第32話 世界最大の湖
王都のランハード公爵邸へ戻ってきてから数ヶ月。
一年に一度行われる収穫祭も終わり、王都には少しずつ秋の気配が漂い始めていた。
庭園の木々は薄く色づき始め、朝晩は上着が欲しくなるくらいには冷える。
そんなある日。
「そろそろ次に行く場所を決めるか」
剣の稽古を終え、東屋で休憩していた時だった。
ロベルトが焼き菓子を齧りながらそんなことを言い出す。
向かいにはリュシカもいて、侍女のエリーが淹れてくれたお茶を飲みながら俺たちは次の旅先について話し始めた。
「そうだな。収穫祭も終わったし、そろそろ出発しようか」
「次はどこ行くんだ? っていうかライオネルも誘わないと後で絶対文句言うよな」
「だろうなぁ……」
王都へ戻ってきてからのライオネルは少し不憫だった。
帰還直後、父上に捕まり、そのまま王宮へ連行。
国王陛下と王妃陛下から数時間説教されたらしい。
しかも正式に王位継承権を返上したことで、今は“王族ではあるが王位継承権を持たない王子”という微妙な立場になっている。
政治的権力はないが王都にいる間は陛下の秘書として書類整理の手伝い。
実質、王宮へ閉じ込められているような状態だった。
週に一度の休みになると、疲れ切った顔でランハード公爵邸にやって来ては愚痴をこぼしている。
正直、自業自得だと思う。
「次は西の隣国、シュリベリア王国に行こうと思う」
「シュリベリア?」
「世界最大の湖がある国だよ。ラグナ大湖って呼ばれてるらしい」
「へぇー」
ロベルトが感心したように声を洩らす。
前世で海は知っていた。
だが、“世界最大の湖”なんて実際に見たことはない。
だから少し気になっていた。
「湖畔都市ルグレイスって街があるらしくてな。景色がかなり綺麗なんだとか」
「いいな。じゃあ決まりだな」
「兄上たち、今度は湖へ行かれるのですか?」
向かいで話を聞いていたリュシカが目を輝かせる。
「ああ」
「帰ってきたら、また連れて行ってください。その……ミシュリーネ嬢と一緒に」
「おっ、婚約者との旅行希望か?」
「ろ、ロベルトさん!」
顔を真っ赤にして慌てるリュシカを見て思わず笑ってしまう。
ミシュリーネ嬢はラスターネ侯爵家の次女で、リュシカと同い年。
茶会で知り合い、お互い一目惚れしたらしい。
未だ成人を迎えていないため結婚はしていないが近い将来結婚するらしい。貴族としては珍しく恋愛結婚だ。
魔眼で確認した限り、性格にも問題はない。
とても良い子だった。
「ああ、楽しみにしてろ。帰ってきたら連れて行ってやる」
「はい!」
嬉しそうに頷くリュシカを見ていると、こっちまで少し嬉しくなる。
「さて、じゃあ王宮に行ってライオネルを誘ってくるか」
誘わずに出発すると絶対に後で面倒なことになる。
王宮へ向かうと、顔パス同然でライオネルの部屋まで通された。
扉を開けると、ソファへだらしなく座り込んでいるライオネルがいた。
「お疲れのようだな」
「あー……レオルド、ロベルト。手伝いに来てくれたのか?」
「王族の政務なんて手伝わないよ」
「冷たい」
「そろそろ次の旅に出ようと思ってな。状況確認しに来ただけ」
「何っ!?」
死にそうだった顔が一瞬で生き返る。
「今すぐ行こう!」
「いや、陛下の許可は?」
ライオネルの動きが止まった。
「黙って出て行ったら、また説教コースだぞ」
「……しょうがない。聞いてくるか」
項垂れながら部屋を出ていく。
その背中が妙に哀愁を漂わせていて少し笑ってしまった。
一時間後、ライオネルは戻ってきた。
「許可もらった」
「意外と早かったな」
「名前だけの王族だからな! もう好きにしろって言われた!」
陛下……諦めたんだろうな。
「じゃあ一週間後な。準備整えてまた来る」
「おう!」
一週間後。
準備を整えた俺たちは、シュリベリア王国へ向けて出発した。
ラグナ大湖まで徒歩で約三ヶ月。
到着する頃には冬になっている。
道中、大きなトラブルもなく無事に国境を越える。
シュリベリア王国へ入ってまず驚いたのは景色だった。
どこまでも続く広大な草原。
ジェノーバ王国とはまた違う景色だ。
風に揺れる草はまるで波のように広がり、その中で牛や羊がのんびり草を食べている。
「うわぁ……」
リュシカを連れてきたら喜んだだろうな。
『ご主人! 見て見て!』
ルナが草原を駆け回りながら戻ってくる。
相当気に入ったらしい。
『いっぱい獲物いる!』
視線の先には放牧中の牛。
「待て待て待て」
『えー?』
「あれは人に飼われてる家畜だから勝手に狩っちゃダメ」
『むぅー……今日の晩御飯によさそうなのに』
「勝手に狩ったら俺が捕まる」
『むー……』
不満そうだ。
仕方ないので今日は夕飯の肉を少し多めに出す約束をすると機嫌が直った。
単純で助かる。
草原を抜け、小さな村に泊まりながら更に南へ進む。
道中見える景色はどれも穏やかだった。
放牧風景。
草原を走る馬。
風車。
夕日に染まる丘。
前世ではこんな景色を見る機会なんてほとんどなかった。
病院の白い天井ばかり見ていた俺にとって、この世界はどこを見ても新鮮だった。
そして数日後。
丘を越えた瞬間だった。
「……!」
思わず言葉を失う。
視界いっぱいに広がっていたのは、どこまでも続く青だった。
世界最大の湖、ラグナ大湖。
遥か向こうには山影が霞んで見える。けれど、その距離がどれほどあるのかまるで想像できない。
空を映した湖面は深い青に染まり、吹き抜ける風に合わせて無数の光が揺れていた。
湖畔では白い鳥たちが旋回し、さらに遠くには小さな帆船の姿も見える。
「すごいな…」
「ああ、湖ってこんなに広い場所もあるんだな…」
ロベルトの言葉に思わず頷く。
視界の端から端まで水面が広がっている。
どこまで行っても終わりが見えない。
ただ“広い”という言葉だけでは足りなかった。
胸の奥を掴まれるような感覚に、自然と息を呑む。
前世でも、今世でも。
こんな景色は見たことがない。
気づけば、俺たちはしばらくその場に立ち尽くしていた。
読んでいただきありがとうございます!
面白いと思ったら⭐︎を押していただけたら投稿の励みになります☆彡




