父の調べる場所
中はわたくし、外はお父様。
娘の決めた分け方を、帰りの馬車で手帳の最初の頁に書いた。書いてから、外の欄に三つ足した。
――案内役の女は、どこから学院に入ったか。
――偽の書付の紙は、どこから出たか。
――教会の机に下書きを置いた者と、その費え。
学院の帳面は俺の名では開かない。だが女が学院へ来る前に通った道は、学院の外にある。紙も、金もそうだ。
*
翌朝、王太子府へ出向いた。
侍従の次官は四十がらみで、指の長い男だった。俺が名乗る前から立ち上がっていた。自分の名で偽の書付が書かれたことを、この男は奉献の昼に知らされている。
「私の名でございます。私の字ではございません」
次官は卓に二枚を並べた。一枚は学院の詰所から封のまま届けられた偽の書付で、警備の長の部下が一人、戸口で待っていた。もう一枚は、同じ日付で次官自身が書いた別の公文の控えだった。
並べると、違いはすぐに分かった。次官の署名は最後の一画を左へ払う。偽のほうは払いが短く、筆が一度止まっている。止まったところで墨が少し溜まっていた。
「似せようとして、似せきれなかった字です。ただ、紙は」
次官は偽の書付の端を窓の光に透かした。王太子府の紋が薄く浮いた。
「紙は本物です。王太子府の用紙でございます」
「この紙は、どこへ出ていますか」
次官は書記を呼んで、用紙の払い出しの帳面を持ってこさせた。束ごとに日付と行き先が書いてある。侍従の間、近衛の詰所、王太子府の書記の間。春のところに一行、王太子府の外へ出た束があった。
――宰相府書記の間へ、一束。殿下の公務の予定につき往復の文書のため。
「宰相府との往復は、毎年ございます。殿下の公務の予定は、宰相府の日程と合わせますので。紙も一束お送りしております。宰相府の書記の間のほかにも、教会の典礼係へ一束。こちらは春の行事の願い出の返書に使うよう」
王太子府の外へ出た束は二つあった。宰相府と、教会の典礼係。毎年のことなら、毎年その紙はそこにある。束の中から一枚抜かれても、帳面には残らない。
「奉献の書付の件で、典礼係へは」
「学院長様から問い合わせがあったと伺っております。王太子府からは、まだ。王妃様が、学院の側を先にと」
次官はそこで少しだけ声を落とした。
「殿下は、ご自分の道の紙が偽だったとお聞きになって、私に一つだけお尋ねになりました。この紙の通りに北の階段を下りていたら、何が起きることになっていたのか、と」
学院の詰所で読んだ下書きの行を思い出した。北の階段で光の乙女が足を取られ、殿下が抱きとめる。あれは学院が預かった紙だ。俺の口から王太子府へ話すことではない。
「学院長から、王太子府へ知らせが行くはずです」
それだけ言った。次官は黙って頷いた。
*
案内役の女の道は、セバスが先に歩いていた。
学院長が警備の長を通して知らせてくれたのは、女が春に案内役として雇われた時の届けの写しだけだった。名と、届けた下宿と、紹介の口。紹介の口は、王都の川沿いの口入れ屋だった。
「前の調書に出てくる店とは、別の店でございます」
昼過ぎに屋敷へ戻ると、セバスが書斎で待っていた。前の口入れ屋の件を知っているのは、この家では俺とセバスだけだ。
「店の主は、女が冬の終わりに保証人の一筆を持って来たと申しております。学院の案内役の口は春の行事の前にいつも出る。その口へ回した、と。保証人の住まいは港の倉の並びの貸し間で、半年分の家賃が前払いで、誰も住んでおりません。家賃を払ったのは名を言わない男で、銀貨だったそうでございます」
「紹介の手数料は」
「普通の倍。店の主は、いい客だったと」
セバスは帳面を閉じた。
「女の下宿のほうは、奉献の前の晩に荷をまとめて出たと、大家が申しております。行き先は告げておりません」
前の晩だった。灯り番が西の小階段の踊り場の部屋に鍵をかけたのと同じ晩だ。それだけで、同じ誰かが二つを用意したとは言えなかった。
前にも同じ形を見た。保証人の住まいに誰もいない志願者が二人いた。屋敷の奉公の口だった。あの時の書付は調査官に渡してある。
「あの時の二人と、この女は」
「同じ者かどうかは分かりません。あの時の二人は書付だけでお断りいたしましたので、顔を見た者がおりません」
書付だけで断った者の顔は、誰も見ていない。断った側には、断った書付しか残らない。
*
三日目の昼に、宰相府へ用紙の払い出しのことを尋ねに行った。
王太子府から出た束が宰相府の書記の間でどう使われたかは、宰相府の帳面にしかない。宰相の許しがなければ開かない。だから宰相に会いに行った。
王宮の東の回廊で、宰相のほうが先に足を止めた。六十に近いが、背筋はまっすぐで、細面の顔に皺が深かった。
「閣下。令嬢のご無事を伺って安堵いたしました。学院も、とんだことでした」
「お気遣いを。今日は宰相府の書記の間の帳面を、拝見したくて参りました」
俺は王太子府の払い出しの行のことを話した。偽の書付が王太子府の用紙に書かれていたこと。春に宰相府の書記の間へ一束出ていること。帳面を見て、その束が今どこにあるのかだけを確かめたいこと。
「当然のことです。ご覧に入れましょう。明日の昼にでも、書記の間で――」
「閣下は明日の昼は、御前で北の国境の件でございます」
低い穏やかな声が宰相の後ろから言った。
宰相の半歩うしろに、灰色の服の男が立っていた。紙の束を胸に抱えている。いつからそこにいたのか、俺は気づかなかった。
「その後、大聖堂の参事会。明後日は朝の二の鐘から半刻が空いております。書記の間の帳面は、私がその刻までに揃えておきます」
秘書官のローデリヒだった。十年前に王宮で一度名を聞いた。それから何度か宰相の後ろの壁際で見た。
背中を冷たいものが流れた。
十年前と同じだった。腕の筋が勝手に固くなり、右手が腰のあたりで何かを握ろうとした。腰には何も下げていない。俺は右手を上着の裾へ持っていって、裾を掴んだ。掴んだまま離さなかった。
「では、明後日の二の鐘に」
宰相はそう言って頷いた。秘書官の言ったとおりに頷いたと、俺は思った。
「閣下も、ご苦労の多いことです。学院のことは、どうぞ学院にお任せを。親が騒げば騒ぐほど、噂は大きくなるものですから」
宰相は軽く一礼して回廊の奥へ歩いていった。秘書官は宰相の半歩うしろについて、ほとんど足音を立てなかった。角を曲がる時、一度だけ俺のほうを見た気がした。見たかどうかは分からない。顔に何も浮かんでいなかったからだ。
裾を離すと、手のひらが濡れていた。
二人が角を曲がっても、背中のこわばりは残っていた。十年前もそうだった。なぜなのかは身体に聞いても答えない。出てくるのは汗だけだ。
回廊の柱の陰で手帳を出して、一行だけ書いた。
――宰相の予定は、秘書官の頭の中にある。
*
明後日の二の鐘に、宰相府の書記の間の帳面は揃っていた。
春に王太子府から受け取った一束は、受け取りの日付と、受け取った書記の名があった。使った枚数は月ごとに付けてあり、残りは棚の箱に十七枚。箱を数えさせてもらうと十七枚あった。
数は合っていた。だが、数を付けているのが、合わせることのできる者なら、数が合うのは当たり前だった。
それでも月ごとの欄から一つだけ分かった。春の三の月に二枚、王太子府への予定の返書に使ったとある。使ったのは一人の書記だった。
「その返書の控えは、別の綴りにございます」
秘書官が戸口で言った。
「お入り用でしたら、書記に出させます。ほかにご入用の帳面があれば、いつでも」
親切な申し出だった。俺の背中はそれでも冷たくなった。礼を言い、古い控えの綴りは書庫の奥にあるというので、揃ったら見せてもらう約束をした。使った二枚に返書の控えが二通そろえば、その二枚は確かに使われた紙だ。
帰りに王宮の図書館の書記の部屋へ寄った。先生が三年前に出していた奥の棚の願い出に、ようやく返事が出ていた。封のまま預かった。
*
その晩は娘の手紙が届いていた。
星の印の封で、紙は一枚きりだった。補佐は先生の昔の弟子で、俺の知らない者だという。追伸によれば、面会室の隙間風は夏はちょうどよいのだそうだ。
どこの誰なのか、手紙には書いていない。書くなと言ったのは俺だ。手紙を三度読み返した。
書斎を出て東の棟へ向かった。王宮の図書館の返事を先生に渡す用があった。弟子のことは聞かないつもりだった。
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