5-4
オレリアスは、口直しのお茶を一口飲んでから、
「さて、何から話そうかな。」
と、虚空を眺めた。
それが、なんとなく、恐ろしい話な気がして、クイは、自然と身構えていた。
「あれは私が十五歳の時だから、……そうか、もう十三年になるんだね。」
オレリアスは、優しい口調のまま、
「十三年前、このウテリア領にね、暴魔風が吹いたんだよ。」
と打ち明けた。
「!」
暴魔風とは、強い魔風の事だ。結界を吹き飛ばすほどの威力がある。
「それで、結界が全壊してしまってね。結界が復旧できないうちに、魔獣が大群で押し寄せてきたんだ。障壁は、今ほど低くはなかったんだが、そんなに長くは持たなくてね。領内に魔獣が侵入するまで、本当に、あっという間だったんだ。」
クイは、ぞっとして身震いした。
大惨事だ。
結界と障壁を同時に失えば、人々に逃げ場などない。
「それでね、領民たちはね、ウテリア川を渡って北西の果樹園まで逃げたんだ。果樹園なら、木々が大型の魔獣の足止めをしてくれるし、隣の領地に逃げることもできる。当時、私は、逃げる領民たちのしんがりを任されていたんだが……。」
このとき、クイは初めて、オレリアスの目に後悔の色を見た。
「私は、領軍には入れてもらえなかった……。」
「領軍?」
「うん、領軍はね、領礎結界石を守るために領地に残ることにしたんだ。もし領礎結界石を動かしてしまったら、ウテリアの領地がすべて瘴気にのまれてしまうからね。だから領軍は、社を背に魔獣の大群と戦い続けたんだ。」
淡々と語っているが、その戦況はかなり厳しい。
「国王軍が来てくれたのは、結界が壊れてから、二日目の朝だったよ。」
クイは、耐え切れなくなって顔を伏せた。
国王軍が来るまでの間、少年オレリアスは、あの果樹園の丘から、ずっと領地を見下ろしていたのだ。オレリアスは、残された人々を託されていたため、その場から動くこともできなかった。
「国王軍はね、たった半日で領内の魔獣を退け、領内の瘴気を浄化して、新しく結界をはり直してくれたんだ。」
国王軍は、国王直属の軍だ。ウテリア領もアムイリア領も、巨大な王国の一部で国王の庇護を受けている。ただ、それぞれの領地は、完全に自治が認められていて、国王軍であっても、有事以外の介入は出来ない。だから、魔獣が去った時点で、その後の事は、ウテリア領民に任されたのだ。
クイは黙ったまま頷いた。
国王軍が去った後、オレリアスたちに残されたのは、無傷の領礎結界石と、破壊しつくされた領地だけだった。
「だから、あれから領主の血統は断絶したままなんだ。一番領主の血筋に近いのはヒューだったが、当時まだ五歳でね。領主を務められる歳でもなかったし、まあ、領主は誰がいいかという話は、二の次だったからね。暴魔風以来、ここでは、領主は合議で決めているんだ。暴魔風のあとから数えると、私は四代目の領主になる。」
(?! 合議?!)
それには、クイも面食らった。
(それって、領主を皆で決めるって事?!)
領主が世襲される一番の理由は、領地の成り立ちにある。
新しく領地をつくられるとき、人々は、まず魔獣を退け、外界の森を切り開く。そして、人が住める土地と認められることができたら、国王から領主の称号と領礎結界石を賜るのだ。
だから、領主の主な仕事は、領内の政ではなく、外界の脅威から領地を守ることだった。
結界を張って領内を浄化し、障壁を築いて人々を守る。
その結界を維持するため、領主は、結界士との婚姻を繰り返さなければならなかった。結界士は希少種で、いつでも雇えるとは限らない。
「だけどね、ここ数年、魔獣がよく出現するようになってしまったんだ。」
それは、地脈の流れが変わってしまったからだ。
「ずっとヒューに任せきりだったが、ちゃんとした結界士に来てもらったほうがいいという話になってね。それで、あちこち探し回った結果、アムイリア領のドレイク卿から、娘を嫁がせてもいいという返事をもらうことができたんだ。」
けれど、それはクイを厄介払いするためのものだった。
「だけど、当時の領主は既婚者でね。領主として有能な人だったんだが、既婚者では意味がない。そこで、ヒューを次の領主に立てて、領主一族を再興してもらおうって話が出たんだが、当のヒューが頑なに嫌がってね。領主になるのも嫌なのに、なぜ結婚しなければならないのか、って。それはもう暴れるは、逃げ回るは。散々だったんだよ。」
あのヒューの性格では、想像に難くない。
「それでね、当時から軍将を務めていた私に、白羽の矢がたったんだよ。」
「……。」
「だから、クイ。本当の事を言うと、我々は、君がウテリア領に住んでくれるだけで十分なんだ。結婚にしても、この土地に慣れてからでかまわない。急ぐことは何もないんだ。だから、どうか、そんなに気負わないでほしい。領民は皆、君が嫌だと思うことを強いたりはしないよ。いつも君の心配をしているんだ。」
優しいオレリアスの気持ちに、クイは、顔を上げる事もできなかった。
(オレリアスが優しいのは、私を上級結界士だと思っているからだ。)
その事実が、息苦しいほど胸をえぐる。
(私、オレリアスを騙しているんだ。)
いまさら騙していることは分かっていたけど、真実を知ったオレリアスがどう思うかなんて、いままで考えもしなかった。
(……私は、卑怯だ。)
もし、オレリアスが真実を知ったら、きっとクイを嫌うだろう。
オレリアスは、上級結界士と結婚するために、ウテリア領主になったのだから、さっさとクイなんか追い出して、次の花嫁を探さなければならなかった。
(……次の花嫁。)
その想像が一番つらかった。
「……ううう。」
嫉妬と羨望と絶望と悔恨と、いろいろなものが入り混じって、嗚咽が漏れる。
「ウテリア領のために、泣いてくれているのかい?」
問われて、クイは、大きく首を振った。
(違う。私は、自分のために泣いているんだ。)
ただ、オレリアスに嫌われるのが辛いから。
それだけだ。
(私は、強欲で身勝手な人間だ。ウテリア領を手に入れようだなんて、ウテリア領の人々を顧みれば、自分が要らない人間だとすぐに分かったはずなのに。)
呼吸がままならなくて、ごめんなさいの言葉も出ない。
「うう。」
泣き止もうとすればするほど、気管が焼けて苦しかった。
「……ううう。」
ごめんなさい、オレリアス。
(私、自分が、こんなにも浅ましい人間だったなんて、……今初めて気がついた。)




