第3話 鑑定の儀(回想①)
十歳の誕生日を迎えたその日、俺は息苦しいほどの緊張の中にいた。
朝から屋敷の空気が、いつもと違う。
使用人たちは普段通りに動いている。廊下も、食堂も、庭も、見慣れたランハード公爵邸そのものだ。それなのに、どこか全体が静かに張り詰めているように感じた。
理由は分かっている。
今日、俺の鑑定の儀が行われるからだ。
この世界では、平民も貴族も関係なく、十歳になると適正魔法を調べる。それが鑑定の儀。
平民は月に一度、教会に集まり神官の立ち会いのもとで受ける。貴族の場合は少し違い、誕生日当日に屋敷へ神官を招き、家族や関係者の前で行うのが通例だった。
普通の家なら、それは子の将来を占う一つの節目にすぎない。
けれど、俺にとっては違う。
ランハード公爵家は、ジェノーバ王国における四大公爵家の一つだ。
火、水、風、地。
王家を支える四つの大魔法を司る家系。その中で、ランハード家は代々火魔法の適正を持つ者が当主の座についてきた。
つまり、俺がこの家の跡取りであり続けるためには、火魔法の適正が必要なのだ。
長男として生まれた以上、当然のようにそれを期待されている。
いや、誰かに強く押しつけられたわけではない。父上も母上も、無理をしろとは言わなかった。使用人たちも、俺を責めるような目で見たことは一度もない。
それでも俺は、ずっと思っていた。
長男なのだから。
ランハード公爵家に生まれたのだから。
父上のように、領民に慕われ、この国を支える存在にならなければならないのだと。
だから、幼い頃から勉学に励んできた。
歴史、政治、領地経営、礼儀作法、魔法理論。
遊びたいと思った日がなかったわけではない。庭で弟のリュシカが笑っている声を聞きながら、机に向かったことも一度や二度ではなかった。
それでも、やめなかった。
父上の背中を見ていたからだ。
公爵として臣下に慕われ、領民の暮らしを考え、王国のために働く父上。
そんな姿に憧れていた。
俺もいつか、あの人のようになりたい。
そう思っていた。
――けれど。
本音を言えば、長男として生まれたくなかったと思ったこともある。
公爵家でなければ。
跡取りでなければ。
火魔法の適正を期待される立場でなければ。
冒険者と呼ばれる者たちのように、各地を旅してまわることもできたのだろうか。
見たことのない街を歩き、知らない土地の料理を食べ、遠い国の景色を自分の目で見る。
そんな生き方に、憧れがなかったと言えば嘘になる。
でも、それは心の奥にしまい込んだ。
俺はランハード公爵家の長男なのだから。
自由を望むことさえ、どこか許されない気がしていた。
「レオルド、顔が硬いぞ」
声をかけられて顔を上げると、そこにはライオネル殿下がいた。
ジェノーバ王国第一王子。
俺より一月早く十歳になった、幼馴染でもある。
王族らしい金の髪に、澄んだ青い瞳。黙っていれば絵画に描かれる王子そのものなのに、俺の前では昔から遠慮がない。
「……硬くもなりますよ」
俺がそう答えると、ライオネル殿下は苦笑した。
「まあ、無理もないか。だが、心配するな。お前がどれだけ頑張ってきたか、俺は知っている」
「殿下……」
「神も見ているはずだ。きっと火魔法の適正を授けてくれる」
その言葉は、励ましだった。
実際、ライオネル殿下はずっと俺を見てきた。
王宮で共に学ぶ日も多く、俺がどれだけランハード家の跡取りとして努力してきたかも知っている。
だからこそ、その言葉は嬉しかった。
嬉しかったのに――胸の奥が、さらに重くなった。
期待されている。
父上にも、母上にも、使用人たちにも、そして王太子である幼馴染にも。
その期待に応えられなかったら、俺はどうなるのだろう。
いや、俺だけではない。
ランハード家は。
父上は。
母上は。
弟のリュシカは。
「……ありがとうございます」
どうにか笑みを作って答える。
ライオネル殿下は俺の肩を軽く叩いた。
「大丈夫だ。お前なら」
その何気ない一言に、俺は小さく頷くことしかできなかった。
やがて、鑑定の儀の時刻が近づいた。
案内されたのは、公爵邸の奥にある簡易的な祈りの間だ。
屋敷の中でも特に静かな場所で、普段は家族が節目の祈りを捧げる時に使われている。
扉の前に立った瞬間、喉が乾いた。
心臓の音がやけに大きく聞こえる。
(大丈夫だ)
自分に言い聞かせる。
(俺は今まで頑張ってきた。長男として、跡取りとして、父上のようになるために)
火魔法の適正はあるはずだ。
なければ困る。
そんなはずがない。
神様が本当にいるのなら、きっと俺の努力を見てくれているはずだ。
深く息を吸い、ゆっくり吐く。
それでも指先の震えは完全には止まらなかった。
隣に控えていたエリーが、心配そうに俺を見る。
「レオルド様……」
「大丈夫」
そう答えた声が、自分でも少し硬いと分かった。
けれど、ここで立ち止まるわけにはいかない。
俺はランハード公爵家の長男なのだから。
扉が開かれる。
祈りの間に足を踏み入れると、室内にいた全員の視線が俺へ向けられた。
父上、母上。
ライオネル殿下。
家宰のグレイル。
専属侍女のエリー。
そして、儀式を執り行うために招かれた神官。
中央の台座には、澄んだ水晶が置かれていた。
光を受けて淡く輝くその水晶が、今日、俺の未来を決める。
そう思った瞬間、足元が少しだけ不安定になった気がした。
「レオルド」
父上が穏やかな声で俺を呼ぶ。
「落ち着いて行いなさい」
「はい、父上」
母上も不安そうに見えたが、何も言わずに微笑んでくれた。
その優しさが、今は少しだけ痛い。
俺は神官の前まで進む。
神官は三十代後半ほどの男性で、柔らかな物腰をしていた。
「レオルド様。本日、鑑定の儀のため参りました神官のラルクと申します」
神官は丁寧に頭を下げる。
「ラルク神官様、よろしくお願いいたします」
俺も貴族として失礼のないように礼を返した。
「では、こちらの水晶に手をかざしていただけますか」
ラルク神官が台座の水晶を示す。
「数分ほどで、水晶の中に適正魔法が文字として浮かび上がります」
「……はい」
返事をしたものの、すぐには動けなかった。
水晶が、ただの石には見えない。
俺のこれまでと、これからを分ける境界線のように思えた。
火魔法。
その二文字が浮かび上がれば、俺はこれまで通りランハード公爵家の跡取りでいられる。
父上のようになる道が、続いていく。
けれど、もし違ったら。
もし、火魔法の適正がなかったら。
その先を考えそうになって、慌てて思考を止めた。
考えるな。
今はただ、信じればいい。
俺は深く息を吸った。
父上の視線を感じる。
母上の祈るような気配を感じる。
ライオネル殿下が、真剣な顔でこちらを見ているのが分かる。
エリーも、家宰も、誰もが息を潜めていた。
静まり返った祈りの間。
自分の心臓の音だけが、やけにうるさい。
(大丈夫だ)
もう一度、自分に言い聞かせる。
(俺は、ランハード公爵家の長男だ)
そして俺は、震えそうになる指先を抑えながら、ゆっくりと水晶へ手をかざした。
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