第10話 自由という感覚
俺たちは王都を後にし、東の街道を歩いていた。
今回の目的地は、ジェノーバ王国東部にある港町。
前世で一度も見ることができなかった“海”を、この目で見てみたかったからだ。
病室のテレビや本の中でしか知らなかった広い海。
水平線。
波の音。
この世界の海がどんなものなのか、ずっと気になっていた。
春の風はまだ少し冷たいが、陽射しは暖かい。
街道脇には草花が揺れ、遠くには森が広がっている。
前世では外に出ること自体がほとんどなかった。
だから、ただ歩いているだけなのに不思議と胸が高鳴る。
隣を歩くロベルトが大きく伸びをした。
「やっぱ外はいいなー。騎士団の訓練場とは空気が違う」
「それは分かるかも」
公爵邸の庭も広かったが、やはり壁の外とは違う。
どこまでも続く空。
風の匂い。
街道を歩く旅人たち。
全部が新鮮だった。
「なあ、王都の東側ってカナルア公爵家の領地だっけ?」
勉強嫌いだと言っていたロベルトが、珍しくそんなことを聞いてくる。
「そうだよ。今から向かう港町もカナルア公爵家の領地」
「へぇ」
「グリーンクレープっていう果実酒が有名で、ワインだけじゃなくてスイーツにも使われてるらしい」
「スイーツかぁ……」
ロベルトは微妙そうな顔をした。
「甘いの苦手?」
「嫌いじゃないけど、わざわざ食べたいとは思わねぇな。俺は酒の方が気になる」
「まだ十五歳なのに?」
「父上が飲んでるの見てると気になるだろ」
そんなことを言いながら笑う。
もし美味しかったら、お土産に買って帰るのもいいかもしれない。
空間魔法の異空間収納には時間停止効果がある。
食べ物も出来立ての状態で保存できるため、旅との相性はかなり良かった。
今も俺たちの荷物のほとんどは異空間の中だ。
普通の旅人なら大荷物になるはずなのに、俺たちは軽装で済んでいる。
最初はロベルトもかなり驚いていた。
「それ、反則じゃね?」
と真顔で言われた時は少し笑ってしまった。
実際かなり便利だ。
食料、水、予備武器、着替え。
全部収納してもまだ余裕がある。
おかげで移動速度もかなり速い。
街道を歩きながら、俺は視線を地面へ向ける。
すると視界の端へ情報が浮かぶ。
薬草。
品質:中。
軽傷用回復薬素材。
さらに少し離れた場所には別の草。
解毒草。
品質:高。
「ちょっと待って」
「ん?」
「薬草がある」
街道脇へ近づき、草を摘み取る。
普通なら雑草と見分けがつかないようなものでも、魔眼があるおかげで判別できた。
「相変わらず便利だな、その魔眼」
「かなり便利だよ。薬草だけじゃなくて品質も分かるみたい」
「鑑定士泣かせだな」
摘み取った薬草を異空間へ収納する。
空間が小さく歪み、薬草が消える。
ロベルトは何度見ても慣れないらしく、未だに少し不思議そうな顔をする。
「しかし、本当に荷物持たなくていいの楽だな」
「ロベルト、自分で持ちたいタイプ?」
「いや全然。むしろ最高」
即答だった。
思わず笑ってしまう。
こうして他愛もない会話をしながら歩く時間が、妙に心地よかった。
前世では、友達と呼べる存在はいなかった。
病室に来るのは両親と医者、それから看護師くらい。
学校へ行けるのも体調が良い日だけだったし、クラスメイトが見舞いに来たこともない。
だから、“友人と出かける”という経験そのものがなかった。
誰かと並んで歩き、どうでもいい話で笑う。
それだけのことが、こんなにも楽しいなんて思わなかった。
「……なんか、不思議だな」
「何が?」
「いや、こうやって自由に歩いてるの」
ロベルトは少し考えた後、肩を竦めた。
「お前、今までずっと公爵家の跡取りだったもんな」
「うん」
勉強。
礼儀作法。
政治。
訓練。
常に“次期当主”として見られていた。
もちろん嫌だったわけじゃない。
父上みたいになりたいと思っていたのも本当だ。
でも――。
こうして目的もなく空を見上げたり、道端の花を眺めたりする時間はなかった。
今なら少し分かる。
俺は、自由に憧れていたのだ。
誰かに決められた道ではなく、自分で選んだ場所へ進むことに。
風が吹き抜ける。
草原が揺れ、遠くで鳥の鳴き声が響いた。
「……楽しいな」
気づけば、自然とそんな言葉が漏れていた。
ロベルトが少し驚いたようにこちらを見る。
「まだ旅始まったばっかだぞ?」
「それでもだよ」
王都を出て、まだ半日も経っていない。
それなのに、胸の奥が軽かった。
前世でも今世でも感じたことのない感覚。
これが――自由なのかもしれない。
そう思いながら、俺は青く広がる空を見上げた。
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