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跡取りになれなかった公爵嫡男は、前世の夢だった“自由な旅”を選ぶ  作者: みのり
三章 湖畔の街ルグレイス

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第34話 湖に潜むもの

 遊覧船は湖を一周するのに二時間ほどかかるらしい。

 せっかくなので俺たちは甲板に出て、湖の景色を眺めながらゆっくり過ごしていた。

 湖畔都市ルグレイスはどこから見ても美しい街だった。

 湖沿いに並ぶ白い建物。

 湖面を渡る風。

 夕陽を反射して黄金色に輝く水面。

 陸から見る景色とはまた違う美しさがある。


「いやぁ、乗って正解だったな」


「完全に観光気分だなお前」


「調査も兼ねてるって言ってるだろ?」


 ライオネルが誤魔化すように笑う。

 ロベルトは呆れたように肩を竦めていた。


「まぁ、確かに上からだと湖全体が見やすいな」


「だろ?」


 そんな会話をしながら景色を眺めていた時だった。

 湖の底を見た瞬間、僅かだが妙な感覚を覚えた。


「……ん?」


 俺は目を細める。

 青く透き通った綺麗な湖。

 観光客たちは感嘆の声を漏らしている。

 だが、俺の魔眼には別のものが映っていた。

 湖底付近に、薄く漂う黒い靄。


「レオルド?」


「少し静かに」


 魔眼に集中する。

 すると、靄の正体が分かった。


「……毒?」


 本当に微量だ。

 普通ならまず気づかない。

 だが確かに湖の底から毒素のようなものが広がっている。


「どうした?」


「湖に毒がある」


 二人の顔色が変わった。


「マジか?」


「見た目は普通なのに……」


 そう。湖は驚くほど綺麗だ。

 むしろ透明度は高いくらいだった。

 だからこそ不気味だった。

 これほど大量の水がある湖なら、普通は毒が拡散してもっと濁る。

 だが、この湖は違う。

 まるで何者かが意図的に毒を抑え込んでいるようだった。


「これは一度潜って調べる必要がありそうだな……」


 遊覧船が港へ戻る頃には、空はすっかり夕焼け色に染まっていた。


 翌朝。

 宿の食堂で軽く朝食を済ませた俺たちは、再び湖へ向かっていた。


「さて、湖に潜りたいんだけど……問題は場所だな」


 湖周辺は朝から人が多い。

 観光客だけでなく漁師の姿もある。

 空間魔法を使って潜るところを見られるのは避けたい。


「人目がない場所かぁ。この辺じゃ厳しいな」


 ライオネルが湖の向こう側を眺める。


「対岸まで行ければ良さそうだけど、どうやって行くんだ?」


『それなら道があったわよ』


 突然、ノアが口を開いた。


「道?」


『昨日、水遊びしてる時に見つけたの。隠されてるみたいだったから、少し気になって』


 その言葉に俺たちは顔を見合わせる。

 隠された道。

 しかも湖周辺。偶然とは思えない。


「案内してくれるか?」


『もちろん』


 ノアとルナに付いて行くと、街外れの森の中へ入っていった。

 しばらく進むと、木々の間に不自然な空間が現れる。

 人一人が十分通れるほどの道だった。

 しかも周囲には隠蔽魔法の痕跡がある。

 普通に歩いていたらまず気づかない。


「よく見つけたな」


『水遊びに飽きて探索してたら偶然ね』


『面白そうだったから進んでみたんだー』


 ルナが楽しそうに尻尾を振る。

 ……結果的には大手柄だ。


 森の中を歩くこと約一時間。

 湖の対岸へ到着した。

 こちら側は観光客もおらず、かなり静かだった。


「ここなら人目は大丈夫そうだな」


「だな」


 召喚魔法でリヴを呼び出す。

 魔法陣が淡い光を放ちながら消えると、リヴが姿を現した。


『呼んだー?』


 相変わらず気の抜ける声だ。


「この湖に毒が撒かれてるらしいんだけど、何の毒か分かるか?」


『毒ぅ?……あー』


 リヴは湖へ視線を向け、少しだけ表情を曇らせた。


『これ、海で撒かれてたのと同じだね』


「……やっぱりか」


 予想はしていた。

 だが確定すると面倒さが増す。

《黒蛇》。

 あの連中、本当にどこにでもいるんだな。


「つまり《黒蛇》が関わってるってことか?」


『うん。しかもこの湖、主がいるみたい』


「主?」


『だいぶ毒に侵されてるけどね。このままだと近いうちに暴れ出すかも』


 最悪だ。

 もし湖の主が暴走したら、この街は大混乱になる。


「ちなみに、その主ってどんな魔獣なんだ?」


『ノクスレヴィア。湖の底に住む大きな蛇だよ』


 蛇型か。

 湖の主としてはかなり厄介そうだ。


『本来は大人しいんだけど、毒に冒されてるからティルみたいになる可能性があるね』


「……それは止めないとまずいな」


 ティルの件を思い出しながら頭を押さえる。

 暴走した上位種がどれほど危険かは既に知っている。


「湖に潜っても問題ないか?」


『ご主人の空間魔法があれば平気だよ。心配なら戻ってきてエーテルキャットに浄化させれば大丈夫』


「分かった」


 俺は二人へ視線を向けた。


「行くぞ」


「ああ」


「了解」


 空間魔法を展開し、周囲を覆い湖の中に入っていく。

 湖の中は驚くほど静かだった。

 水は澄んでいる。

 だが、生き物の気配が薄い。

 普通なら魚の群れがいてもおかしくない。

 なのに、ほとんど見当たらなかった。


「……酷いな」


 たまに見かける魚も、弱り切っている。

 まともに泳げていない個体までいた。

 このままなら、近いうちに湖の生態系そのものが壊れる。


「リヴ、主の居場所はわかるか?」


『うん、こっちだよー』


 リヴの後を追い湖の底へと進んでいく。

 進めば進むほど、水中の空気が重くなる。

 魔眼には黒い毒素がはっきり映っていた。


 三十分程で湖底へ辿り着いた。

 そこには巨大な岩場があり、さらに奥。

 岩陰に隠れるように結界が張られている。


「結界……?」


 近づいた瞬間、俺たちは息を呑んだ。

 そこにいたのは、巨大な蛇だった。


 黒に近い濃紺の鱗。

 湖の底でも分かるほど巨大な身体。

 黄金色の瞳。

 間違いない。

 この湖の主だ。

 だが、その姿は異常だった。

 鱗の一部が黒く変色している。

 呼吸も荒い。

 明らかに弱っていた。


『かなり侵食されてるね……』


 リヴの声にも緊張が混じる。

 主の様子を窺っていると巨大な蛇の瞳がゆっくりと開く。

 黄金の瞳が、真っ直ぐこちらを見つめた。

 ――次の瞬間。

 湖全体が震えるような重圧が放たれた。

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