怖い公爵の娘
(エレノア)
お父様が殿下をにらんだのは二回でした。
一回めはごあいさつのとき。二回めは石段のほうへ歩いていって六歩めでふりかえったときです。二回めのとき殿下はお口をあけたまま右手を上げたまま石になりました。
お父様は王妃様といっしょに石段をのぼっていきました。てっぺんまで、いちどもふりかえりませんでした。
殿下は右手を下ろして出していた足をもどしました。
わたくしはまだはずかしかったです。お顔があついのはお日さまのせいではありませんでした。
「……父が、しつれいをいたしました」
わたくしが礼をすると殿下はびっくりしたお顔をしました。
「いいえ。公爵閣下は、その」
殿下はそこでとまりました。つづきは出てきませんでした。
しばらくして殿下は手を体の横にそろえなおして言いました。
「……薔薇園を、ご覧になりますか」
殿方におさそいいただいたら、おことわりしてはいけません。クラウディア先生がそう言っていました。先生はもういませんが決まりはまだおぼえています。
わたくしは「はい」と言いました。
*
薔薇は赤いのと白いのとうすい黄色のがありました。
女官の人とミーナはうしろを歩いていました。声がとどくか、とどかないかくらいのところです。
白い薔薇の茂みの前でわたくしは足をとめました。
お花が一つとなりの枝におされて下を向いていました。おじぎをしたまま、おきあがれないみたいでした。わたくしは手をのばしてそのお花をおこそうとしました。
ちくっとしました。
右手の人差し指の先に赤いつぶが一つふくらんでいました。
いたかったけれど、小さいいたさでした。かいだんで手すりにぶつかったお父様のほうがきっといたかったです。
わたくしは赤いつぶを見ていました。
「これを、お使いください」
殿下が上着のかくしからハンカチを出しました。
まっ白なハンカチで、すみっこに金の糸で王家のもんがぬってありました。
血がついたら、とれません。水色の服のお茶のしみをぬくのにミーナは三日かかりました。血はお茶よりもっとたいへんです。
王家のもんに血をつけたら、きっとはんせいぶんでは足りません。
「けっこうです」
殿下の手はハンカチを持ったままそこにのこりました。
うしろからミーナが来ました。走ってはいませんでしたが、早かったです。わたくしの前にひざをついて前かけから布を出して、指をくるんでくれました。
「とげは残っておりません。血もすぐに止まります」
わたくしはミーナにうなずきました。ミーナの布ならいいです。ミーナの布はあらえば白くなります。
殿下はハンカチをかくしにしまいました。しまう手がゆっくりでした。
それから殿下はわたくしの顔を見ないで言いました。
「あなたが盗みをしたという話を、聞きました」
ミーナの手がわたくしの指の上でとまりました。女官の人がうしろで小さく息をすいました。
「本当でないなら、本当でないと言えばいいのです。正しいことは正しく言えば通ります」
殿下は先生にならったことを言うみたいに、一つもつかえずに言いました。
わたくしはお茶会の日のことを思い出しました。
わたくしのお部屋で、お人形のせなかからブローチが出てきました。大人の人がたくさんいて、お父様が大きな声を出しました。
「言いました」
わたくしは言いました。
「とっていませんって、言いました。でも、みんなお人形のせなかを見ていました。わたくしのほうは、だれも見ていませんでした」
殿下のお口が少しあきました。
「……夜になって、父がきいてくれました」
殿下がわたくしを見ました。
殿下のお耳が赤くなりました。お口が一回あいて、とじました。それから殿下は下を向いて足もとの芝を見ていました。
おこったのかと思いました。でもおこったお顔ではありませんでした。何かをかぞえなおしているみたいなお顔でした。何をかぞえていたのかは、わかりません。
「……失礼を、いたしました」
殿下はわたくしに頭を下げました。
王太子殿下がわたくしに頭を下げました。わたくしはどうしたらいいのかわからなくてミーナの布をにぎりました。
殿下は頭を上げるとまた手を体の横にそろえて言いました。
「公爵閣下は、いつもあのようにこわい方なのですか」
わたくしは考えました。
「こわくないです。おかおが、こわいだけです」
「……それは、同じことではありませんか」
「ちがいます」
殿下はわからないというお顔をしました。
「お茶会のやりなおしのとき父は生垣にかくれていました。ぼうしが見えていました」
「生垣に」
「はい。こわい人は、生垣にかくれません」
殿下はしばらくだまっていました。片方の手のひらを上に向けてなにかをのせてはかるみたいにしていました。
「では、こわいのはお顔だけ、と覚えておきます」
殿下はまじめなお顔で言いました。それから少し考えて、もう一つ言いました。
「でも、あのように人を見るのはよくないことです。王族の前ではなおさら臣下は目を伏せるものです。それに、言いたいことがあるなら言葉で言うべきです」
わたくしはほっぺたがふくらんだのがわかりました。
「……殿下は、先生みたいです」
殿下のお耳がさっきよりもっと赤くなりました。
「先生みたい、とは」
「先生みたい、です」
わたくしはそれしか言いませんでした。ほかの言い方を知らなかったからです。
殿下はまた片方の手のひらを上に向けました。それから下ろしました。はかってもわからなかったみたいでした。
女官の人が「そろそろお戻りを」と言いました。生垣のむこうに、王妃様の侍従の人が来ていました。
わたくしは殿下に礼をしました。先生に教わったとおりのひざのまげ方と頭の下げ方です。
殿下も礼をしました。顔を上げると、殿下はかくしからもう一回ハンカチを出しました。
「このハンカチは、よごれてもいいものです。洗えば落ちます。……さっき、そう言えばよかったです」
殿下はまじめなお顔で、ハンカチを両手で持っていました。王家のもんは、よごれてもいいのだそうです。
わたくしは少し考えました。
「……つぎに、とげがささったら、かります」
「はい。そのときは」
殿下はハンカチをかくしにもどしました。それから、さっきの白い薔薇のほうを見ました。
「あの薔薇は、庭師に言って、おこしてもらいます。……つぎにいらしたときに、見てください」
「はい。見ます」
おきあがった白い薔薇を、わたくしは頭の中で一回だけ思いうかべました。
わたくしはミーナといっしょに歩きました。ふりかえりませんでした。ふりかえると殿下がまた石になるかもしれないからです。
*
帰りの馬車でわたくしはミーナのとなりにすわりました。
お父様は向かいにすわっていました。わたくしは窓の外を見ていました。
「殿下とは何か話したのか」
お父様が聞きました。
わたくしは窓の外を見たまま言いました。
「……いろいろ、です」
お父様はそれ以上は聞きませんでした。わたくしの指の布を見て、ミーナを見ました。ミーナが「薔薇のとげでございます。深くはございません」と言うと、お父様は「そうか」と言いました。
わたくしは頭の中で今日のことをかぞえました。
はずかしかったこと、二つ。お父様が殿下をにらんだこと。二回にらんだこと。
言えたこと、一つ。みんなはきいてくれなかったけれど、父はきいてくれたこと。
わからないこと、一つ。殿下はどうしてお耳が赤くなったのか。
馬車がゆれました。ミーナのかたがあたたかかったです。
かぞえおわる前にわたくしはねむってしまいました。
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