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悪役令嬢の父親に憑依した俺、娘を見捨てる未来だけは絶対に認めない  作者: 白川 透


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王妃の問い

 王妃からの呼び出しは、秋の初めの雨の日に来た。


 祭りの夜の火の始末について伺いたい。書状にはそれだけ書いてあった。案内されたのは茶会の翌朝に調べを受けた書見の間ではなく、王妃の執務室の奥の小さな部屋だった。窓が一つ、机が一つ。椅子は二つしかなかった。

 机の上に紙の束が置いてあった。いちばん上の一枚に見覚えのある字があった。火消しの役所の長の字だ。


「お掛けになって、公爵」


 王妃は扇を閉じたまま膝に置いていた。侍女は扉の外に下がっていた。


「まず、お礼を申します。王家の夜に、川沿いの倉から火が出ました。川沿いの辻の桶が詰所の組より先に長屋へ水を掛けて、火は橋の手前で止まった。桟敷の近くでも灯籠が落ちて屋台の日よけが燃えたけれど、そちらは布だけで済んだ。迷子は四十一人を預かって、四十人が夜明けまでに家の者に渡った。役所の長はそう書いています」


 王妃は紙の束に指を置いた。


「残りの一人は、翌日の昼に叔母が詰所へ迎えに来たそうよ。これは長の追伸」


 俺は頭を下げた。下げながら、四十一人目がどうなったかを確かめていなかったと思った。


「礼は、王家の名で別に差し上げます。今日お呼びしたのは、そちらではないの」


 王妃は束の中から一枚を抜いて、俺のほうへ向けた。


「長の帳面の写しです。祭りのひと月前の日付で、公爵が役所へおいでになったとある。理由の欄に、乾き、灯籠、倉。櫓の番を三晩とも三人に。辻ごとの桶と鳶口の者は公爵家の雇い。祭りの三日前に灯籠の試しで小さな火が出て、桶で消えた」


 王妃は紙を机に戻した。


「去年の祭りの前に、公爵が役所へおいでになった記録はありません。一昨年も。その前も」

「去年は、雨が降っておりました」

「ええ。わたくしも長にそう聞きました。今年はひと月雨がなかった。井戸の綱が二尋長く要った。灯籠の注文が倍だった。倉に油と麻があった。どれも本当のことね」


 王妃は扇の先で紙の端を揃えた。


「公爵。あなたが集めた理由は、どれも本当です。でも、乾いた夏は前にもありました。灯籠が多い年も。倉に油が入るのは毎年のこと。それなのに、あなたは今年だけ、それを集めに行った」


 前の会社で一度だけ監査に入られたことがある。監査役は帳簿の数字を疑わなかった。数字はどれも正しかった。聞かれたのは、なぜその月にだけその数字を確かめたのか、だった。


「集めようと思ったのは、なぜ」


 王妃は俺を見ていた。急かす目ではなかった。答えが出るまで待つ目だった。


 言えることから言うことにした。


「集めたものは、全部、長に出しました。井戸はセバスが見ました。灯籠は組合に聞きました。倉は川沿いの組頭から。どこで出るかは分からなかったので、桶屋の組頭の話を聞いて、川沿いに厚く置きました」

「ええ」

「それから、娘が祭りに行きたいと言っていました。春の市に連れていかなかったので、今度は行くと約束しました。連れていくなら、桟敷の階段と路地を確かめておきたかった」

「それも本当でしょうね」


 王妃は少し首を傾けた。


「でも、それで足りる?」


 足りなかった。王妃にも分かっていて聞いている。


「もう一つ、理由があります」


 俺は言った。


「それは、お答えできません」


 王妃の扇が膝の上で止まった。


「答えられない。知らない、ではなくて」

「知らないことも多くあります。三晩のどの夜か、町のどこか、どれほど燃えるのか。私は何も知りませんでした。知らなかったので、辻ごとに置きました。ですが、言えない理由が一つある。それを嘘で埋めることはしたくありません」


 部屋が静かになった。窓の外で雨が中庭の石を叩いていた。


 王妃は扇を開いて、また閉じた。


「長がもう一行、書き添えているの」


 王妃は写しの端を指で叩いた。


「去年はどうだったかを、公爵は一度もお尋ねにならなかった。帳面を出したのは長のほうだった。乾きを心配して来る人は、たいてい先に去年のことを聞くものだそうよ。それに、三晩の桶と人の費えは、王都の火消し組のひと月分を超えている。乾いた夏の用心にしては、ずいぶん確かな顔で払ったのね」


 王妃は扇を膝に戻した。


「公爵は、どこで出るかは知らないと言う。それは信じます。でも、出るということだけは、ずいぶん前から決めていたように見える。わたくしはそれを勘がいいと呼んで済ませるほど、人を好意的に見る女ではないの」

「承知しております」

「でも、言えないと言った人に、言えと迫るつもりもありません。迫れば、あなたは何か別の話を作るでしょう。作った話を聞かされるくらいなら、言えないという言葉のほうがまだ役に立つわ」


 王妃は紙の束の下から、もう一枚出した。子供の字で描いた地図の写しだった。桟敷から細い道を下りて、石段、川べり、石の橋。道の脇に小さな数字が書いてあった。九十二。


「レオンハルトが持ってきました。あの夜のことを、あの子が全部話してくれた。あなたが謝りに来たことも」


 王妃の声が少しだけ変わった。


「あの子は、あなたに謝られた日の夜、夕食を残さず食べたそうよ。侍従がわざわざ知らせに来たわ」


 俺は何と言えばいいのか分からなかった。黙って頭を下げた。


「では、言えることだけで取り決めましょう」


 王妃は扇を机に置いた。


「この先、王家のまわりや王都で何か危ないことの理由を集めたら、集めた理由をわたくしに先に出してください。長に出したのと同じように。言えない理由は、言えないと言ってくださればいい。わたくしは集めた理由だけで動くかどうかを決めます。疑うのはやめませんけれど」

「疑われたままで、構いません」

「それと、毒の菓子の件。調査官は閉じていません。あなたが渡した手紙も、あの者の机にまだ置いてある。公爵家で何か出たら、調査官にも同じように」

「そのつもりです」


 王妃はうなずいた。それから少し間を置いた。


「わたくしからも、一つ。来年の秋の御前会議に、レオンハルトの婚約のことを諮ります。茶会のあとで延ばしていた選定を、会議の席に移すの」


 俺は膝の上の手を握った。


「冬から、候補の令嬢たちに王宮で月に一度、勉強会を開きます。宮廷の作法、手紙、客の迎え方。わたくしの侍女頭が教えます。家々は娘たちが何を学んでいるかを見られるし、娘たちはお互いを知る。選ぶ前に、知る時間を置きたいの」

「娘は」

「出すかどうかは公爵がお決めになって。出さないなら、それも一つの答えとして会議で伺います」


 王妃は俺を見た。


「反対なら、会議の席でおっしゃい。言える理由で」


 俺は返す言葉を探した。言える理由で。自分が今しがた使った言葉で、王妃は扉を一つ開けてくれた。開けたうえで、その扉の幅を決めていた。


「娘に聞きます。勉強会のことも、会議のことも」

「聞いてから決めるの?」

「聞いてから決めます」


 王妃は初めて、扇の陰でなく笑った。短い笑いだった。


「レオンハルトと同じことを言うのね。あの子も、決める前に聞きたいと言っていたわ」


*


 屋敷に戻ったのは夕方だった。


 娘は書斎の窓辺の椅子で星図を開いていた。秋の頁だった。机の上には書きかけの便箋が一枚あった。いちばん上に殿下の名が見えた。俺は見なかったことにした。


 俺は娘の向かいに座って、順に話した。王妃が火の記録を読んでいたこと。礼を言われたこと。来年の秋の御前会議で婚約のことが諮られること。冬から王宮で月に一度の勉強会があること。出るかどうかは決めていいこと。


 王妃に何を聞かれて何を答えなかったかは話さなかった。それは娘の荷物ではなかった。


 娘は星図を膝に置いて聞いていた。聞き終えると、星図の端を指でなぞった。


「来年の秋まで、一年あります」

「ああ」

「考える時間が、一年あります」


 娘はそう言って、自分の指先を見た。


「勉強会には、出ます。ヘルミーネ様も、コルネリア様も来るのでしょう。知らないまま決めるのは、いやです」

「会議のことは」

「それは、一年かけて考えます。お父様も、考えてください」


 娘はそこで少し黙った。指が星図の端で止まっていた。


「四つの時に、お父様はわたくしを王家の候補にしました。わたくしは、決まってから知りました」


 前の持ち主のしたことだった。俺がしたことではない。だが、娘にとっては同じ父の手だった。


「だから、今度は、決める前に話してください。お父様が反対なら、反対だと先に言ってください。黙って反対して、決まってから知らせるのは、いやです」

「言う」


 娘は俺の顔をしばらく見ていた。それから、うなずいて星図を開き直した。


「殿下へのお返事に、秋の白い鳥が早く沈むようになったと書きます。殿下より先に気づいたので」


 窓の外はもう暗かった。西の低いところに、白い星が一つ傾いていた。


*


 その夜、ガレスが厩舎の二階へ上がってきた。


「ベンノの借りを、初めから辿り直してる」


 ガレスは瓶の栓を抜かずに言った。


「紹介状の照会に借りは出なかった。お前がそう言ったろう。だから骰子の胴元、前の店の付け、下宿の溜めた家賃。借りのあるところを順に回らせて、調査官には質屋の帳面まで洗ってもらった」


 ガレスは懐から紙を一枚出した。


「川向こうの質屋に、菓子の道具箱が一つ入ってた。入れたのは下宿のおかみで、日付はベンノが消えた月だ。溜めた家賃の形にしたんだろう」

「下宿には、お前の部下が回っていたはずだ」

「回ってた。最初に聞いた時、おかみは、あの人の物は何も残ってないと言った。俺の部下はそこで止めた。おかみも、行方知れずの男の物を質に入れたと言えば咎められると思って、黙ってた」


 ガレスは紙を机に置いた。


「止めたのは俺の落ち度だ。流れの期限が来月だった。もうひと月遅かったら、どこかの菓子屋の棚に並んでた」

「流させるな。調査官の名で預かる。開けるのは調査官の前だ」

「そう言うと思って、もう話してある」


 ガレスはようやく栓を抜いた。

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