第2話 優しすぎる現実
前世の記憶が戻って、三日が経った。
この三日間、俺は一歩も部屋の外へ出ていない。
目を覚ました当日はさすがに疲労が大きく、食事を終えたあとそのまま眠りに落ちた。次に目を覚ました時には、すでに翌日の昼近くになっていたほどだ。
だが二日目にもなると、さすがに身体も頭も落ち着いてくる。
そして、暇になった。
やることがない。
正確には「やるべきこと」は山ほどあるのだろうが、今はすべて止められている。勉学も訓練も、何もかも。
結果として俺は、本を読むしかなかった。
それも、これまでほとんど興味を向けてこなかった類のもの――この世界の国々や地理、文化について書かれた本だ。
前世で叶わなかった「旅」という願いが、無意識に影響しているのかもしれない。
ページをめくるたびに、知らない景色が頭の中に広がる。
砂漠の国、雪に閉ざされた北方、海上に浮かぶ都市。
想像するだけで、胸がわずかに高鳴る。
(……行ってみたいな)
そんなことを考えながら本を閉じた時、コンコンと控えめなノックが響いた。
「失礼します。レオルド様、お医者様がお越しです。お通ししてもよろしいでしょうか?」
扉の向こうから、エリーの落ち着いた声が聞こえる。
「うん、入ってもらって」
そう答えると、扉が開き、エリーと医者が入ってきた。
「レオルド様、体調はいかがですか?」
医者はそう言いながら、慣れた手つきで聴診器を当ててくる。
心音、呼吸、瞳の反応。いくつかの確認を受けながら、俺は正直に答えた。
「特に違和感はありません。起きた時以外は、問題なく過ごせています」
「そうですか。それは何よりです」
医者は満足そうに頷いた。
「食事も以前と同じ量を召し上がっていると聞いております。この様子であれば、もう普段通りの生活に戻っていただいて問題ないでしょう」
その言葉に、思わず表情が明るくなる。
「本当ですか?」
「ええ。ただし油断は禁物です。少しでも不調を感じた場合は、すぐにお知らせください」
「はい、ありがとうございます」
礼を言うと、医者は穏やかに微笑み、そのまま部屋を後にした。
扉が閉まると同時に、ふう、と小さく息を吐く。
――外に出られる。
それだけで、こんなにも気分が軽くなるとは思わなかった。
「レオルド様、良かったですね」
エリーがほっとしたように言う。
「ずっと外に出たいとおっしゃっていましたから」
「うん……ありがとう」
自然とそう言葉が出た。
両親だけでなく、エリーもずっと心配してくれていたのだろう。
(……何か、お礼を考えないとな)
そんなことを思いながら、その日は久しぶりに家族と夕食を共にすることになった。
広い食堂に足を踏み入れると、すでに両親と弟が席についていた。
「レオルド、体調が回復したと聞いて安心したわ」
母上が柔らかく微笑む。
「リュシカもずっと心配していたのよ」
その言葉に、視線を向けると――
「兄様……もう大丈夫ですか?」
遠慮がちにこちらを見上げてくる小さな影。
リュシカ・フォン・ランハード。俺の四つ下の弟で、今年六歳になる。
茶色がかった赤毛に、ブラウンの瞳。父に似た整った顔立ちは、幼いながらに将来を約束されたようなものだ。
性格も明るく、誰にでも優しい。
――良い弟だと思う。
「リュシカ、心配かけたね」
そう言って軽く笑いかける。
「もう体調は大丈夫だよ」
「本当ですか……!」
ぱっと表情を明るくする。
その反応があまりに素直で、少しだけ胸が締め付けられた。
「兄様、お暇な時でいいので……一緒にお庭をお散歩してほしいのです」
おずおずと、しかしはっきりとした声で頼んでくる。
きっと、ずっと言いたかったのだろう。
「……そうだね」
少し考えてから頷く。
「明日でもいいかな?」
「はい!」
リュシカは嬉しそうに何度も頷いた。
その様子を見て、思う。
――誰も、俺を責めない。
火魔法の適性がなかったことも。
池に飛び込んだことも。
何一つ、咎める言葉はない。
それどころか、「無事でよかった」と心から安堵している。
(……優しすぎるだろ)
ありがたい。
本当に、恵まれている。
分かっている。頭では。
けれど――
(だからこそ、苦しい)
期待に応えられなかった事実が、より重くのしかかる。
責められた方が、まだ楽だったかもしれない。
そんな考えが頭をよぎる自分に、内心で苦笑した。
「体調が戻ったといっても、無理はしないでね」
母上が少し厳しい声で言う。
「しばらくは勉強もお休み。いいわね?」
父上も隣で静かに頷いている。
「……はい」
素直に答えながら、どこかくすぐったい気持ちになる。
(本当に、心配性だな)
そう思いながら、ふとリュシカへ視線を向けた――その時だった。
視界の端に、文字が浮かび上がる。
名前:リュシカ・ランハード
身分:ランハード公爵家次男
年齢:六歳
健康状態:良好(満腹)
適正魔法:火魔法(大)
(……は?)
一瞬、思考が止まる。
何だ、これは。
反射的に父上へ視線を移す。
名前:ローレンス・ランハード
身分:ランハード公爵家当主
健康状態:良好
適正魔法:火魔法(小)
続けて母上を見る。
名前:エレナ・ランハード
身分:ランハード公爵夫人
健康状態:良好
適正魔法:地魔法(小)
(……見えている)
はっきりと、理解した。
これは――魔眼の力だ。
鑑定の儀で示された適性。その一つ。
(なんで、今になって……?)
発現の条件が分からない。
だが確実に、俺の中で何かが変わっている。
表示されている「大」「小」という表記も気になる。
魔力量なのか、適性の強さなのか、それとも別の何かか。
「レオルド、どうした?」
父上の声に、はっと我に返る。
気づけば、難しい顔をしていたらしい。
「あ……いえ、少し疲れただけです」
咄嗟に誤魔化す。
この力のことは、まだ話すべきではない。
そう直感した。
「そうか。無理はするな」
「はい」
短く答え、食事を終えたあと早めに席を立つことにした。
部屋へ戻る途中、ふとエリーのことを思い出す。
(……そういえば)
試しに、彼女にも視線を向けた。
名前:エリー・ランベルト
身分:ランベルト伯爵家次女
年齢:二十歳
適正魔法:水魔法(小)
(伯爵家……?)
思わず足を止める。
ただの侍女ではないとは思っていたが、まさか貴族の娘だったとは。
おそらく、行儀見習いや花嫁修行の一環なのだろう。
改めて、この屋敷がどういう場所かを思い知らされる。
部屋に戻り、ベッドに腰を下ろす。
静かな空間の中で、ゆっくりと息を吐いた。
家族は優しい。
誰も責めない。
だからこそ、苦しい。
けれど――
(……それでも)
視界に浮かぶ文字を思い出す。
新しく手に入れた力。
そして、自由に生きていいと言われた未来。
前世では何もできなかった。
でも、今は違う。
「……少しずつ、だな」
小さく呟き、ベッドに身を預ける。
この世界で、自分のやりたいことを見つけるために。
まずは――一歩ずつ、進んでいこうと思った。
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