浮かんでいた。
小さなランタンが湖面を漂っている。
風に揺られながらゆっくりと流れていく光景は、まるで星空が湖へ降りてきたようだった。
「綺麗だな……」
ライオネルが小さく呟く。
普段騒がしい彼が静かになるほどだった。
周囲には多くの人がいる。
家族連れ。恋人同士。友人同士。
皆が静かに湖を見つめていた。
騒がしい祭りではない。穏やかな祭りだ。
ランタンの灯りが湖面へ映り込む。
その光が波に揺れて幻想的な景色を作り出している。
遠くでは楽器の音も聞こえた。
優しい旋律だった。
「昼間とは全然違うな」
昼の湖は壮大だった。青く広く力強い。
だが夜の湖は違う。どこか優しく、温かい。
人々の願いが灯りとなって浮かんでいるように見えた。
「……いい景色だな」
自然とそんな言葉が漏れる。
ここへ来て良かった。
本当にそう思えた。
《黒蛇》の事件。ノクスレヴィアの暴走。湖の毒。
大変なことばかりだった。
だが、その全てを忘れさせるほどの景色が目の前にあった。
風が吹くとランタンが揺れる。湖面に映る光も揺れる。
その光景を眺めていると、不思議と心が落ち着いた。
前世では見られなかった景色。
病院のベッドからでは決して見られなかった世界。
だからこそ余計に胸へ染みる。
「明日も頑張ろう」
自然とそう思えた。悩みが消えるわけじゃない。不安もある。
旅を続ければ、きっとまた厄介事に巻き込まれるだろう。それでも。
こうして綺麗な景色を見るたびに思う。
世界は広い。
まだ見ていない場所がたくさんある。
知らない景色もたくさんある。
「次はどんな場所に行こうか」
俺が呟くと、ルナが顔を上げた。
『楽しいところがいい!』
『今度は平和な場所がいいわ』
ノアが即座に言う。
思わず笑ってしまった。
「同感だ」
海でも騒動。湖でも騒動。
次くらいは本当にのんびりしたい。
「レオルド、その願い、多分無理だぞ」
「言うな」
俺は苦笑しながら再び湖へ視線を向けた。
無数の灯りが静かに揺れている。
その中には、どこか見覚えのある水色の光も混じっている気がした。
もしかするとノクスレヴィアも、湖の底からこの景色を眺めているのかもしれない。
そんなことを思いながら、俺は時間を忘れて湖を見つめ続けた。
王都への帰路は明日。
湖畔都市ルグレイスで過ごす最後の夜は、無数の灯りに照らされながら静かに更けていった。




