第29話 海魔獣②
轟音と共に海面が爆ぜた。
大量の海水が雨のように降り注ぎ、港に停泊していた船が激しく揺れる。
「きゃあああっ!?」
「海魔獣だ!!」
悲鳴が響き渡る中、海から現れた“それ”の姿が露わになった。
蛇のように長い体。
深海を思わせる濃紺の鱗。
金色の瞳。
そして頭部から伸びる黒曜石のような二本の角。
港街近海を支配する主級海魔獣――ノクティルカ。
だが、明らかに様子がおかしい。
本来、海の主は無闇に人を襲わない。縄張りへ近づかなければ姿を見せることすら滅多にない存在だ。
なのに今目の前にいるノクティルカは、黒い魔力を全身から噴き出しながら暴れている。
まるで理性を失っているかのように。
「……暴走、してる?」
隣でセレナ様が顔を強張らせる。
ノクティルカが低く唸った瞬間、海面に無数の魔法陣が浮かび上がった。
「まずいっ!」
直後、数え切れないほどの水槍が港へ向けて放たれる。
「ノア!!」
俺の声に反応し、黒猫姿のノアが前へ飛び出した。
次の瞬間、漆黒の魔力が広がる。
闇の壁が港全体を覆い、水槍が次々と突き刺さった。
轟音。
衝撃。
だが、水槍は闇壁を突破できない。
「助かった……」
「だが、あの数は長くは防げんぞ!」
港にいた冒険者たちが武器を構える。
しかし誰も前へ出られない。
当然だ。
相手は港の海を縄張りにする主級海魔獣。
下手に刺激すれば港そのものが消し飛ぶ可能性すらある。
その時だった。
魔眼が再び反応する。
ノクティルカの首元。
鱗の隙間に、黒い杭のようなものが突き刺さっているのが見えた。
「……あれか」
「レオルド?」
「あれが暴走の原因だ」
あの黒い魔力には見覚えがある。
密輸船で見つけた違法薬物と同じ気配。
「誰かが無理やり海の主を暴走させたんだ」
「逃げた連中か!?」
「多分な」
わざと薬物を海へ流し、主を暴走させて港ごと混乱させるつもりだったのだろう。
本当に迷惑極まりない。
「リヴ、水魔法で治療しながら杭を抜けそうか?」
『エーテルキャットの治癒魔法と合わせればいけると思うよ』
「分かった。エーテルキャット、治癒魔法を頼む。ライオネルも手伝ってくれるか?」
「任せろ」
ライオネルが前へ出る。
光と水の魔力が広がり、エーテルキャットも淡い治癒光を放った。
『行くわよ』
『任せて』
ノアとリヴが海面を蹴る。
そのまま一直線にノクティルカの身体を駆け上がった。
巨大な体躯を登る二頭の姿に、周囲から息を呑む声が聞こえる。
ノクティルカが暴れようとするが、治癒魔法の影響か動きが鈍い。
『今よ!』
ノアの声と同時に、リヴが身体強化を発動。
巨大な杭へ牙を突き立てる。
次の瞬間。
黒い杭が引き抜かれた。
同時に、濃密だった黒い魔力が霧散していく。
ノクティルカが苦しそうに咆哮を上げた。
だが先ほどまでの暴力的な気配は徐々に薄れていく。
『ご主人、杭は抜いたよ!』
「ありがとう!」
そこからしばらく治癒魔法を続ける。
暴れていたノクティルカは徐々に静かになり、やがて大人しく海面へ顔だけを出した。
『もう大丈夫そうね』
リヴがそう判断した瞬間、港全体に安堵の空気が広がった。
漁船は何隻か壊された。
岸壁にも被害が出ている。
だが――死者はいない。
それだけでも奇跡だった。
「ライオネル、エーテルキャット。ありがとう」
「はぁ……久しぶりに本気で魔法を使った……」
ライオネルが肩で息をしながら地面へ座り込む。
かなり魔力を使ったらしい。
「助かったよ」
「当然だ」
そう言いながらも疲労は隠せていない。
さて、問題はここからだ。
ノクティルカは正気に戻った。
だが、一度暴れ被害を出した以上、このまま放置するわけにもいかない。
「このまま討伐するのは簡単だが……」
『それをすると数年はこの辺りの漁が壊滅するね』
リヴが真面目な声で言った。
『主がいなくなると生態系が崩れるから』
やっぱりそうか。
主はただ強いだけの存在じゃない。
海全体の均衡を保っている存在なのだ。
『従魔にしてしまった方がいいと思うよ』
「リヴもそう思うか?」
『ご主人が生きている間は、今まで通り海を守れるから』
なるほど。
それが一番被害が少ない。
俺はゆっくりノクティルカへ近づいた。
巨大な金色の瞳がこちらを見る。
威圧感は凄い。
だが、敵意はない。
「ノクティルカ」
海面が静かに揺れる。
「俺と従魔契約しないか?」
一瞬、沈黙。
次の瞬間。
ノクティルカの額に魔法陣が浮かび上がった。
従魔契約成立の証。
「了承……してくれるんだな」
俺は思わず苦笑する。
まさか本当に契約できるとは。
「ありがとう。お前の名前はティルだ。ティルでどうだ?」
ノクティルカ――いや、ティルがゆっくり目を細めた。
『ティル……か』
低く響く声が頭の中へ届く。
『懐かしいな』
「懐かしい?」
『昔にもいた』
ティルはゆっくりと語る。
『お前と同じ雰囲気を持つ人間が』
同じ雰囲気。
もしかしたら、ランハード家の先祖かもしれない。
俺の持つ適正はランハード家の血筋にしか現れないと聞いている。
「そうか」
ティルが静かに頷く。
『よろしく頼む。新たなご主人』
「ああ。こちらこそよろしく」
俺は海を見渡した。
壊れた船。
荒れた港。
だが、最悪の事態は避けられた。
「ティル。無理にここを離れなくていいからな」
『うむ』
「この海をこれまで通り守ってくれ」
『了承した』
ティルが静かに身体を反転させる。
『海で困り事があればいつでも呼べ』
「ああ」
『我は少し疲れた。寝ぐらへ戻る』
「ゆっくり休め」
ティルは巨大な尾を揺らし、ゆっくり海の奥へ消えていった。
静かになった海を見ながら、ロベルトがぽつりと呟く。
「なあレオルド」
「ん?」
「お前、またとんでもない従魔増やしたな」
「……否定できない」
ルナ、ノア、リヴ。
そこへ海の主ティルまで加わった。
これ、もう普通の冒険者じゃない気がする。
そんなことを思っていると、セレナ様が小さく笑った。
「本当に規格外ですわね、あなた方は」
「レオルドだけですよ、規格外は」
「…、否定できないが否定したい」
複雑な気持ちで静かになった海を見る。
港へ吹く潮風は、もう荒れていなかった。
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