守るための条件
娘の手紙はミーナが自分で持って帰ってきた。
――会いたいです。リリアさんと二人で。
娘の手はまだペンを持てないので、字はミーナの字だった。急ぐことなら、中身は書かずに会いたいとだけ書け、と言ったのは俺だ。言ったとおりの手紙が来たが、二行目は思ってもいなかった。誰と会うかまで書いてくるとは考えていなかった。その一行がいちばん読みやすかった。
「お嬢様は、お元気です」
ミーナは聞かれる前に言った。
「手は、まだ布です。昨日の夕方、リリア様と二人で寮監の先生のお部屋へ紙を一枚持っていかれました。何の紙かは、お嬢様から」
「分かった」
*
翌日の昼の鐘のあと、女子寮の面会室へ行った。
窓の外には前と同じ洗濯物の竿が並んでいた。娘とリリアは卓の向こうに並んで座っていて、二人とも手に白い布を巻いていた。リリアの布は肘の上まであった。カイルは扉の外に立って待った。
娘は卓の上の紙を布の手の先で俺のほうへ押した。
「先に、一つ直させてください。この前、この部屋で、リリアさんも同じ考えです、とお父様に申しました。あれは、リリアさんに聞いていませんでした。聞き直して書いてもらったのが、この紙です」
紙にはミーナの字で六行あった。三つ目の行の端に寮監の名が書いてあった。
俺は一行ずつ読んで、紙を卓に戻した。
「この中には、大人がする行がいくつかありますね。私の分はどれですか」
リリアが少し考えてから、布の手の先で五つ目の行を指した。
「お父さんとお母さんに、全部。学院長様がお父さんに話してくださったのは、起きたことだけでした。わたしが怖かったことは、まだです」
「分かりました。どこまでをあなたが話して、どこからを私が読みましょうか。私が言うのは、この紙に書いてあることと、大人の側が何をしたか、これから何をするかだけにします。あなたの気持ちを私が足して話すことはしません」
リリアは紙の上の自分の行を見ていた。
「怖かったところは、わたしが言います。最初の一言が出なかったら、一つ目の行から読んでください」
「そうします。学院長と一緒に店へ行きます」
「お願いします。お父さん、偉い人が二人来たら、パンを焼きすぎると思いますけど」
娘が小さく笑いかけて、やめた。
俺はもう一つ言っておくことにした。
「話す時期は、その時ごとにあなたに聞きます。私も、聞かずには決めない」
リリアは娘の顔を見てから、俺のほうへ頷いた。
「お父様」
娘が言った。
「寮監の先生が、お父様にお見せしたいものがあるそうです。ブラント様の家からの手紙のことです」
*
寮監の部屋は寮の玄関の脇にあって、棚に帳面がぎっしり並んでいた。
「今朝、ブラント嬢に、閣下にお見せしてよいかを聞きました。よいと申しました。ただ、父には言わないで、と同じことを言い添えました」
寮監は封を一つ卓に置いた。学院の中を通る手紙は寮監の帳面に一行ずつ残る。この封は一昨日の昼に、ブラント伯爵家から別棟のコルネリアあてに届いていた。
中の字は整っていて、筆の運びに迷いがなかった。終わりの署名だけが太くて大きかった。
「本文は書記の字でしょう。署名だけが伯爵のものです」
寮監は文面の中ほどを指した。
――体を損ねたと聞いた。よく休み、早く務めに戻れ。弟も、姉が務めを済ませて帰る日を待っている。務めの済まぬうちは、弟の冬の支度も整わぬ。
「ブラント嬢は封を切って読んで、その晩のうちに自分でこれを持ってきました。その時に話したことを、本人の許しで書きとめてあります」
寮監が開いた帳面には、日付と刻のあとに短い行が三つあった。
――父の言うとおりにしなかった時は、弟の部屋に外から鍵がかかります。去年の冬は三日でした。食事は一日に一度、戸の下から。
――弟は十です。王都の屋敷にいます。
――わたくしが学院にいるあいだは、わたくしには何もできません。
冬の支度、という文字をもう一度見た。寒い部屋の戸の下に皿が一枚差しこまれるところが、勝手に目の前に浮かんだ。
「学院の中なら、あの子は守れます」
寮監は帳面を閉じなかった。
「でも、弟君は学院の外です。それに伯爵家が娘を下げると届ければ、学院は止められません。その日のうちに迎えの馬車が来ます」
俺はしばらく黙っていた。
「書かれていることと、本人が言ったことは分かりました。もう一つ、外から確かめさせてください」
「疑っておられるのですか」
「疑ってはいません。確かめずに動けば、動いた理由を、あとで誰にも見せられなくなります。あの子のためにも、それは困る」
寮監は少し考えてから、帳面の写しを作ると言った。
「それと、学院長からの言付けがございます。預け先が決まったら、預かる方に話してよいことを三つ決めてあると。細工の中身は、預かる方にも出さないそうです」
*
寮でコルネリアの話を聞いた晩に、セバスに一つ頼んでおいた。ブラント伯爵家に勤めたことのある者が、うちの照会の帳面にいないか。
うちに勤めたいと申し込んだ者については、何年も前から、紹介状を書いた者と前の勤め先と保証人に別々に問い合わせている。それとは別に、セバスが本人と会って話したことも同じ帳面に残す。前の会社の採用の書類棚と同じで、使い道は入れた時には分からない。
屋敷へ戻ると、セバスが帳面を開いて待っていた。
「春に、ブラント伯爵家で下働きをしていた女が、台所に申し込んでまいりました。三か所への問い合わせでは、どこも悪いことは申しておりません。ただ、本人と会った折に、前の勤めをなぜ辞めたかを尋ねましたら」
セバスは帳面の行を指でなぞった。
「坊ちゃまのお部屋には外から錠があって、鍵は家令が腰に下げている、と申しております。冬に三日、坊ちゃまがお出にならなかったことがある、とも」
「その女は今どこに」
「うちの洗濯場におります。お言付けをいただいた翌朝に、もう一度呼んで聞きました。同じことを申しました。ただ」
セバスは帳面から目を上げた。
「その時は、坊ちゃまが熱を出されたので戸を閉めたのだと、家の者は言っていたそうでございます」
熱のために閉めた戸なら、外から錠は要らない。そう思ったが口には出さなかった。俺が知りたいのは伯爵の腹の中ではなかった。十の子が冬にどこで眠るかだった。
二人の口から同じ戸の話が出た。それで伯爵を責めることはできないが、子供をその戸の外へ出す理由にはなる。
*
王妃は北の小さな客間で会った。春と同じく、侍女が一人扉の脇にいた。
俺は椅子に座る前に頭を下げて、下げたまま言った。
「お願いがあって参りました。二人、預かっていただきたい」
「顔を上げて。下げたままでは、椅子を勧められないわ」
顔を上げると、王妃は扇を閉じたまま俺を見ていた。
「ブラント伯爵の娘を、王妃様の侍女見習いとして女官寮へ。十になる弟を、小姓見習いとして同じお膝元へ。どちらも王妃様のお召しとして」
「お召しなら、伯爵は断れないわね」
「はい」
王妃は扇の先で膝を一度叩いた。
「その娘は、何をしたの」
「学院で、怪我人の出た件を調べています。あの娘はその調べの中にいます。何をしたのかは、まだ決まっていません」
学院長の許しで話せることは、あと二つあった。
「学院では今、術具にも鍵にも触らせていません。こちらでも、そういう仕事は任せないでいただきたい。調べには、移った先からも答えさせます」
「調べの中にいる娘を、わたくしの膝元に置けと」
「はい」
「守ることと、咎めないことは別、ということね」
「はい。お膝元にいるあいだも、学院の調べは続きます」
「弟のほうは」
「何もしていません。十です」
俺は寮監の帳面の写しと、セバスの照会の帳面の写しを卓に置いた。王妃は二枚を読み終えても、しばらく扇を開かなかった。
「見返りは」
王妃が言った。
「その娘は、王妃の預かりになったら、何を話すの」
「何も約束させません」
ここは先に決めてきた。
「話すかどうかは、本人が決めます。守ることと話させることを、取り替えるつもりはありません。取り替えれば、守られている間じゅう、あの子は値札を下げて暮らすことになる」
「取り替えないなら、わたくしの手には何が残るの」
「王妃様のお膝元で、子供が二人、冬を越します」
王妃は少しのあいだ俺の顔を見ていてから、扇を開いた。
「いいわ。女官長に任せます」
扇の陰で、王妃は言葉を続けた。
「でも一つだけ聞かせて。今度のことは分かったわ。手紙を読んで、外からも確かめて、すぐに来た。それなら早くて当たり前ね」
王妃は扇を少し下げた。
「夏に、学院の決まりが一つ増えたでしょう。演習の前の晩に、術具の中まで検める。届けの申し出人に、あなたの名があったわ。あの時は、まだ何も起きていなかった。……なぜ」
「それは、お答えできません」
「そう。それも書いておくわ」
呼ばれてきた女官長は、白髪をきっちり結った背の低い女だった。王妃の言うことを一度で書き取ると、自分から三つ足した。
伯爵家からの手紙はすべて女官長の帳面を通る。家の者が会いに来た時は女官長が同じ部屋にいる。弟君がどの棟で寝るかは、女官長と近衛の帳面にだけ書く。
「閣下にもお教えいたしません」
女官長が言うと、王妃が扇の陰で笑った。
「教えたら、あなたの顔に出るもの」
その晩、寮監が別棟でコルネリアに話した。移らずに別棟に残ることもできる、とも言い添えた。
コルネリアは、弟が先に移るのかを二度聞いてから、移りますと言った。翌朝の寮監の書付にそうあった。
*
弟は次の日の二の鐘の前に王妃宮へ入った。昼過ぎに届いた女官長の短い書付には、伯爵は身に余る光栄と申された、とあった。弟君は痩せているが熱はなく、医師に見せた、とも書いてあった。
その日の夕方、学院の門の前に紋のない馬車が止まった。
俺は詰所の脇で警備の長と並んで待った。寮監が玄関から出てきて、半歩うしろにコルネリアがいた。学院には療養のためにしばらく休むと届けてある。鞄は別棟へ移った時と同じ一つだけだった。
コルネリアは俺に気づくと足を止め、寮監が頷くのを見てからこちらへ来た。巻いた髪は朝のままきれいだった。
「公爵様。わたくしは、何を申し上げればよいのでしょう」
「何も」
「でも、王妃様が」
「弟君は今朝、王妃様のところへ入った。あなたが何かを話しても話さなくても、それは変わらない。変えないという約束を、王妃様からいただいてある」
コルネリアは笑おうとしたのだと思う。口の端だけが上がって、目は動かなかった。鞄の取っ手を握った指の先が白かった。
「……父には」
「伯爵には、王妃様のお召しだとだけ伝わっています」
コルネリアは少し黙ってから、鞄の取っ手を握り直した。
「弟には、会えますか」
何を申し上げれば、と聞いた時とは声が違っていた。
「会う日は女官長が決めます。会えるようにしてほしいと、私からも頼んであります」
「……はい」
コルネリアは深く頭を下げて、下げたまま何か言いかけた。
「ヴァレンシュタイン様に、……いいえ。何でもございません」
寮監が馬車の扉を開け、コルネリアは振り向かずに乗りこんだ。馬車は並木道を下っていった。
詰所の卓を借りて手帳を開いた。弟がどこで眠るかは知らない、と書いた。
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