娘の議題
王妃からの返事は十日後に届いた。
――御前会議、第一の議題、王太子の婚約の件。ヴァレンシュタイン公爵令嬢エレノアに、席に着き、この議題について申し述べることを許す。陛下のお許しを得た。
――レオンハルトからも、同じ願いが出ています。
その下に王妃の字で一行あった。
――お父上の反対は、お父上の口から伺います。お嬢さんの言葉は、お嬢さんの口から。
娘を呼んで読ませた。娘は二度読んで二行目のところで指を止めた。
「殿下も、出たいとお願いしたのですね」
「そうらしい」
「わたくしは、殿下にはお手紙で何も書きませんでした」
娘は少しだけ口をとがらせた。先を越されたのか、同じことを考えていたのが悔しいのか、たぶん両方だった。
「議題は、できたか」
「できました。でも、足りないところがあると思います。皆で見てください」
*
その夜、書斎の燭台を四つにした。
セバスは呼ばれる前から上着を着ていた。ミーナは娘の椅子の後ろに立った。先生は杖をついて東の棟から来て、暖炉のそばの椅子に座った。娘が頼んだのだ。古い法のことは夏から先生の授業で少しずつ聞いていたらしい。
娘は調査帳のあいだから畳んだ紙を出して、机の上に広げた。
一、わたくしが十八になった時、わたくしが決めます。
二、それまでは、正式な婚約にしません。
三、やめることになっても、誰のせいにもしないでください。
三行だった。九つの子の字でまっすぐ並んでいた。
前の会社で取引先の契約書を初めて読まされた時に、法務の先輩に言われたことがある。書いてあることより、書いていないことを読め。揉めるのはたいてい書いていない所だ。
俺は紙に触れずに言った。
「足りないところを問うのは私だ。言葉にするのは先生とセバスに頼む。どれにするかは、お前が選べ。私の問いが気に入らなければ、そう言っていい」
娘はうなずいた。
「先に、一つ聞く。なぜ内約がいい。候補のまま待つのと、何が違う」
娘は紙の二つ目の行を指で押さえた。
「候補のままだと、会議があるたびに、誰かが決めようとします。急ぐ方は正式にしたいと言うし、ほかのお家の方は、わたくしでない人をと言うかもしれません。わたくしの知らない縁談を持ってくる人もいるかもしれません」
「それで」
「内約なら、決める日を皆で約束できます。その日までは、誰も決めないと。そのあいだに、殿下とわたくしは、お手紙で知り合えます」
娘はそこで少しだけ赤くなった。
「殿下のことを、もっと知ってから決めたいのです。好きかどうかは、まだ分かりません」
先生が椅子の上で少し身を起こした。
「内約と申しますのは、家と家とが文書で交わす約束で、王のご承認はまだいただかないものです。並の内約なら、両方の家が合意すれば解けます」
「両方の家が合意すれば、か」
娘の眉が寄った。セバスが古い例を一つ挙げた。片方の家が相手の家の不始末を言い立て、もう片方が折れて内約を解いた。本人たちには解けたあとで知らせた。
「それでは、四つの時と同じです」
「どうする」
「お家だけでは、解けないようにしてください。殿下も、同じにしてください」
先生が書いた。
――両家は、両名に諮らずして内約を解かない。
娘は先生の字を読んでそれから顔を上げた。
「では、わたくしがやめたくなった時は、どうなりますか」
誰もすぐには答えなかった。
家を縛る行は書いた。子供を縛る行はまだ書いていない。書いていないところが、そのまま娘を縛る。
「お前か殿下のどちらかが、やめたいと言えば、やめられるようにする」
俺が言うとセバスが静かに首を傾けた。
「旦那様。お子が喧嘩をなさった日に、やめると口にされることもございましょう。誰かに言わされることも」
それも本当だった。
先生が古い文書の言い方を一つ出した。申し出から三か月を置き、もう一度本人の口で確かめる。なお望めば、解く。
「三か月、待つのですか」
「怒った日に言ったことと、考えて言ったことを分けるためでございます。誰かに言わされたのでないことを確かめるためにも」
娘はしばらく考えていた。
「では、その三か月のあいだ、言った人を叱らないでください。殿下でも、わたくしでも」
先生が書き足した。
――両名のいずれかが内約をやめたいと申し出た時は、三か月を置いてその者の口で再び確かめ、なお望むなら両家はこれを解く。その間、申し出た者を責めない。
「十八の時は」
俺は紙の一つ目の行を指した。
「殿下は二つ上だ。殿下が先に十八になる」
「殿下だけが先に決めたら、また片方だけです。わたくしが十八になってから、二人で」
先生がうなずいた。
「十八になれば、婚姻に家長の同意は要りません。お嬢様が十八に達せられたあとなら、お二人とも、ご自分で決められる」
「どこで決める。誰かが、お前が決めたと代わりに言えば、それで通るかもしれない」
言いながら喉の奥が苦くなった。
「私でもだ。四つの時、お前の名前を出したのは、この家の当主だった」
娘は俺の顔を見た。何も言わなかった。それから紙に目を戻した。
「皆様の前で、わたくしの口で」
「殿下と、お前と、二人とも進むと言った時だけ、正式な婚約を願い出る。どちらかが言わなければ」
「内約は、終わります」
娘が先に言った。
「病気で行けなかったら」
「家が代わりに言うことはしない。次の会議を待つ」
先生が書いた。
――エレノアが十八歳に達したのちの御前会議において、両名が各々の口で申し述べる。両名がともに婚約に進むと述べた時に限り、両家は正式な婚約を陛下に願い出る。そうでなければ内約は終わる。両名のいずれかが申し述べられない時は、家が代わって述べず、次の会議を待つ。
「正式な婚約も、婚姻も、陛下のお許しが別に要る。これは、願い出るかどうかを決める約束だ」
「はい。願い出るかどうかを、わたくしたちが決めます」
三つ目の行はミーナの一言で変わった。陛下の前で声に出せますか、とミーナは聞いた。娘は小さな声で読んでみて、誰かのせいにされるのを怖がっているように聞こえる、と自分で言った。言いたいのはどちらの家の恥にもしないということだった。セバスが、古い文書では不名誉としないと申します、と教えた。
――内約を終えることは、いずれの家、いずれの者の不名誉ともしない。
娘は口の中で三度繰り返して四度目にはつかえずに言えた。
「最後に一つ、私から足したい」
三行には入っていなかったことだ。
「内約のあいだ、両家はお前たちにほかの縁談を進めない。それから、内約の見返りとして、どちらの家も役や領地を求めない」
「どうしてですか」
「うちが内約の見返りに何かを得たら、公爵は娘を売ったと言う者が出る。王家の側でも同じことが言える。見返りを取らないと書いておけば、少なくともその言い方はできなくなる」
娘はしばらく考えていた。
「ほかの縁談のほうは、わたくしが言います。わたくしがお願いしたことと同じですから」
娘はそこで少し言いよどんだ。
「役と領地のほうは、お父様が言ってください。どうして入れるのかは分かりました。でも、思いついたのはお父様です」
セバスが窓のほうを向いた。俺は、分かった、と言った。
その行は俺の分として先生に書いてもらった。
*
燭台の蝋が一つ分減った頃、紙が一枚になった。
娘はそれを両手で持って椅子から下りた。机の横に立って声に出して読んだ。父の分、と書き添えた一行のところで、娘は読むのを止めて、俺を見た。それから飛ばして次の行を読んだ。
小さな声だった。どの言葉にも、つかえなかった。
「お父様。これを出す時は、どうするのですか」
「家の案として、私の印で出す」
娘の顔が少し曇った。
「お父様の印で出すと、お父様の案になりますか」
「紙の責任は私が持つ。法に合わないところがあれば直させる。破る者がいれば、私が訴える。それが当主の仕事だ」
俺は紙の上の一行を指した。
「この行は、私が言う。ほかは、お前が選んだ。会議で読むのも、お前だ。私は先に、今、正式な婚約を結ぶことに反対だと言う。お前が読んだあとで、この案に賛成だと言う」
娘はしばらく俺を見ていた。それから紙を丁寧に畳んで調査帳のあいだに挟んだ。今度は、書斎の机の上で。
先生が杖をついて立ち上がった。
「お嬢様。今夜の授業は、これでおしまいですな」
「授業だったのですか」
「わしの楽しみのほうでございます」
先生は髭の中で笑って、それから脇腹を押さえて顔をしかめた。
ミーナが娘の肩掛けを直した。娘は扉の前で振り向いた。
「お父様。会議の前の晩に、もう一度読んでおきます。聞きに来てください」
「行く」
「わたくしの部屋の扉は、三回でなくてもいいです。お父様の叩き方で、叩いてください」
娘は膝を折って出ていった。セバスが燭台を一つずつ消して最後の一つを俺の手元に残した。
俺は机の端を指で二回叩いてみた。少し考えてもう一度叩いた。
お読みいただきありがとうございます!
「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマーク・評価・リアクションをいただけると嬉しいです。
Xでも更新情報などを発信しています。
よろしければこちらもフォローいただけると嬉しいです!
https://x.com/st_shosetsu




