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跡取りになれなかった公爵嫡男は、前世の夢だった“自由な旅”を選ぶ  作者: みのり
三章 湖畔の街ルグレイス

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第39話 湖の灯り

 ノクスレヴィアと盟約を交わしてから数日が過ぎた。

 《黒蛇》の騒動や湖の毒の件で慌ただしく過ごしていたが、その間にゆっくり観光する余裕はほとんどなかった。

 そのため王都へ帰る日を少しだけ延ばし、俺たちは久しぶりに何も考えず過ごしていた。

 リブは元いた海域へ帰っていった。

 別れ際に「また呼んでねー」と相変わらずの調子だったが、海での騒動から今回の湖の件まで随分助けられた。

 今度会った時は礼をしないとな。


「よし!今日は水遊びだー!」


 ルナが元気よく湖へ飛び込む。

 その後をノアが追いかける。


『あまり遠くまで行っちゃ駄目よー』


『はーい!』


 元気な返事だけが返ってくる。


「本当に元気だな」


「子供だからな」


 ライオネルが苦笑する。

 人気のない湖岸を選び、俺たちはのんびり過ごした。

 だが、それだけでは終わらない。


『ご主人ー!』


「ん?」


『手合わせしよう!』


 ルナが目を輝かせながら言った。


『私もやりたいわ』


 ノアまで賛成している。


「……ほどほどにしろよ?」


 そう言った結果、ボロボロになったのは俺だった。


「はぁ……」


 地面へ仰向けになる。

 空が綺麗だ。現実逃避したくなるくらいには綺麗だった。


『やったー!』


 ルナが尻尾を振り回して喜んでいる。


「まさか一本も取れないとはな」


 ロベルトが笑いを堪えている。


「笑うな」


 俺は思わず睨む。

 確かに手加減はされていた。だが負けは負けだ。


『ルナはまだまだ未熟よ』


 ノアが当然のように言う。


「……あれで?」


『ええ』


 ノアは頷いた。


『まだ子供だもの』


 そう言われると何も言えない。

 アルベルグの成獣を見たことはないが、希少種ともなれば普通の魔獣とは比べ物にならないのだろう。

 今でも十分強いのに、さらに強くなるらしい。

 将来が少し楽しみで、少し怖かった。


 そして帰る前日。

 俺たちは冒険者ギルドを訪れていた。

 ギルド長へ挨拶をするためだ。


「ああ、明日帰るのか」


 ギルド長が少し寂しそうに笑う。


「はい」


 俺も頷いた。


「観光もしましたし、美味しいものもたくさん食べましたから」


「そうか」


 ギルド長は椅子へ深く腰掛ける。


「君たちには本当に世話になった」


 湖の主の暴走。湖の毒。《黒蛇》の情報。

 短い滞在だったが、色々ありすぎた。


「またこちらへ来ることがあれば是非寄ってくれ」


「ええ。ノクスレヴィアともまた来る約束をしましたから」


「そうか」


 ギルド長は嬉しそうに頷いた。

 そして何かを思い出したように口を開く。


「そうだ」


「?」


「今日は祭りの日だ」


 祭り?初耳だ。


「年に一度の《湖の灯り》という祭りでね」


 ギルド長は窓の外へ視線を向ける。


「湖へランタンを流して豊作と平穏を祈る祭りだ」


「へぇ……」


 そんな祭りがあったのか。


「せっかくなら見ていくといい」


「そうします」


 帰る前に良い思い出になりそうだ。

 夕方。東の空がゆっくりと藍色へ染まり始める頃、俺たちは湖へ向かった。


「……すごい」


 思わず立ち止まった。

 湖一面に無数の灯りが浮かんでいた。

 小さなランタンが湖面を漂っている。

 風に揺られながらゆっくりと流れていく光景は、まるで星空が湖へ降りてきたようだった。


「綺麗だな……」


 ライオネルが小さく呟く。

 普段騒がしい彼が静かになるほどだった。

 周囲には多くの人がいる。

 家族連れ。恋人同士。友人同士。

 皆が静かに湖を見つめていた。

 騒がしい祭りではない。穏やかな祭りだ。

 ランタンの灯りが湖面へ映り込む。

 その光が波に揺れて幻想的な景色を作り出している。

 遠くでは楽器の音も聞こえた。

 優しい旋律だった。


「昼間とは全然違うな」


 昼の湖は壮大だった。青く広く力強い。

 だが夜の湖は違う。どこか優しく、温かい。

 人々の願いが灯りとなって浮かんでいるように見えた。


「……いい景色だな」


 自然とそんな言葉が漏れる。

 ここへ来て良かった。

 本当にそう思えた。

《黒蛇》の事件。ノクスレヴィアの暴走。湖の毒。

 大変なことばかりだった。

 だが、その全てを忘れさせるほどの景色が目の前にあった。

 風が吹くとランタンが揺れる。湖面に映る光も揺れる。

 その光景を眺めていると、不思議と心が落ち着いた。

 前世では見られなかった景色。

 病院のベッドからでは決して見られなかった世界。

 だからこそ余計に胸へ染みる。

「明日も頑張ろう」

 自然とそう思えた。悩みが消えるわけじゃない。不安もある。

 旅を続ければ、きっとまた厄介事に巻き込まれるだろう。それでも。

 こうして綺麗な景色を見るたびに思う。

 世界は広い。

 まだ見ていない場所がたくさんある。

 知らない景色もたくさんある。


「次はどんな場所に行こうか」


 俺が呟くと、ルナが顔を上げた。


『楽しいところがいい!』


『今度は平和な場所がいいわ』


 ノアが即座に言う。

 思わず笑ってしまった。


「同感だ」


 海でも騒動。湖でも騒動。

 次くらいは本当にのんびりしたい。


「レオルド、その願い、多分無理だぞ」


「言うな」


 俺は苦笑しながら再び湖へ視線を向けた。

 無数の灯りが静かに揺れている。

 その中には、どこか見覚えのある水色の光も混じっている気がした。

 もしかするとノクスレヴィアも、湖の底からこの景色を眺めているのかもしれない。

 そんなことを思いながら、俺は時間を忘れて湖を見つめ続けた。

 王都への帰路は明日。

 湖畔都市ルグレイスで過ごす最後の夜は、無数の灯りに照らされながら静かに更けていった。

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