第21話 海の依頼
翌朝。海猫亭で朝食を済ませた俺たちは、港から少し離れた浜辺へ来ていた。
朝の海は穏やかで、波の音が静かに響いている。水平線の向こうまで青が広がっていて、前世では一度も見ることができなかった景色に少しだけ胸が高鳴った。
けれど今日は観光ではない。
冒険者ギルドで受けた依頼、潮癒草の採取と、シェルクラブ変異種の討伐。そのために海へ潜る必要がある。
「さて、海に入る前に水中でも動けるようにしておくか」
俺は海へ向かって手をかざした。
「『我らに水の守りを。“アクアシールド”』」
魔力が広がり、透明な膜が俺たちを包み込む。
空間魔法の応用術式だ。本来は結界魔法に近い使い方らしいが、内部へ空気を循環させることで水中活動が可能になる。
「これで行けるはずだ。とりあえず入ってみるか」
恐る恐る海へ足を踏み入れる。
膝まで、腰まで、そして頭まで海中へ沈んだ。
だが苦しくない。
息も普通にできるし、視界も思ったより悪くなかった。水の抵抗もかなり軽減されているようで、陸上とほとんど変わらない感覚で動ける。
「おお、本当に普通に歩けるな」
「便利すぎるだろ、その魔法……」
ロベルトが呆れたように言う。
ライオネルも興味深そうに周囲を見回していた。
「水中探索なんて普通は不可能だからな」
海の中は幻想的だった。
太陽の光が水面から差し込み、海底を淡く照らしている。魚の群れが横切り、色鮮やかな海草が潮に揺れていた。
前世で見た水族館より、ずっと綺麗だ。
けれど同時に、ここは陸とは別世界なのだとも感じる。
呼吸はできても、水中というだけで妙な圧迫感がある。
「とりあえず潮癒草を探すか。シェルクラブは探していればそのうち見つかるだろ」
シェルクラブは見た目こそ巨大なカニだが、基本的には海底でじっとしている魔物らしい。変異種の目撃報告も年に数回程度で、刺激しない限り人や船を襲うことは滅多にないという。
だが今回は漁船に被害が出ている。
何かがおかしい。
そんなことを考えながら海底を進んでいくと、魔眼が反応した。
「……あった」
岩場の近くに、淡く青色に光る海草が群生している。
名称:潮癒草
状態:良好
間違いない。
「これだな」
俺は群生地へ近づき、数株だけ残して残りを異空間へ収納していく。
普通なら水中で傷つけないよう慎重に袋へ詰めるらしいが、空間魔法ならその必要はない。
改めて便利すぎる。
「これで薬草採取の依頼は終わりだな」
「早かったな」
「魔眼と空間魔法があるからな」
問題はここからだ。
シェルクラブが見当たらない。
「シェルクラブいないな。どこにいるんだろ」
「漁船に被害が出てるなら沖じゃないか?」
ロベルトの言葉に頷き、俺はルナとノアを見る。
「ルナ、ノア。気配分かったりする?」
『分かるわ』
答えたのはノアだった。
『ここから東に十分くらい行った所』
「東か」
漁港の方向だな。
「とりあえず行ってみるか」
海底を歩くように進んでいく。
水中は静かだ。
だが時折、遠くから低い振動のような音が伝わってくる。海の中は陸よりずっと不気味だった。
「すぐ倒せる相手だといいんだけどな」
『気配だけならボクだけでも倒せるよ!』
ルナが自信ありげに言う。
『でも海中戦は初めてだから油断しない方がいいわね』
「へぇ……」
最初に出会った時は瀕死だった子犬みたいな魔獣だったのに、今では頼もしい。
アルヴェルグ希少種、本当に強いんだな。
「じゃあ、まずはルナに任せてみるか。今日倒せるならそれでよし。無理そうなら一旦戻って対策を考えよう」
『うん! 頑張る!』
怪我だけはしてほしくないんだけどな。
歩いて東へ十分ほど。
そこで巨大な影が見えた。
「……でかいな」
小型漁船二、三隻分はありそうな巨大なカニ。
赤黒い甲殻に異様に肥大化した鋏。
間違いなくシェルクラブ変異種だった。
だが――
「死んでる?」
魔眼にはこう表示されていた。
状態:死亡(死後三分)
「三分前まで生きてたってことか?」
何があった?
俺が警戒していると、ノアが首を傾げる。
『多分、さっき感じた気配はこいつ』
「でも死んでるぞ?」
『死んでいたら普通は気配など感じないわ』
つまり、ついさっきまで確かに生きていたということだ。
嫌な予感しかしない。
「他にも気配あるか?」
『あるよ!』
今度はルナが答える。
『さっきよりずっと大きい』
「……は?」
『ここからさらに東へ三十分くらい。これはルナだけじゃ厳しいわ』
ルナだけでも厳しいのか…。
俺は一度海面へ顔を出し、位置を確認する。
北には漁港。
ここからさらに東となると、完全に沖合だ。
「ノアと一緒でも無理か?」
『難しいわね』
ノアも真面目な声だった。
『普通のシェルクラブでも甲羅は硬い。腹の柔らかい部分を狙う必要がの。そう簡単に見せる相手ではないのよね』
「闇魔法は?」
『精神系が多いのよ。魔物には効きにくいわ』
つまり正面突破しかない。
しかもルナとノアでも危険。
俺たちが前に出たら一瞬で終わる可能性が高い。
「……一旦戻るか」
無理して死ぬのは論外だ。
俺たちは浜辺へ引き返すことにした。
途中、ふと思い出して聞いてみる。
「そういえば、あの死んでたシェルクラブって食べられるのか?」
『普通種なら食べられるわ』
ノアが答える。
『変異種でも基本は同じ。でもあれは駄目』
「駄目?」
『毒がある』
「死んだから毒化したとか?」
『違う。最初から毒がある感じね』
理由は分からないらしい。
少し残念だ。
「カニ鍋食べたかったな……」
「お前結構余裕あるな」
「いや、美味そうだったし」
浜辺へ戻った俺たちは、そのまま砂浜へ腰を下ろした。
海風が吹き抜ける。
さて、どうするか。
ルナとノアでも厳しい相手。
俺たちでは到底勝てない。
そこでふと、以前公爵邸の書庫で読んだ召喚魔法の本を思い出した。
確か召喚魔法は、条件を細かく指定することで、完全ではないにしろ“系統”を絞れる。
火系、水系、空系――そんな感じで。
「……そうだ」
「どうした?」
「海か水系統の強い魔獣を召喚してみる」
ロベルトが嫌そうな顔をした。
「また伝説級出てこないよな?」
「知らない。でも今のままだと勝てない」
俺は立ち上がり、静かに海を見る。
潮風が吹き抜ける。
さて、次はどんな魔獣が現れるのやら。
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