第31話 次の景色へ
港街での騒動から数ヶ月。
密輸組織《黒蛇》による事件も収束し、暴れていた海の主ティルも落ち着きを取り戻した。
冬を越え、新しい年を迎える頃には、壊れていた港もすっかり修復され、街には再び活気が戻っていた。
漁船が行き交い、屋台からは焼き魚の香りが漂う。
初めて見た海は、春になってもやはり綺麗だった。
そんな穏やかな日々を過ごしていたある日、俺たちは一度王都へ戻ることを決めた。
父上との約束があるからだ。
次の目的地へ向かう前に、一度は帰る。
それが旅へ出る時に交わした条件だった。
「ラナ。俺たち、そろそろ王都へ戻るけど、ラナはどうする?」
そう問いかけると、ラナが目を丸くした。
「……戻る?」
「うん。一度、家に帰るんだ」
今俺たちはカナルア公爵邸へ来ていた。
港での騒動後、ラナはここで暮らしている。
最初は短期間だけのつもりだったらしいが、セレナ様が随分気に入っているようで、そのまま滞在することになったのだ。
「ラナが望むなら、一緒に王都へ行ってもいい」
旅へ同行させるのは正直悩ましい。
危険も多い。
だが、王都までなら問題ないだろう。
そう思って提案したのだが――ラナは少し俯いた後、小さな声で言った。
「……わたし、ここで働きたい」
「ここで?」
「セレナお姉ちゃんの侍女になりたい……」
不安そうにこちらを見る。
「ダメ……かな?」
その気持ちは嬉しい。
けれど、侍女として雇うかどうかはカナルア公爵家が決めることだ。
「セレナ様はどうですか?」
俺が聞くと、セレナ様は優雅に微笑んだ。
「ラナが望むのでしたら、私は構いませんわ」
その言葉にラナの顔がぱっと明るくなる。
「本当!?」
「ええ。ただし、働く以上は給金も発生します。今までのように甘やかすだけではありませんわよ?」
「はい!」
ラナは勢いよく頷いた。
「頑張ります!」
最初に会った頃の怯えた様子はもうない。
少しずつだが、確実に前へ進んでいる。
「じゃあ、次に会う時は立派な侍女になってるかもな」
「うん!」
ラナが嬉しそうに笑う。
「絶対頑張る!」
「無理しすぎるなよ」
「はい!」
その返事を聞きながら、なんだか少しだけ寂しくなった。
けれど同時に安心もしていた。
ラナにはもう帰る場所がある。
守ってくれる人もいる。
だからきっと大丈夫だ。
「それで、あなた方はいつ出発されますの?」
セレナ様が紅茶を口にしながら聞いてくる。
「お見送りくらいはいたしますわ」
「いつにする?」
ロベルトたちを見る。
「決めてなかったのかよ」
「いや、転移で帰れるし」
「便利すぎるだろ、その魔法」
ライオネルが呆れたように肩を竦めた。
「俺はここで待っていてもいいんだが」
「お前は帰って怒られろ」
どう考えても勝手に王宮を飛び出してきた問題児だからな。
「家にお土産買って帰りたいし、明日か明後日くらいでいいんじゃないか?」
「そうだな」
少し考えてから頷く。
「じゃあ明後日にしよう」
「決断が急ですわね」
セレナ様が苦笑する。
「まあ、あなた方らしいですが」
「帰る前にまたここへ寄ってください。ランハード公爵と国王陛下にお手紙を書きますので」
「待て。父上には書かなくていい」
ライオネルが慌てて口を挟んだ。
だがセレナ様は楽しそうに微笑む。
「あまり怒られないよう書いて差し上げようと思いましたがしっかりとお説教するように書きますわね」
「是非そうしてください」
「レオルド!?裏切り者!!」
必死なライオネルに、思わず笑ってしまう。
「ふふ。あまり怒らないように書いて差し上げます」
「助かる……」
「ですが、あまり勝手な行動はなさらない方がよろしいかと。王宮中が大騒ぎだったそうですので」
「あー……やっぱり」
そりゃそうだ。
第一王子が突然消えたのだから。
二日後。
俺たちは海猫亭へ別れの挨拶を済ませ、カナルア公爵邸へ向かっていた。
「また来てくださいね!」
女将さんが手を振ってくれる。
「次はもっと長く泊まっていけよ!」
主人も笑いながら見送ってくれた。
本当に良い宿だった。
公爵邸へ到着すると、既にセレナ様とラナが待っていた。
「こちらがお手紙ですわ」
「ありがとうございます」
「ランハード公爵と国王陛下宛、それぞれ分けてあります」
ライオネルが露骨に嫌そうな顔をした。
「大丈夫ですよ。そこまで酷くは書いてませんから」
「本当か?」
「ええ。“密輸船ではお世話になったので程々に”程度ですわ」
「程々でもそれなりにはお説教が…」
ライオネルは暗い顔して俯いてしまった。
「それでは皆様、お元気で」
セレナ様が優雅に礼をする。
「こちらこそお世話になりました」
「ラナも頑張れよ」
「うん!」
ラナが何度も頷く。
「次会う時はもっと立派になるから!」
「ああ、楽しみにしてる」
すると、ふと気配が現れた。
「カゲ、いるんだろ?」
「はっ」
影から黒装束の男が現れる。
相変わらず突然出てくるな、この人たち。
「お前はどうやって帰るんだ?」
「我らは徒歩です」
「転移系魔法とかないのか?」
「持っておりません」
少し考えてから言う。
「じゃあ一緒に帰るか」
「……よろしいのですか?」
「一人増えても大して変わらない」
「では、お言葉に甘えます」
そうして俺たちは別れを済ませ、公爵邸の外へ出た。
潮風が吹く。
青い海が視界いっぱいに広がっていた。
初めて見た海。
前世では見ることすらできなかった景色。
ずっと憧れていた場所。
「……綺麗だな」
思わず呟く。
「次はどんな景色が待ってるんだろうな」
山か。
雪国か。
異国の街か。
まだ見ぬ景色はきっとたくさんある。
だから旅は終わらない。
「じゃあ、帰るか」
転移魔法を発動する。
景色が歪み、一瞬で視界が切り替わった。
次の瞬間。
見慣れたランハード公爵邸の庭が目の前に広がる。
一年ぶりくらいだろうか。
懐かしい。
そして、やっぱり少し安心する。
俺は自然と笑みを浮かべた。
「ただいま」
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