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悪役令嬢の父親に憑依した俺、娘を見捨てる未来だけは絶対に認めない  作者: 白川 透


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来なかった出会い

 保護者の入りは二の鐘から、と門番は言った。


「まだ一の鐘が鳴って半刻でございます、閣下」

「分かっている。道が空いていた」

「……さようでございますか」


 門番は四十がらみの実直そうな男で、俺の顔と馬車の紋を見比べてから門の脇の長椅子を手で示した。俺はそこに座った。隣にミーナが座った。


「旦那様。私は、二の鐘に合わせてお出かけになるよう申し上げました」

「道が空いていた」

「道が空いているのは、まだどなたもお出かけになっていないからでございます」


 ミーナの言うことはいつも正しい。正しいので、俺は門の内側を見ることにした。


 王立学院は王都の北の丘にある。屋敷から馬車で半刻ほどだ。門を入ると石畳の並木道がまっすぐ延び、その先に講堂の白い石段が見える。並木道の途中で道が一本だけ左へ分かれていた。分かれた先に薔薇の生垣があり、奥に蔓を絡ませた白い拱門が立っている。


 あの拱門を、俺は知っていた。


 妹のゲームの最初の一枚絵だ。入学式の朝、道に迷った光の乙女が薔薇園に入り込む。拱門の下で金髪の青年が振り返り、花びらが一枚画面を横切る。そこへ公爵令嬢が現れて青年の隣に立ち、「殿下、そろそろ」と言う。それから乙女を見下ろして言うのだ。平民が光を持つなど、何かの間違いですわ。

 妹は、この令嬢ほんと感じ悪い、と言いながら次へ進めていた。俺もそう思っていた。


*


 二の鐘が鳴って門が開いた。

 新入生は昨日のうちに寮へ入っている。今朝は保護者が講堂の後ろの席に着き、新入生は前の席に着く。紺の肩掛けの教師たちが並木道に立って、来た者を講堂へ案内していた。


「旦那様、講堂はあちらでございます」

「少し、薔薇を見ていく」

「旦那様が薔薇をご覧になるのは、殿下がお屋敷にお見えになる日だけでございます」


 生垣の手前で足を止めた。拱門の下には、もう人がいた。

 金の髪が朝の光を跳ね返していた。背はガレスの肩を越えている。紺の上着に三年の徽章。手に紙を一枚持ち、見下ろしながら口を小さく動かしていた。在校生の祝辞を読み返しているのだろう。


 十七の王太子は、画面の中の青年とほとんど同じ顔をしていた。

 殿下がふと顔を上げた。生垣越しに目が合った。殿下は一瞬だけ目を丸くし、それから丁寧に頭を下げた。俺は会釈を返したつもりだった。殿下は小さく苦笑して紙に目を落とした。


「旦那様。今のは睨んでおいででした」

「会釈だ」

「殿下はそうお取りにならなかったと存じます」


 並木道を新入生が一人歩いてきた。

 栗色の髪が肩の上で跳ねていた。小柄で、制服の袖が手の甲を半分隠している。支給の寸法が合っていないのだ。隣に紺の肩掛けを掛けた痩せた女の教師がついていた。

 教師が何か言い、少女の肩に軽く手を添えた。二人は分かれ道で左へ曲がった。


 息が浅くなった。


 始まる。何十回も見た場面が、生垣の向こうで今から始まる。

 ここに立つまで、見てどうするのかを考えていなかったことに気づいた。止めるのか。見ているだけなのか。議題を読まずに会議室へ入った時の、あの胃の感じがした。


 講堂の脇の扉が開いた。


 淡い銀金の髪が石段を下りてきた。緑のリボンで後ろに一つ。結び目は少し右に傾いている。

 娘は早足で並木道を横切り、分かれ道の先で教師と少女に追いついた。何を言ったのかは聞こえなかった。娘は教師に膝を折り、講堂のほうへ手を向けた。教師は首を振って薔薇園のほうを示した。娘はもう一度、今度は短く膝を折った。

 それから少女に何か一言言った。少女は講堂の石段を見上げて、教師を見て、頷いた。


 二人は並んで分かれ道を戻っていった。並木道を横切り、白い石段を上がっていく。少女は一度だけ後ろを振り返った。


 教師は分かれ道に一人で残った。肩掛けを直して、拱門のほうを一度だけ見た。それから門のほうへ戻っていった。


 拱門の下では殿下がまだ紙を読んでいた。

 誰も来なかった。花びらも横切らなかった。殿下は最後の行まで読み終えると紙を畳み、上着の内側にしまって、一人で講堂のほうへ歩き出した。


「……来なかった」

「旦那様?」

「何でもない」


 胸の奥がゆるんだ。娘は乙女を見下ろさなかった。

 ゆるんだすぐ下が冷えていた。


 最初の一枚が外れたなら、二枚目はどうなる。教科書は。階段は。手帳の予定表は、どこまで当てになる。

 予定表が当たるなら、俺は先回りできる。当たらないなら、俺の手の中には何も残らない。


 一瞬、本気で考えた。今からでもあの少女に、薔薇園を通るほうが近いと言えば。殿下に、祝辞はあちらで読み返したほうが静かだと言えば。

 そうすれば予定表は当たる。当たる予定表のほうが、俺には守りやすい。


 馬鹿な考えだった。

 娘はさっき少女に声をかけ、少女は自分で頷いて娘と講堂へ行った。何を話したのかは知らない。それを物語の順番に戻そうとするのは、二人の一日を俺の資料に合わせて書き直すことだ。前の会社で、計画どおりに進まない現場を計画に合わせろと言って、いちばん嫌われたのは俺の上司だった。


 あの教師のことも気になった。新入生を薔薇園へ連れていこうとした。拱門を一度だけ見た。

 だが、迷っていた子に近道を教えようとしただけかもしれない。起きなかった場面は、誰かが仕組んだ証拠にはならない。

 ただ、講堂へ行くはずの新入生が違う道を言われたのは、見たとおりのことだ。それは学院に確かめていい。


「ミーナ。今の先生の顔を覚えておいてくれ」

「覚えました。左の頬に小さな黒子がございました」

「明日の引き継ぎで、学院の者に伝える。それまでは誰にも言わなくていい」

「かしこまりました。旦那様と学院の方にだけ、申し上げます」


*


 講堂の後ろの席は半分ほど埋まっていた。案内の教師に頼んで端の席にしてもらった。前に座ると、娘が振り返った時に見つかる。


 新入生の名が呼ばれた。誓いの言葉を読んだのは娘だった。新入生の総代は入学の試験の首席が務める、と案内の紙に書いてあった。

 娘は壇の中央に立ち、紙を見ずに読んだ。クラウディアに毎朝仕込まれた、大広間のいちばん後ろに届く声だった。講堂の後ろの席まで一字も欠けずに届いた。


 誓いのあとは属性を確かめる儀だった。

 壇の上に銀の盆が一つある。手を載せると、盆の縁に彫られた溝にそれぞれの属性の色が走る。


 娘が手を載せると、薄い青が溝を走った。走り終えたところから白い霜が花のように盆の上へ広がった。前のほうで小さなざわめきが起きた。娘は霜が溶けるのを待たずに一礼して席に戻った。


「リリア・アーヴェル」


 さっきの少女が壇に上がった。袖を一度まくってから、そっと盆に手を載せた。

 少女の指先と髪の先が淡い金色に光った。盆の溝に白い光が走り、一周してもまだ止まらず、二周目に入ってから消えた。


 講堂が静まり返った。

 前の来賓の席で白い法衣の司祭が一人立ち上がりかけ、隣の者に袖を引かれて座り直した。誰かが小さく言った。光の乙女。その声が前から後ろへ伝わってきた。

 少女は自分の指先を見ていた。光が消えていくのを、困ったように見ていた。


 リリア・アーヴェル。ゲームの主人公の名だった。妹は最初に付いている名前のまま遊んでいた。


 俺は娘の背中を見た。

 髪は一つに結んで巻いていない。扇も持っていない。画面の中の令嬢はいつも斜めに立って、顎を上げて人を見下ろしていた。今の娘は前を向いて座っているだけだ。

 立ち絵を重ねようとしても、娘の背中の上でずれた。


*


 式が終わると、保護者は講堂の前の広場で新入生と短く言葉を交わす。

 娘は広場の端で、さっきの少女と並んで立っていた。少女が何か言い、娘が短く答え、少女が両手を胸の前で握って何度も頷いた。俺の立つところからは何も聞こえなかった。


 娘がこちらに気づいた。少女に一言断って歩いてきて、俺の前で膝を折った。


「お父様。いらしていたのですね」

「入学式だからな。保護者は出ていいと書いてあった」

「はい。式には、出ていいと書いてありました」


 娘はミーナを見た。


「ミーナ。お父様は、何刻から門の前にいらっしゃいましたか」

「一の鐘が鳴って半刻でございます」

「ミーナ」

「お嬢様に聞かれたら、正直に申し上げるお約束でございますので」


 いつそんな約束をしたのか、俺は聞いていなかった。

 娘は広場の端を振り返った。栗色の髪の少女がこちらを見ていて、目が合うと慌てて頭を下げた。


「同じ組の方です。分かれ道で、薔薇園へ行くところでしたので。掲示では、新入生は皆、講堂の前に集まることになっていました」

「そうか」


 それ以上は聞かなかった。聞きたいことは山ほどあったが、どれも紙の二つ目の欄のことだった。


「お父様は、今夜は客舎ですね」

「明日の朝、学院の警備の者とカイルと、引き継ぎをする。それが済んだら帰る」

「はい。存じています」


 娘はもう一度膝を折って少女のところへ戻っていった。二人は並んで寮のほうへ歩いていった。


*


 学院の客舎の部屋は狭かった。窓から寮の屋根が見えた。どの窓が娘の部屋なのかは分からない。


 手帳を開いた。予定表の一行目に、入学式、薔薇園、と書いてある。その横に書き足した。

 ――起きなかった。娘が掲示どおり講堂へ案内した。


 少し考えて、もう一行足した。

 ――紺の肩掛けの女の教師。痩せている。左の頬に黒子。新入生を薔薇園へ連れていこうとした。


 問いの印は付けなかった。付ければ、明日からこの教師の顔を見るたびに印の形を思い出す。分かっていることだけを書いておけばいい。


 手帳を閉じて、明日の引き継ぎで聞くことを紙に書いた。授業中の警備の持ち場。カイルが自分の授業に出ている時の代わり。寮の出入りの帳面と合い鍵。病気の時と急ぎの時の知らせの道。教科書と持ち物の扱い。今朝、特待生に別の案内があったのかどうか。

 学院の運びに関わることは全部書いた。娘が誰と話し、何を食べるかは一つも書かなかった。そこから先を書けば、それはもう引き継ぎではなく、居残る理由になる。

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