お母様に言いたいこと
(エレノア)
お母様のところへは花束ではなくて草を持っていきました。
薄荷とひびの草と鎮めの草です。それから石垣のすみに一つだけさいていた小さな白いお花も。きのうの夕方にミーナといっしょにつんで根もとを緑のリボンでたばねました。
ミーナはおうちにのこります。お父様と二人でしずかに行きたいですとわたくしがきのうの夜に言ったからです。ミーナは少しだまってから「かしこまりました」と言いました。
玄関でミーナはわたくしのえりをなおして外套の前をとめてくれました。とめたあともしばらく手をはなしませんでした。
「……お気をつけて」
わたくしに言ったのかお父様に言ったのか、わかりませんでした。
*
馬車はもんのない黒い馬車でした。
御者のおじいさんはいちばん古い厩のおじいさんです。窓の外のずっと前とずっとうしろに、お馬に乗った騎士の人が小さく見えました。うしろのほうにはガレス様もいるそうです。
王都の門を出ると、かりいれのすんだ畑がつづいてから道がのぼりになりました。木はもうほとんどはっぱがありませんでした。
わたくしはひざの上に草のたばをのせて、外套のかくしに入れた紙を上から一回さわりました。
「お父様。お母様には、わたくしの声が、きこえますか」
お父様はすぐにはこたえませんでした。
「……わからない。わからないが、話していいと思う。きこえていても、きこえていなくても。お前が話したいことがあるなら」
「はい。……あります」
何を話すのかお父様は聞きませんでした。
*
お母様のところは丘のてっぺんの少し手前にありました。
灰色の石の小さな礼拝堂です。屋根の上に銀の輪のかざりが一つのっていました。まわりにはひくい石がたくさんならんでいて、ぜんぶわたくしの知らない名前でした。
礼拝堂の中は外よりさむかったです。高いところに窓が二つだけあって細い光がおちていました。かべの石のたなのいちばん下のいちばん右に、お母様のお名前がありました。
その下にもう一行、お名前よりも長い字がほってありました。むずかしい字ばかりで、わたくしには読めませんでした。
うしろでお父様が息をすう音がしました。ふりかえると、お父様は手を胸に当てて少しのあいだ目をとじていました。お母様の絵の前で泣いた時と同じお顔でした。でもこんどは泣きませんでした。
わたくしは石の前にひざをついて草のたばを小さな石の台におきました。緑のリボンが灰色の石の上でとてもあざやかでした。
それから石にほってある字を指でなぞりました。
「イ、ザ、ベ、ル。……お母様の、お名前」
なぞりおわってからわたくしはふりかえりました。
「お父様。お母様と、二人で、お話ししたいです」
お父様は少しびっくりしたお顔をしてから「わかった。外にいる。声のきこえないところに」と言いました。
重い扉が半分だけしまりました。ぜんぶしめると中がくらくなりすぎるからです。
石はつめたくて、ひざの下からつめたさが上がってきました。
わたくしはかくしから紙を出しました。きのうの夜に書いた紙です。お父様にもミーナにも見せていません。
一、草のこと。
二、たのしかったこと。
三、お父様のこと。
四、こわいこと。
「お母様。エレノアです」
声に出すと礼拝堂の高いところで声が少しだけはねかえりました。
はじめに草のことを言いました。薄荷は胃の重い時、ひびの草は手がひびわれた時、鎮めの草はねむれない夜に少しだけ。お母様の帳面に書いてあったとおりに言いました。
「名前のわからないお花も、つんできました。お母様は、知っていますか」
お母様はこたえませんでした。それでいいと思いました。話していいとお父様が言いました。
二はすぐに言えました。
お茶をさいごまでいれたこと。リーゼとお人形のぬい目をくらべっこしてリーゼが勝ったこと。ペルに乗っていたらガレス様がつなをゆるめてくれたこと。
お父様が川におちたこと。
それを言ったら口のはしがかってにもちあがりました。ここはお母様のところなので手で口をおさえました。おさえた手の下でまだ少しわらっていました。
「わたくしも、川でわらいました。お母様の絵みたいにわらえていたかは、わかりません。手でおさえてしまったから。……こんどは、おさえないでわらってみます」
それからお母様のお部屋に入ったことを言いました。はっぱのにおいがしたこと。お母様の絵はわらっていたこと。お父様がその絵を見て泣いたこと。
「わたくしは、お母様のこと、あんまりおぼえていません。お顔も、お声も。おぼえているのは、においだけです。……ごめんなさい」
三は小さい声で言いました。扉のほうを一回見ましたが、お父様のかげは見えませんでした。
「お父様が、かわりました」
前のお父様はわたくしの名前を呼ぶ前に少しだまりました。エレノア、と言う前に少しだけ。だからわたくしはそのあいだに背中をのばしました。
いまのお父様はすぐ呼びます。ありがとうと言います。昔話をします。人参を入れません。ペルの名前を知りませんでした。生垣にかくれます。
「でも、どうしてなのかは、聞きません。聞いたら、いなくなる気がするの」
いまのお父様が。
お母様にだけ言いました。
四を言う前にわたくしはひざの上で手をにぎりました。
「春の、夜のことです」
まだペルの名前を知っているお父様がいたころです。夜、わたくしはねていたけれど、ろうかのずっとむこうでどさっという音がして目がさめました。何か大きなものがたおれる音でした。
「わたくしは、行きませんでした。夜はお部屋から出ないから」
おふとんの中でじっとしていたらもう音はしなくて、そのうちにねむりました。
つぎの朝お父様はねたまま起きませんでした。三日たって起きてきたのはありがとうと言うお父様でした。
わたくしはあの音のことをだれにも言っていません。
「それから、きのうの夜も」
声がもっと小さくなりました。
「お母様に言うことを書いていて、ねむれなくて、まどから外を見ていたら、厩にあかりがありました」
厩のうらの戸のところにランプがあって男の人が荷車から干し草をおろしていました。帽子をかぶっていてお顔は見えませんでした。灰色の手袋だけがランプのあかりで明るく見えました。
手袋の人を見るとわたくしは見てしまいます。ドーラのことがあったからです。でも厩のお仕事の人は手袋をするのかもしれません。わたくしにはわかりません。
「でも、行かなかった。言わなかった。夜のことだから」
言ってからわたくしは自分の言ったことをもう一回考えました。
春の夜もきのうの夜も、行かなかったし言いませんでした。二回です。お父様は、ねていたら起こしていい、扉は三回たたけばいいと言いました。でもわたくしは夜に、まだ一回もたたいたことがありません。
おなかの薄荷の場所が少し重くなりました。
紙のいちばん下に、もう一行書いてありました。きのうの夜に書いてから、消そうとして消さなかった行です。
「お母様がいなくて、さびしいです」
石は何も言いませんでした。
でもわたくしが言ったことはここにおいておけるような気がしました。お母様のところに。
わたくしは紙をたたんでかくしにしまって立ち上がりました。ひざがつめたくて少ししびれていました。石の前で礼をすると白いくつの先が石のゆかに二つならびました。
「また、来ます」
*
お父様はお墓のならびのずっとはしの古い石垣のところにいました。わたくしが扉から出ると、お父様はすぐに立ち上がってこちらへ歩いてきました。
何を話したのかお父様は聞きませんでした。「行くか」とだけ言ったので、わたくしは「はい」と言いました。
帰りの馬車でわたくしはお父様とむかいあわせにすわりました。
丘の上の道は少しのあいだたいらでした。窓の外で礼拝堂の屋根の銀の輪がだんだん小さくなっていきました。
厩の手袋の人のことをお父様に言おうかと思いました。おうちに帰ってからにしようと思いました。夜のことは夜ではない時に言えばいいのかもしれません。
その時馬車が下りの坂にさしかかりました。
ゆかが少しだけ前にかたむいて、わたくしの体が前にすべりました。わたくしは手をのばしました。
お父様の袖のほうへ。
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