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跡取りになれなかった公爵嫡男は、前世の夢だった“自由な旅”を選ぶ  作者: みのり
三章 湖畔の街ルグレイス

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第36話 暴走

 湖の中心部から、巨大な黒い影がゆっくりと姿を現した。

 轟音と共に湖面が盛り上がり、何十メートルもの水柱が空へ向かって吹き上がる。


「なっ……!」


 思わず息を呑んだ。

 間違いない。湖の主、ノクスレヴィアだ。

 だが、その様子がおかしい。

 先ほど浄化したはずなのに、濃紺の鱗には再び黒い毒素が絡みついている。

 黄金の瞳も濁り、苦しそうに揺れていた。


『グァアアアアアアアアア!!』


 悲鳴にも似た咆哮が湖全体に響く。

 その衝撃だけで湖面が大きく荒れ狂った。

 観光用の船が横転しそうになり、人々の悲鳴が街中へ広がる。


「さっき毒を消したばかりだぞ!?」


 ロベルトも信じられないという顔をしていた。

 俺も同じ気持ちだ。あの時、確かに毒は消えていた。

 ノクスレヴィアも正常だった。

 それなのに、何故。


「原因は後だ!」


 今は街を守る方が先だ。

 俺はすぐに指示を飛ばした。


「ノア!湖と街の間に結界を張ってくれ!」


『了解よ!』


 ノアの身体から大量の魔力が溢れ出す。

 次の瞬間、半透明の巨大な結界が湖畔沿いに展開された。


『ルナ!リブ!逃げ遅れた人を運ぶわよ!』


『はーい!』


『任せてー!』


 二匹は同時に飛び出した。

 ルナは狼の姿で人々を背中へ乗せて運び、リブは転移を使いながら逃げ遅れた者たちを結界の内側へ移動させていく。

 その間にもノクスレヴィアは暴れ続けていた。

 巨大な尾が湖面を叩くたびに津波のような波が発生する。


『ガアアアアアアアッ!!』


 苦しそうだ。まるで助けを求めているようにも見える。


「ライオネル!ノクスキャット!」


 俺が呼ぶと、二人はすぐに前へ出た。


「浄化と回復をもう一度頼めるか!?」


「問題ない!」


『可能です』


 ノクスキャットが真剣な表情で続ける。


『ですが、先ほどより毒が濃く見えます』


「どのくらいだ?」


『浄化にはかなり時間が必要かと』


 嫌な予感しかしない。だが、やるしかない。


「頼む!時間が掛かってもいい!」


 ノクスキャットも浄化魔法を発動した。

 白銀の光と黄金の光が重なり、ノクスレヴィアを包み込む。

 だが――。


『ガアアアアアアア!!』


 暴走は収まらない。

 むしろ勢いは増しているように見えた。


「毒の量が多すぎる!」


 ライオネルが歯を食いしばる。


「ロベルト!」


「ああ!」


 俺たちは街側へ向かった。

 もし結界が破られれば被害は甚大だ。

 避難誘導と怪我人の救助を優先する。

 幸い、ルナとリブのおかげでほとんどの住民は結界内へ避難できていた。

 だが、パキッ――。

 小さな音が聞こえる。

 振り返るとノアの結界に亀裂が入っていた。


「まずい……!」


 ノクスレヴィアの攻撃を受け続けているせいだ。


「ノア!あとどれくらい持つ!?」


『持って五分ね!それ以上は無理!』


 五分。短い。

 俺はライオネル達へ視線を向けた。


「あとどれくらいだ!?」


「分からん!」


『五分では終わりません!』


 最悪だ。

 結界が先に壊れる。街は守れない。

 俺は大きく息を吐いた。仕方ない。

 あまり見せたくなかったが――。


「俺が結界を引き継ぐ」


 空間魔法を展開した。大量の魔力が放出される。


「空間結界」


 透明な壁が空へ向かって広がる。

 ノアの結界を覆うように、新たな結界が形成された。

 ギルド職員や冒険者たちが驚いた顔をしている。

 気にしている余裕はない。今は維持が最優先だ。俺は全神経を結界へ集中した。

 ノクスレヴィアが暴れるたび衝撃が伝わってくる。

 維持するだけでも相当な魔力を消費する。

 時間の感覚が曖昧になる。

 五分か。十分か。

 あるいはもっと経ったのかもしれない。

 その時だった。


「……止まった?」


 ロベルトが呟く。

 見ると、暴れていたノクスレヴィアが静かになっていた。

 巨大な身体が湖面へ沈み、荒れていた湖も落ち着きを取り戻している。


「終わったのか?」


 結界を維持したまま振り返る。

 ライオネルが大きく息を吐いた。


「ああ。浄化も回復も終わった」


『毒は完全に除去しました』


 どうやら成功したらしい。

 俺は結界を解除した。

 一気に疲労が押し寄せる。


「お疲れ、レオルド」


「そっちもな。ノクスキャットもありがとう」


『お役に立てたなら何よりです』


 そう言うと、ノクスキャットは静かに姿を消した。かなり疲れていたようだ。後で礼を考えないとな。

 湖へ視線を向ける。

 ノクスレヴィアが頭だけを出してこちらを見ていた。先ほどまでの狂気はない。

 黄金の瞳も澄んでいる。


「調子はどうだ?」


『二度も助けてもらったな』


 ノクスレヴィアが小さく笑う。


『感謝する』


「気にするな。それより聞きたいことがある。なぜまた毒に侵された?」


 ノクスレヴィアは少し沈黙した。


『お前たちが去った後だ』


 その声には怒りが混じっていた。


『久しぶりに穏やかな気持ちで湖を見ていた。すると、対岸から大量の毒が流された』


「対岸……?」


『今までのように少しずつではない。一度に大量だった』


 その言葉に背筋が冷える。


『湖を守らねばと思った』


 ノクスレヴィアは目を閉じる。


『毒を全て取り込もうとして……気付けば理性を失っていた』


 つまり。

 犯人が再び毒を撒いたということだ。

 しかも、俺たちが浄化した直後に。


「誰がやったか分かるか?」


『分からぬ』


 ノクスレヴィアは首を振った。


『だが、対岸からだったことだけは確かだ』


「今は休め」


『ああ』


 巨大な身体がゆっくり湖へ沈んでいく。


『ありがとう、人の子よ』


 そして姿が見えなくなった。


 俺たちはすぐに対岸へ向かった。

 ルナたちが見つけた隠し通路を使い、森の中を進む。

 一時間ほど歩き、対岸へ到着した。

 辺りを見回す。

 すると――。


「……いた」


 湖の岸辺に小型ボートが停泊していた。

 その近くには黒いローブを纏った人影が二つ。

 俺は咄嗟に木陰へ身を隠した。

 俺は魔眼を発動した。視界の端に文字が浮かぶ。


《黒蛇》


 やはりか。

 海での事件。ティルの件。そして今回の毒。

 黒ローブの二人は何かを確認すると、足早に森の中に去っていく。

 

「追うな」


 俺は小さく首を振った。


「今の俺たちだけで相手をするには情報が足りない」


 相手の規模も目的も分からない。無理をする場面じゃない。


「ギルドへ戻るぞ」


 まずは報告だ。

《黒蛇》がこの街にも関わっている。

 それだけでも十分な収穫だった。

 俺たちは気配を消しながら森を後にし、急いでルグレイスの冒険者ギルドへ向かった。

読んでいただきありがとうございます!

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