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【1万PV突破】悪役令嬢の父親に憑依した俺、娘を見捨てる未来だけは絶対に認めない  作者: 白川 透


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第二王子

 入学して六日目の夜も、カイルの報告は二行だった。


 ――危ないこと なし

 ――体のこと 変わりなし


 一つ目の欄に一行足してあったのは、五日目の夜だけだった。講義棟の掲示板の前で、二年の第二王子殿下がお嬢様に「君が首席か」とだけ声をかけて立ち去った。知らない人に何かを聞かれた時、は娘の紙の一つ目の欄に入っている。

 朝の馬車の中で、俺はその紙をもう一度出して読んだ。二行のほかには何も書いていない。昼に誰と何を食べたのかも、誰と並んで歩いたのかも書いていない。書かない約束だった。紙を上着の内側へ戻すと、馬車は王宮の門をくぐった。


*


 春の評定は昼過ぎに終わった。


 領地を持つ家の当主が年に一度、王宮の東の広間に集まって、冬のあいだの収支と春からの普請を陛下に申し上げる。中身は前もって宰相府へ出した書面と同じで、読み上げるのが仕事だ。決算の発表の前の晩に、資料を一字一句そのまま読む練習をしていた頃を思い出す。

 俺の番は三番目だった。読み上げて席に戻ると、あとはほかの当主たちの数字を聞いていればよかった。


 当主たちが立ち上がりかけた時、陛下が手を上げた。


「皆、少し待て。顔を覚えてやってほしい者がいる」


 広間の脇の扉が開いて、若者が一人入ってきた。学院の紺の上着に二年の徽章をつけている。黒い髪で、背は兄の王太子より少し低い。陛下の椅子の斜め前まで来ると、当主たちのほうを向いて一礼した。礼の角度に無駄が一つもなかった。


「アレクシスだ。去年の秋に戻って、この春から学院に入れた。戻ってからは王宮の中ばかりにいたので、皆とはまだ話す折がなかったろう」


 陛下はそれだけ言って、いつものように大きな声で笑った。


 去年の秋、帰国の触れが出た日のことは覚えている。北の隣国へ留学していた第二王子が戻る、と触れには書いてあった。祝いの席で遠くから一度だけ見た。その晩、手帳の予定表の外側に一行書いた。名前と、問いの印を一つ。

 近くで見るのは今日が初めてだった。


 妹の画面で最後に出てくる顔だった。四人を全部終わらせると選べるようになる隠しの一人。妹は、この人だけ話が暗いんだよね、と言いながら夜中まで進めていた。俺は横で缶ビールを開けて見ていた。

 黒い髪。兄と同じ色の、少し冷たい目。いつも薄く笑っている口元。


 その口元が画面の中で一度だけ言った台詞がある。

 王宮の回廊で、悪役令嬢の馬車が崖から落ちたという報せを聞いた時だった。第二王子は光の乙女に背を向けたまま言った。


 事故、か。これでまた一人、口を塞がれた。


 画面の中で口を塞がれたのは、俺の娘だった。


 アレクシスは当主たちの列を端から順に見ていった。目が合った者には小さく頭を下げ、下げられた者はそれぞれに礼を返した。その目が俺のところで一呼吸だけ止まった。アレクシスは同じように頭を下げた。俺も礼を返した。返したつもりだった。


「公爵」


 隣の席の老伯爵が小声で言った。


「顔が、怖いですぞ」

「元からこういう顔です」


*


 広間を出て西の回廊を歩いていると、後ろから足音がした。


「ヴァレンシュタイン公爵」


 振り返ると、アレクシスが立っていた。供は連れていない。広間で見た時と同じ薄い笑みを浮かべていた。


「先ほどは挨拶だけで失礼しました。アレクシスです」

「ヴァレンシュタインです。秋のお祝いの席では、遠くからお見かけしました」

「僕も見ていました。公爵は、祝いの杯を一度も口へ運んでいなかった」


 声は柔らかく、言葉づかいも丁寧だった。祝いの席で俺が杯をどうしていたかを、本人の俺は覚えていない。


「学院で、お嬢様をお見かけしました。講義棟の掲示板の前で」

「護衛の報告で伺っております。首席か、とお声をかけていただいたと」

「名簿は上から読みます。いちばん上に名前がありました。それで声をかけた。ほかに理由はありません」


 回廊の窓から昼の光が斜めに入っていた。アレクシスの左手が窓枠の上に軽く置かれた。


「公爵に、一つ伺ってもいいですか」

「どうぞ」

「公爵は、亡くなった方を数えたことがありますか」


 アレクシスは窓の外を見ていた。俺の答えを待つつもりがあるのかどうかも分からない横顔だった。

 答えは探さなくても出てきた。


「領地の帳面に、冬ごとの数があります。冬を越せなかった年寄りと子供の数です。毎年、読んでいます」

「名前は」


 アレクシスは窓の外を見たまま聞いた。


「帳面には数だけです。去年の冬は、北の村で三人でした。村へ行ったので、その三人は名を覚えています」

「三人」


 アレクシスは少しだけ首をかしげた。窓枠の上で、左手の指が一本ずつ三つ動いた。


「数だけの方ではない。それが分かれば、今日は十分です。僕も数えています。ただ、僕のは帳面に載らないほうです」


 それだけ言うと窓枠から手を離した。離す前に、左手の指がもう一本だけ折れた。

 一礼して、来た道を戻っていった。


 背筋が冷えていた。

 これでまた一人。画面の中のあの声と、今の声は同じ高さだった。同じ柔らかさで、同じように何かを数えていた。


 黒幕の側だ、と思った。


 思った瞬間に、それはもう結論の形をしていた。この若者は、娘が死ぬことを知っていた。知っていて数えた。だとすれば次に数えられるのは。

 そこで足が止まった。


 七年前の夏、川に架かる石の橋のたもとで、俺は十の少年を責めた。娘を危ない目に遭わせた、と。少年は燃える布の下へ潜り、靴のない男の子を引き出した。潜ったところは、俺も見ていた。そのあと男の子を橋まで一度も下ろさなかったことと、娘がその背中を追って細い道を下りたことは、娘から聞いた。橋のたもとで、煤けた袖の少年は俺の目の前に立っていた。それでも俺が見ていたのは、いつか娘を断罪する王子の立ち絵だった。


 今、また別の立ち絵を見ている。


 誰をなぜ数えているのか、俺は何も聞いていない。画面の台詞も、崖の報せを聞いたあとの言葉だった。事故ではないと言った人間が、事故を起こした側だとは限らない。

 疑いは疑いのまま置いて、調べる。本人に聞く前に、表に出ていることくらいは知っておけるはずだ。


 回廊の先の窓に自分の顔が映っていた。眉間に深い縦の皺が寄っていた。指で伸ばしてみたが、すぐに戻った。


「公爵」


 中庭へ下りる階段の手前で、今度は女の声に呼ばれた。

 王妃が回廊の柱の脇に立っていた。侍女を一人だけ連れて、閉じた扇を胸の前で持っていた。


「評定、ご苦労さまでした」

「恐れ入ります」

「あの子を皆の前に出す日に、あなたが居合わせてくださってよかった。戻ってから半年になるのに、顔を知る人がまだ少ないの」


 王妃はそのまま少し俺を見ていた。何かを量る時の目だった。


「ところで、公爵。広間であの子を見ていた顔は、祝いの席で遠くから一度見ただけの人を見る顔には、見えなかったけれど」

「……」

「あなたは、答えにくいことを聞かれると、言葉の数が減るのね」


 減らしたまま黙っているわけにはいかなかった。危ないことの理由を集めたら先に出す。言えない理由は、言えないと言う。この王妃とはそう取り決めてある。


「殿下を危ういと思う理由は、まだ一つも集めておりません。集める前から顔に出たのは、言えないほうの理由です」

「そう。言えないほうが先に顔に出る人は、正直なのね」


 王妃は扇の先を指で一度なぞった。


「集めたら、わたくしに先に出して。あの子のことでも、あの子のまわりのことでも。わたくしはあの子の母ではないけれど、母のいないあの子の家の者ではあるのよ」


 それだけ言って、閉じた扇で膝のあたりを軽く打った。話の終わりの合図だった。侍女を連れて回廊の奥へ歩いていく背中を、俺はしばらく見ていた。


*


 帰りの馬車でセバスに聞いた。


「第二王子殿下のことで、表に出ていることを知りたい」

「表に出ていることでしたら」


 セバスは膝の上で手を重ねた。


「お母君は側妃様で、殿下が三つの年に病でお亡くなりになったと伺っております。五つの年から去年の秋まで、北の隣国に留学のかたちでおられました。講和の折の取り決めと、当時は噂されておりました」

「留学のかたち、か」

「さようでございます。お戻りの時の触れには、留学とだけございました」


 三つで母を亡くし、五つで国を出された。それは表に出ていることで、俺がこれまで読んでこなかったことだった。妹の画面にも出ていたのかもしれない。出ていたとしても、俺は缶ビールを開けていた。


「北でのご様子や、お付きの者のことは」

「そこから先は、表には出ておりません。お調べになりますか」

「表に出ている帳面だけでいい。触れの写しと、宮廷の暦と、王宮の人の出入りで公にされているもの。殿下の身辺を嗅ぎ回っていると思われれば、それだけで殿下の帳面に一行増える」


 セバスは黙って頷いた。

 馬車の窓の外で並木が流れていった。手帳を出して、去年の秋の一行の横に書き足した。


 ――亡くなった人を数えている。帳面に載らないほうを。誰を。いつから。何のために。


 問いの印をもう一つ付けた。


*


 屋敷に戻ったのは、夕方の鐘が鳴り終わる頃だった。


 玄関の石段を上がると、ミーナが扉の内側で待っていた。手に銀の盆を持っている。待っていること自体は珍しくない。盆を持って扉の真ん前に立っているのは珍しかった。


「旦那様。騎士団の詰所から、カイル様の便でございます。いつもの刻より早く届きました」


 盆の上の封書はいつもと同じ詰所の封だった。違うのは厚みと、封の上に赤で書かれた二文字だった。


 急ぎ。


 手袋を外すのも忘れて、その場で封を切った。紙は一枚ではなかった。一枚目の一行目にカイルの角ばった字が並んでいた。


 ――本日、一の授業のあとの全校集会のあいだに、アーヴェル嬢の教科書がお嬢様の机の中へ移されました。お嬢様にお怪我はありません。お嬢様のご意向により、学院の組の先生と警備の詰所へは、すでに届けてあります。


 手帳の予定表が頭に浮かんだ。教科書。春。二週目か。

 入学式から、今日で七日目だった。

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