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【1万PV突破】悪役令嬢の父親に憑依した俺、娘を見捨てる未来だけは絶対に認めない  作者: 白川 透


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流される噂

 娘の茶会のことを、俺は他人の家の奥方が聞いてきた話として、老伯爵の口から知った。


 春の評定で隣の席だった老伯爵が、昼過ぎにふらりと屋敷へ来た。用向きは庭の薔薇を一本見せてほしい、だった。薔薇園の前まで来ると、老伯爵は薔薇を見ずに杖の先で砂利をつついた。


「家内が、昨晩、ブラント伯爵夫人のサロンへ出ましてな」


 ブラント。その名が出たところで、背中の筋が一本固くなった。

 八年前、毒の入った菓子の箱を辿った先にあったのは、ブラント伯爵家の家令の為替だった。家令に誰が命じたのかは出ていない。この春には、娘の友人の制服を汚した青の瓶を、ブラント嬢付きの侍女が買っている。


「夫人方が、おたくのお嬢様の話をしておったそうです。光の乙女を手元に置いて、ご自分の談話室で茶会を開かれた。一年の茶会にわざとぶつけて、殿下のお目に触れぬように囲っておられる、と」

「茶会」

「ご存じなかったか」

「……娘の暮らしのことは、聞かない約束でして」


 老伯爵は杖を止めて俺の顔を見た。


「家内が申すには、皆、同じ言い方をしておったそうです。手元に置く、と。三人が三人とも。それと、光の乙女のほうがお嬢様に頭を下げて茶会に入れてもろうた、という話も出た。そちらも、言い方が揃っておった」


 老伯爵は薔薇のほうへ向き直った。


「もう一つ。初夏の奉献の礼拝で、光の乙女が祝福の歌の前の列に立って、殿下に花を捧げるそうだ、と。美しい話になる、と夫人方は喜んでおったとか。……公爵、噂で人は死にませんが、家は傾きます。家内が妙な話だと申すので、伝えに参った。それだけです」

「ありがとうございます」

「礼は薔薇でいただく。その赤いのを一本」


 「騎士の頬」という赤い薔薇だった。俺は自分で鋏を入れて、棘を落として渡した。


*


 老伯爵の馬車が門を出てから、書斎の窓の前に立った。


 娘が茶会を開いた。俺はそれを知らなかった。

 知らなくてよかった。誰を呼んでどこに座ったかは紙の二つ目の欄で、知らないのは約束が守られている証のはずだった。

 その欄のことを、ブラント伯爵夫人の客間に集まった奥方たちが俺より先に話している。俺の知らない形にして。


「セバス」

「はい」

「ローウェンの報告に、茶会のことはあったか」

「一つ目の欄に、何もございませんでした」


 カイルは書かなかった。書かない約束だから書かなかった。危ないことがなかったから書かなかった。

 ペンを取った。娘への手紙の一行目まで書いて、そこで手が止まった。茶会のことを聞かせてくれ。それを書けば、二つ目の欄の扉を俺の側から叩くことになる。


 書きかけの紙を伏せた。


「奉献の礼拝のことは」

「学院の初夏の礼拝でございます。王家から殿下がお見えになり、寄進の家の当主も後ろの席に並びます。毎年、旦那様にもお招きが」

「光の乙女が前の列に立つ、という話は」

「伺っておりません」


 食卓であの子は言った。教会から三回手紙が来て、三回とも断った。四回目が来たら何と書いて断ればいいか分からない。

 断ったはずの子が、奥方たちの話の中ではもう花を持って殿下の前に立っている。


 手帳の予定表を開いた。教科書。制服。その次の行に、悪い噂、とある。妹の画面では夏だった。光の乙女が殿下に取り入っているという噂で、出どころはエレノア様のサロン仲間だと、画面の中の令嬢たちは言っていた。

 娘にサロン仲間はいない。十五の娘はサロンを開かない。サロンを開くのは伯爵夫人の格の奥方たちだ。


 画面の中で噂を流したのは本当に娘の仲間だったのか。娘の仲間ということにされた誰かだったのか。それは画面には出てこなかった。


*


 娘の手紙はそれから五日後に届いた。


 厚かった。娘の字の便箋が一枚と、見たことのない字の紙が三枚入っていた。


 ――お父様。茶会のことは二つ目の欄です。

 ――そのあとの噂のことを、三つ目の欄からお知らせする欄へ移しました。わたくしのことだけでなく、リリアさんのことも悪く言われています。同じ言い回しが、あちこちから聞こえます。

 ――同じ組のユリウス様が、噂を聞いた方にいつ誰から聞いたかを尋ねてくださいました。写しを、ユリウス様のお許しをいただいて同封します。名はユリウス様が伏せてくださいました。

 ――わたくしにもリリアさんにも、怪我はありません。噂で怪我はしません。でも、言い回しが揃っているのは、少し気持ちが悪いです。


 ユリウス。宰相の息子だ。

 娘と同じ組だということは、この手紙で初めて知った。それ以上は知らない。あの父親が、人を数で見る男だということなら知っている。


 三枚の紙は細い字でびっしり埋まっていた。言い回しと、聞いた刻と場所と、その者がどこで聞いたかの表だった。


 表は二十二行あった。言い回しの欄は四つの形しかなかった。手元に置く。殿下から遠ざける。わざとぶつけた。頭を下げて入れてもらった。

 いちばん右の欄、その者はどこで聞いたか、に、家の手紙、母から、が十一行並んでいた。家の手紙が届いたのはどれも茶会の翌朝だった。


 三枚目の下に別に書き付けがあった。


 ――家の手紙で知ったと答えた者のうち、手紙の主に重ねて尋ねてよいと言った者は五名。五名がそれぞれ母に手紙で尋ね、三日のうちに四名に返事が来た。四名の母は茶会の当日の晩、ブラント伯爵夫人のサロンに出ていた。一名はまだ返事がない。サロンは毎週、休みの日の晩に開かれる。名と返事の手紙は私が預かっている。

 ――速いだけなら、皆の好きな話というだけである。同じ言い回しが、同じ刻に、離れた場所で聞こえるのは、少しおかしい。

 ――私に分かったのはここまでである。サロンで誰がこの話を最初にしたか、サロンの者に誰が茶会のことを伝えたかは分からない。寮の外へ出る者、手紙を出す者は多い。


 最後に一行、紙の端に少し大きな字で。


 ――公爵閣下へ。噂を追うのは噂を流すのと同じだけ手間がかかります。私がしたのは、聞いた者にいつ誰から聞いたかを尋ねただけです。伏せた名を求められてもお出ししません。 ユリウス・アルシュタイン


 俺は表を三度読んだ。三度目はいちばん右の欄だけを指で辿った。


「セバス。これを見てくれ」


 セバスは灯りのそばで三枚を読んだ。読み終えて、いちばん右の欄に指を置いた。


「休みの日の晩のサロンで出た話が、翌朝には娘たちの手元に届いております。老伯爵様の奥方様がお聞きになった晩と、同じ晩でございます。四名の母君も」


 茶会が終わったのが夕方の鐘で、サロンが始まるのは夕食のあとだ。そのあいだに話は伯爵夫人の客間まで届き、届いた時にはもう、手元に置く、という形に揃っていた。評定の控えの間で、当主たちが誰かの養い子を噂する時の言い回しだった。

 わざとぶつけた、という言い方も揃っていた。茶会は一年の茶会と同じ日ではない。招待状を見れば分かる日付が、揃って間違っている。同じ間違いが同じ言い回しのまま、サロンと家の手紙を通って寮へ戻ってきている。噂の中には、招待状と開いた扉から分かる以上のことは一つもなかった。


*


 夜、手帳にブラントの名が出た件を三つ並べた。


 ――菓子の箱(八年前) 家令の為替まで。

 ――制服の青(この春) 侍女が瓶を買ったまで。

 ――噂(今) 伯爵夫人のサロンが通り道になったまで。


 三つ並べると一本の線に見えた。家の中のものが三度同じ方を向けば、家の主が向けたと言いたくなる。

 三行とも、「まで」と書いてあった。

 画面の中の噂の行にも書き足した。


 ――原作の出どころは「エレノア様のサロン仲間」。娘にサロンはない。サロンを持っているのは誰か。


 ペンを置いて娘への返事を書いた。


 ――表を読んだ。ユリウス殿に礼を伝えてほしい。伏せた名はこちらも求めない。

 ――噂の出どころを公爵家が追えば、公爵家が噂を消しに来たという噂が一つ増える。だからこちらからはサロンへ何も言わない。老伯爵から、奥方が外で聞いた同じ話を聞いた。

 ――怪我はしない、と書いてあった。それでも、気持ちが悪いと書いてくれたのはよかった。

 ――一つ聞きたい。初夏の奉献の礼拝にアーヴェル嬢は出るのか。


 最後の一行を書いてから、それが二つ目の欄の問いかどうかを考えた。友人の予定を聞いている。だが、聞きたいのは友人のことではなかった。奥方たちの話の中で、断ったはずの子がもう花を持って殿下の前に立っていることだった。

 消さずに封をした。

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