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そのころ、クイは一人、宿屋の一室に押し込められていた。
両手両足は縛られたままなので、壁の上部の明かりまでは手は届かない。窓は、木の板が打ち付けられているし、たった一つの扉の外には、見張りが二人も控えている。
(……ああ、悔しい。)
クイは、かび臭いベッドに突っ伏して、後悔に苛まれた。
かつてアムイリア領で無敵を誇っていた自分が、こんな惨めな姿で捕まっているなんて。しかも、それは自分の不注意が原因だった。あのとき、マーティンを安易に信用してしまわなければ。国王軍の肩書きや、兄イトの手紙や、オレリアスとの思い出話や、そんなものに気を取られていなかったら、もっと早くマーティンの悪意を感じ取ることができたのに。
(ここから逃げ出さなくちゃ。)
自分がここにいてはいけないことは、分かっていた。
このままだと、ウテリア領もオレリアスも、どうなるか分からない。
(絶対に、逃げるんだ!)
クイは、縄を解こうと必死にもがいた。
しかし、手足をひねると、縄が食い込んで少しの隙間も作れない。
(くそ~。こんなことなら、縄抜けの術でも体得しておけばよかった。)
クイは、小さな後悔にため息をつくと、大きく息を吸い込んで覚悟を決めた。
(絶対に帰る!)
クイは、ベッドのシーツに噛み付くと、引っ張ってそれを集めた。口の中にシーツを詰め込めば、いくらか声を吸収してくれる。クイは、さらに顔をベッドに押し付けると、後ろに縛られたままの右手で、左手首をつかんだ。
このまま、一気に引き抜いて、関節をはずす!
しかし、
「やめなさい。」
と、突然後ろから声をかけられて、クイは、心臓が止まるかと思った。
人の気配には気づかなかった。
振り返るより先に、両手の縄が切れて、クイの体は急に楽になった。指先まで血が通っていく。続いて、足の縄が切られると、クイは、口の中のシーツを引っ張り出しながら振り返った。
「?」
そこにいたのは、ヨシュアだった。
先ほどマーティンを諭そうとしていた男だ。
「……へ?」
まさか、ヨシュアが助けに来てくれるとは。
ヨシュアは、縄を切った短刀を鞘に納めると、
「すぐに、これに着替えなさい。逃げますよ。」
と、男物の服と剣を渡して、クイに背を向けた。背を向けている間に着替えろということらしい。先ほどまで、あんなに失礼な事を言っていたのに、一応レディとして扱ってくれている。
(……いい人だったんだな~。)
クイは、急いで寝着を脱ぎ捨てると、男物の服に着替えた。ヨシュアが持ってきた服は、かなり大きかったが、余る部分は裂いて捨てた。帯を結べば、問題はない。剣を腰に下げると、自分らしさが戻ってきた。クイは念のため、体のあちこちを動かして、細部まで感覚を確かめる。
(よし! いける!!)
すると、背を向けたまま、ヨシュアが言った。
「いいですか? あなたは、ギリギリまで戦ってはいけません。なるべく私がひきつけますから、あなたは、振り返らず、全力でウテリア領へ駆け抜けなさい。」
「え?! 駄目だよ! 仲間なんだろ? 仲間同士、戦わせるわけにはいかないよ。私は一人で何とかできるから。」
すると、ヨシュアの声は、苛立ちを帯びた。
「何を言っているんですか? 数こそ少ないが、この隊は国王軍最強です。あなた一人で、どうこうできる相手ではありません。」
「そ、そうかもしれないけど、逃げるぐらいなら……。」
「クイ!」
ヨシュアはクイの言葉を遮ると、
「私は、この隊に戻らぬ覚悟でここに来ました。いらぬ情けは無用です!」
と、クイをいさめた。
「……。」
ヨシュアの覚悟に、言葉が詰まる。
(……私のせいだ。)
自分が捕まってしまったせいで、いろいろなものが壊れていく。
ウテリア領も、マーティンの隊も。
この先、オレリアスがどうなるかだって分からない。
けれど、ヨシュアは、優しい声で、
「だからといって、あなたが自分を責める必要はない。」
と、クイを慰めた。
「マーティン隊長はもう、まともな人間には戻れないでしょう。ですが、それはあなたのせいではない。隊長はもともと、真っ白な人間ではなかった。」
後ろ姿のヨシュアは、どこか寂しげだった。
「隊長に初めて会ったのは、十年以上前です。あのころ、隊長は、身寄りもない、みすぼらしい少年でした。国王軍の入隊試験にまぎれこんだ隊長は、突然、私の前に現れて「俺は、国王軍を手に入れる。だから、お前の力を俺に差し出せ!」と言ってきたのです。昔から、無茶苦茶な人でした。当時は、領地人が王国人の上官になることも珍しい時代でしたから、「領地人風情が、何様だ!」と殴り合いのケンカになりました。」
領地人というのは、領地で生まれ育った者を指す。
マーティンも、どこかの領地で生まれた領地人だ。
それに対し、ヨシュアは、国王直轄地で生まれ育った王国人だった。
本来は、どちらも同じ国民のはずだが、王国人ほど、それを区別したがり、そこに明確な差別が存在する。
「でも、私は思ってしまった。この人なら、何かを変えてくれるのではないかと。隊長は移民でしたから。被差別側の人間だからこそ、この腐った国王軍を立て直してくれるのではないか、と期待してしまったんです。」
移民というのは、領地から国王直轄地に移ってきた人たちのことだ。
マーティンも、ウテリア領から移り住んできたという点で、移民に違いない。
だが、王国人からすれば、移民は、もっとも卑しい存在だった。
それは、領地と国王直轄地の、決定的な違いに由来している。
領地は、外界から奪い取った土地であり、常に外界からの侵攻に備えねばならない。一方で、国王直轄地は、無数の領地に囲まれているため、外界からの脅威がない。国王直轄地には、魔獣が現れないのだ。そうした事情から、毎年多くの領地人が自分の領地を捨て、国王直轄地に入ってくる。そのため、王国人は、そうした移民を、長年「逃げてきた人」として蔑んできた。
「私は、愚かな賭けをして負けたんです。……それでも、少しは面白かった。」
ヨシュアは、マーティンの裏方に回って差別や賄賂を廃し、少数精鋭の完全な実力主義を貫いた国王軍最強の隊を作った。そこまでの夢は実現できた。いずれ、マーティンが国王軍軍将に出世すれば、その規律は国王軍全体へと広がっていくはずだった。
「夢半ばで潰えたものの、隊長には感謝しています。だから、せめて、今回の被害を最小限に食い止めてやりたいと思うのです。でないと隊長は、本当に何もかもを失ってしまう。」
ヨシュアは、静かに、
「分かりますね。」
とクイを諭した。
しかし、その言葉に、クイは叫んだ。
「分からない! 分からないよ!! ヨシュアは間違っている!!!」
ヨシュアが驚いて振り返ったときには、もう、クイは駆け出していた。
「悪いのは、マーティンだ! マーティンだけだ!!」
扉を蹴破り、その勢いのまま中庭に跳び出す。クイは、コの字型に建てられた宿屋を見回して、思いっきり叫んだ。
「出て来い! マーティン!! 私がお前に天誅を食らわせてやる!!!」




