幕間 主のいない部屋(専属侍女・エリー視点)
朝。
わたしはいつもの時間に目を覚まし、身支度を整えてから主人の部屋へ向かう。
……いえ。
「そうでしたね。もう、いらっしゃらないのでした」
小さく呟き、自然と苦笑が漏れた。
わたしの名前はエリー・ランベルト。
ランベルト伯爵家の次女です。
兄が家を継ぐことが決まっていたため、姉とわたしには二つの選択肢しかありませんでした。
どこかへ嫁ぐか。
高位貴族、あるいは王家へ侍女として仕えるか。
もっとも、貴族令嬢の結婚など大半が家同士の繋がりを目的とした政略結婚です。
姉はどう思っているか分かりませんが、少なくともわたしは恋愛結婚に憧れを抱いたことはありませんでした。
ですから十五歳で成人した際、ランハード公爵家が侍女を募集していると知り、迷わず応募しました。
そして幸運なことに採用していただき、今に至ります。
ランハード公爵家で侍女として働き始めて三年ほど経った頃、わたしはレオルド様の専属侍女となりました。
レオルド様は本当に努力家な方でした。
朝から晩まで勉学。
礼儀作法。
領地運営の知識。
剣術訓練。
次期当主として期待されていることを、幼い頃から理解されていたのでしょう。
けれど、その分ご自身を追い込みすぎるところもありました。
ですから、たまに無理やり庭へお連れしたこともあります。
「少しくらい休まないと倒れてしまいます」
そう言うと、困ったように笑われていました。
今思えば、もっと無理にでも休ませるべきだったのかもしれません。
鑑定の儀の日。
レオルド様は望んでいた火魔法の適正を得られませんでした。
その後、池へ飛び込まれたと聞いた時は、本当に血の気が引きました。
幸い命に別状はありませんでしたが、三日間も目を覚まされなかったのです。
旦那様も奥様も、とても心配されていました。
もちろん、わたしも。
ですから、目を覚まされた時は安堵のあまり涙が出ました。
本当に、良かったと。
それからレオルド様は以前より少し穏やかになられました。
どこか吹っ切れたような、そんな雰囲気だったのを覚えています。
そして――旅に出たいと仰ったのです。
ご自身の目で、色々なものを見てみたい、と。
奥様は最後まで反対されていました。
それでも旦那様が条件付きで許可を出され、最終的には送り出すことになりました。
わたしも本音を言えば反対でした。
ですが、レオルド様ご自身が望まれたことです。
ならば侍女であるわたしにできるのは、無事を祈ることだけでした。
そんなことを考えながら、誰もいない部屋の掃除を進める。
主のいない部屋は、とても静かだった。
机の上には読みかけだった本。
窓際にはいつも座っていた椅子。
けれど、そこにレオルド様はいない。
まだ旅立って数日しか経っていないというのに、随分長く感じる。
すると、不意に扉の隙間から小さな顔が覗いた。
「エリー」
「リュシカ様?」
次期当主として勉学に励まれているリュシカ様だった。
「どうされました?」
「お茶淹れて」
少し遠慮がちにそう言われる。
「兄様が、エリーのお茶が一番美味しいって言ってたから」
思わず頬が緩んだ。
リュシカ様は本当にレオルド様のことが大好きなのです。
だからこそ、兄君が好きだと言ったものを自分も口にしてみたかったのでしょう。
「はい。わたしでよければいつでもお淹れします」
そう返すと、リュシカ様は少し嬉しそうに笑われた。
「どちらでお召し上がりになりますか?」
「お庭の東屋がいい」
「かしこまりました。では、先に東屋でお待ちください」
「うん!」
小さく頷き、ぱたぱたと駆けていく。
その背を見送り、わたしはお茶の準備を始めた。
紅茶を淹れながら、自然と旅立ちの日を思い出す。
『エリーも今までありがとう』
そう言って笑われたレオルド様。
あの笑顔を見た時、寂しいと思うと同時に、少しだけ安心したのです。
きっともう大丈夫なのだと。
お茶の準備を終え、東屋へ向かう。
春の風が優しく吹き抜けていく。
レオルド様。
リュシカ様は今日も次期当主として勉学に励んでおります。
旦那様も奥様も、変わらず貴方様のことを心配されています。
ですから、どうか。
怪我や病気にはお気をつけください。
お部屋は綺麗なまま保っておきます。
いつ帰って来られてもいいように。
ですからどうか――。
また、お元気な姿を見せてくださいませ。
読んでいただきありがとうございます!
一章、ここで終わりです。
次回から二章になりますす。
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