御前会議
御前会議の間は思っていたより狭かった。
長い卓が一つあり、奥の端に陛下の椅子がある。その右に王妃、左に宰相、宰相の隣に白い法衣の大司教が座っていた。卓の両側に諸侯が並び、俺の席は陛下から見て右の三つ目だった。その隣に、ほかと形の違う椅子が一脚足されていた。案内の侍従が、今朝運ばせましたと言った。
娘はその椅子に座っていた。
大人の椅子で、座面が高く横木がない。娘は足首を揃えて宙に浮かせたまま、背筋を伸ばして膝に調査帳を置いていた。
殿下は陛下の斜め後ろに小さな卓をもらっていた。ガレスは扉の外にいる。卓の向かいの列のいちばん端にブラント伯爵がいた。席次を差配する役を解かれてから、伯爵の席は陛下から遠くなったらしい。
宰相の椅子の後ろの壁際に、灰色の服の秘書官が紙の束を抱えて立っていた。左手の指先が少し冷えた。
前の会社で決裁の会議に出るたびに思っていた。会議で決まることの九割は、会議の前に決まっている。残りの一割のために人が集まる。今日はその一割が九つの子の膝の上にあった。
「第一の議題。王太子殿下の婚約の件」
宰相が議題を告げた。手元には紙が一枚もなく、何も見ずに言った。
「陛下の思し召しにより、ヴァレンシュタイン公爵令嬢エレノア、ならびに王太子殿下に、この議題で申し述べることを許しております」
いくつかの顔が娘のほうへ向いた。宰相の目は、娘の頭の少し上を通り過ぎた。
はじめに王妃が言った。
「わたくしは、この秋のうちに正式な婚約を結ぶことを望みます。二年前の茶会で毒が出ました。この春には、王都の院で血が流れました。家の外で一人ずつ狙われるより、王家の内に入れたほうが守る手は多い。わたくしはそう量りました」
筋の通った話だった。五年前、前の持ち主も同じことを考えて娘の名を出したのだろう。
「公爵」
陛下に呼ばれて俺は立った。
「今、正式な婚約を結ぶことには反対いたします」
卓が少しざわついた。俺は書斎で娘に言った五つを、短く順に言った。九つでは中身が分からないまま決まる。正式な婚約は一方からは解けず、解くには罪が要る。娘はただ一人の跡取りだ。毎日が王宮の予定で決まる。春に娘の近くにいた者が斬られた。
「もう一つ、理由がございます。それは申し上げられません」
向かいの端で、誰かが鼻で笑った。王妃が扇を少しだけ持ち上げた。
「言えない理由は言えないと言う。公爵とは、そう取り決めてあります。わたくしは、それで結構です」
笑いは止んだ。俺は座った。娘は前を向いたまま、膝の上の調査帳に指を一本置いた。
「私は、延期を申し上げます」
宰相の声は穏やかで、卓の端まで届いた。
「令嬢が十六におなりの年に、改めて諮ればよろしい。それまでは候補のままで。九つのお子に今、荷を負わせることはございません」
卓のあちこちで頷く顔があった。いちばん角の立たない案だった。
ただ、宰相の案に書いてあるのは、十六の年に諮るということだけだ。誰が答えるのかは書いていない。十六では、婚姻にはまだ家長の同意が要る。その席で答えるのは、娘より先に俺になる。
「陛下。よろしいか」
ブラント伯爵が手を上げた。
「延期も結構。ですが、その前に申し上げておくべきことがございます。二年前の茶会で、毒はヴァレンシュタイン家の箱から出ました。去年の夏祭りの夜には、殿下が護衛の手を離れて火のそばへ行かれ、この令嬢がご一緒だったと聞いております。王太子妃の候補が、殿下を危ない所へお誘いするようでは」
俺の腰が椅子から浮きかけた。
浮く前に、娘の調査帳の上の指が見えた。指は動いていなかった。俺は肘掛けを握って座り直した。
「伯爵。茶会の件は、王家の調べで令嬢の筋は外してあります。為替の振り出しが誰の家令だったかも、調書に残っております」
王妃が言うと、伯爵の顎が少し引いた。それでも伯爵は座らなかった。
「では祭りの件は」
「レオンハルト」
陛下が斜め後ろを振り返った。殿下が立った。
「火のそばへ先に行ったのは私です。燃える日よけの下に男の子がいました。護衛から離れたのは、私が自分で決めたことです。ガレス殿と陛下にご心配をおかけしました。申し訳ありません」
殿下は頭を下げてから、伯爵のほうを向いた。
「令嬢に誘われたのではありません。私が先に動いて、令嬢はあとから来ました」
娘が椅子から下りた。足が床に着く小さな音がした。
「わたくしは父の指を自分で放して、殿下のあとを追いました。わたくしが決めたことです。父に心配をかけました。申し訳ありません」
娘は陛下に膝を折った。伯爵が口を開きかけた。王妃のほうが早かった。
「祭りの夜のことは、騎士団の報告で聞いています。男の子を助けたことと、護衛を離れたことは、別々に聞きました。殿下はガレスと、令嬢は公爵と、それぞれ振り返りを済ませている。殿下が先に動き、令嬢は自分の判断で追った。令嬢が殿下を危ない所へ誘ったという話には、使えません」
伯爵は口を閉じて、座った。
「令嬢。申し述べることがあるなら、今」
陛下が言った。娘は調査帳のあいだから畳んだ紙を出して広げた。
「お願いがございます。婚約を、内約としてください」
卓の端の諸侯が、何人か顔を上げた。
「候補のままですと、会議があるたびに誰かが決めようとなさいます。内約なら、決める日を皆様で約束できます。その日までは、誰も決めません。そのあいだに、わたくしは殿下を、お手紙で知りたいです」
娘は紙に目を落とし、一つ息を吸った。
「わたくしが十八になったあとのこの会議の席で、殿下とわたくしがそれぞれ自分の口で申し上げます。二人とも進むと申し上げた時だけ、正式な婚約をお願いいたします。そうでなければ、内約は終わります」
残りの行も、娘はつかえずに読んだ。家だけでは解かないこと。やめたいと言った者には三か月を置いてもう一度聞き、なお望めば解くこと。身に危ういことのある時は待たないこと。そのあいだ、言った者を責めないこと。言えない時は家が代わりに言わず、次の会議を待つこと。終えることを誰の不名誉にもしないこと。ほかの縁談を進めないこと。
最後の一行の前で、娘は読むのをやめて俺を見た。
「内約の見返りとして、どちらの家も、役や領地を求めません」
俺は座ったまま言った。
「これは私が足した行です。ほかは娘が選びました。案は家の案として、私の印で出します。紙の責任は当主が持ちます」
大司教が小さく咳をした。
「古い婚姻の法に、内約の例はございます。正式な婚約と婚姻に陛下のお許しが別に要ることも、この紙は変えておりません。法に背くところは見当たりません」
宰相が片眼鏡に指を当てた。
「私の申し上げた延期と、何が違いますかな」
「延期は、十六の会議で誰が決めるのかを書いていません」
娘が答えた。
「わたくしの案は、決める人と決める日を書いています。決める人は殿下とわたくしで、決める日は十八になったあとです」
「その時、お二人の言葉が分かれたら」
「内約は、終わります。終えることは、どちらのお家の不名誉にもしません。そう書いてあります」
宰相はしばらく黙っていた。それから片眼鏡を外して指のあいだで一度回し、また掛けた。顔は穏やかなままだった。
「公爵」
王妃が扇を膝に置いたまま言った。
「わたくしの申し上げたことは、まだ残っています。内約で、守る手は足りますか」
俺は立った。これは娘の紙には書いていない。俺の分だった。
「内約のあいだも、娘の外出の護衛と、屋敷に人を入れる時の照会は今のまま続けます。集めたことは、これまでどおり調査官を通して先に王妃殿下へお出しします。娘が王宮へ上がる日の行き帰りは、王家の騎士と、私の騎士とで決めさせていただきたい」
王妃が娘を見た。
「勉強会は」
「続けます」
「手紙は」
「父は読みません。殿下とわたくしのお手紙です」
王妃は扇の先で膝を一度打った。
「正式な婚約を急がなくても、守る手は増やせるということね。それなら、わたくしはこの案で結構です」
それから王妃は、斜め後ろの小さな卓を見た。
「レオンハルト。この紙は、あなたも縛ります。あなたが先に十八になっても、お嬢さんが十八になるまで待つのよ」
「待ちます」
殿下は母親を見て、それから陛下を見た。
「案の写しは、ゆうべ令嬢の手紙で読みました。私は、自分の将来が私の言わないうちに決まるのが、少し怖いと思っていました。この案は、そうならないように書いてあります。それで、一つだけお願いがあります。私の分は、私の口で申し上げます。その日まで、私の代わりに誰も答えないでください。陛下でも、母上でも」
陛下が殿下の顔を見た。それから、短く声を出して笑った。卓の何人かが驚いて顔を上げた。
笑いを収めると、陛下は卓を一巡り見回した。
「王妃の申した守りは、公爵が引き受けた。延期との違いは、令嬢が答えた。法に背かぬことは、大司教が見た。内約と、その特約を認める。正式な婚約は、令嬢が十八になったのちのこの席で、二人が申し述べた時に改めて諮る。特約は令嬢の読んだ紙のとおり、書記が写せ。異のある者は」
誰も手を上げなかった。ブラント伯爵も上げなかった。王妃は閉じた扇で膝をもう一度だけ打った。
「公爵。反対は、まだあるか」
俺は立った。
「今、正式な婚約を結ぶことには、今も反対です。この案には、賛成いたします」
言って、座った。
隣の椅子で、娘の足がほんの少しだけ揺れた。揃えたまま宙に浮かせていた足が一度だけ子供の足のように揺れて、また揃った。
*
会議が終わり、諸侯が席を立ち始めた。
娘は椅子から下りて、俺の上着の袖を指先でつまんだ。
「言えました」
小さな声だった。会議の間で読んだ声の半分もなかった。
「ああ。全部、聞こえた」
殿下は陛下のあとについて奥の扉へ向かいかけ、一度だけこちらを振り返った。娘は袖をつまんだまま、膝を浅く折った。殿下も同じ深さで頭を下げた。
表の扉が開いて、廊下の光が入ってきた。ガレスが立っていた。ガレスは娘の顔を見て、それから俺の顔を見て、一歩脇へ退いた。
娘は袖を放さないまま、扉を出た。
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