↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢の父親に憑依した俺、娘を見捨てる未来だけは絶対に認めない  作者: 白川 透


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
18/71

もう一度、お茶を

 ドロステ子爵夫人は侍女も連れずに来た。


 客間で迎えたのは俺とエレノアと、壁際のセバスだった。ブローチは騎士団の書きつけが整った日に、セバスが公爵家の印を付けた箱に納めて返してある。夫人の胸元の古風な金は、家で磨き直させたのか、窓の光をやわらかく返していた。


 夫人は椅子に座る前にエレノアの前で膝を折った。調べの日に、しかけてできなかった礼だった。


「ご令嬢。わたくしは母の形見がご令嬢のお部屋から出てきた時、何も申し上げませんでした。違うとも、そうだとも。ただ黙ってご令嬢を疑う方々の中に立っておりました。それはご令嬢を疑ったのと同じことでございます。まことに申し訳ございませんでした」


 丁寧で正しくて、五歳の子に向けるには少し長すぎる大人の言葉だった。


 エレノアは困った顔をした。大人に頭を下げられた時にどうすればいいのか、この子はたぶん教わっていない。教わったのは自分が頭を下げる側の作法ばかりだ。

 エレノアは隣に座る俺の袖を見た。俺は袖を膝の上から動かさなかった。エレノアは自分の手を膝の上で重ね直し、もう一度夫人を見た。


「……お茶が、とちゅうでした」


 夫人が顔を上げた。


「ドロステ様の三回めをまだお注ぎしていませんでした。もう一度お出ししたいです」


 夫人の目がみるみる潤んでいった。


「……ぜひ。三杯目からいただきに参りますわ」


 帰り支度の前に俺は一つだけ頼んだ。茶会に来ていた家に調べで分かったことを知らせたい。あなたの名を出してもいいか。

 夫人は少し考えてから頷いた。


「わたくしからも一筆添えますわ。被害に遭った者が書けば少しは信じていただけるでしょうから。それに、わたくしのサロンでも申し上げます。盗ったのはご令嬢ではなかったと。お茶をいただく前に、です」


*


 書斎に戻るとセバスが報告を始めた。いつもと変わらない平らな声だった。


「王都のいくつかのお屋敷で茶会の日の話が出ております。公爵令嬢は手癖が悪い。公爵はそれを庇って客を怒鳴りつけた。侍女が捕まったという話も回り始めておりますが、公爵家が侍女に罪をかぶせたという尾ひれが付くこともございます」


 後から出る話は先に出た話ほど遠くまで届かない。前の世界でも訂正の告知が最初の誤報ほど読まれたことはなかった。それでも出さなければ誤報が本当になる。


「茶会の客の家に知らせを出す。調べで確かめたこと。ドーラが自分で認めたこと。騎士団に引き渡したこと。それから私が客の前で大声を出したことの詫び。夫人の一筆を添えて」

「旦那様のお手でお書きになるのがよろしゅうございます」


 一稿目を書いた。セバスは黙って読み、黙って机の上に戻した。


「書き直しを」

「……どこがまずい」

「全体でございます」


 二稿目を書くとセバスは二行目に指を置いた。


「この『当家としては今後かかる事態を二度と許さぬ所存』という一文はどなたに宛てたものでございましょう」

「……盗ませた者に」

「お受け取りになる皆様はそうはお読みになりません」


 三稿目では詫びる言葉を先に置き、許さぬ所存を消し、調べで確かめたことだけを短く書いた。セバスは二か所だけ言葉を直してから紙を両手で持って頭からもう一度読んだ。


「これで公爵の詫び状になりました」

「一稿目は何だったんだ」

「謝罪の体をした脅迫状でございました」


 俺は黙って一稿目を折りたたんだ。この身体の字はどんな文面でもたいへん立派に見える。それがたぶん一番まずかった。


 三稿目を手本に八通を書き写した。セバスは封蝋を一つずつ確かめてから言った。


「これで、あの日いらした方々には本当のことが届きます。ですがそのお屋敷の外へ出てしまった話までは追いかけられません」

「分かってる。そっちは夫人が、ご自分のサロンで話してくださる。茶会がどうなるかとは関わりなく、だ」


 八通は翌朝セバスが届けさせた。茶会の招待状を書いたのは、八つの家から受け取りの返事がそろってからだった。


 夫人のサロンはブラント夫人のサロンとは顔ぶれの違う静かな集まりで、話はそこから別の道を通って回っていく。娘の汚名をそそぐのは大人の仕事で、それは手紙と夫人の口で先に済ませる。

 茶会はそれとは別だった。途中だったお茶を最後まで注ぎたいと、娘が言った。だから大勢は呼ばず、ドロステ夫人と夫人の娘だけを招く。


「ブラント夫人には」

「招待状だけはお出しになるべきかと。お招きしないこと自体がまた話の種になりますので」


*


「お父様は来ないでください」


 茶会の三日前、書斎でエレノアが言った。

 机の上には白い席札が三枚並んでいた。俺が書いて、セバスが字を直したところだった。


「……理由を聞いてもいいか」


 エレノアは少し考えてから言った。


「お父様がいると、ドロステ様がこわいお顔をなさるからです」


 あの日俺は大きな声を出し、夫人は真っ白な顔になった。この子はそれを見ていた。


「分かった。……庭にいるのも、だめか」


 エレノアは少し考えた。


「窓から見えないところなら、いいです」

「窓から見えないところにいる」


 うしろでセバスが口の端をほんのわずかに動かした。俺はそれを見て、もう何も言えなくなった。


*


 茶会の日は朝からよく晴れた。


 初夏の風が庭を抜けていくので、サロンの窓は一つ開けてあった。その窓の外、庭の生垣の陰に俺はいた。

 窓から見えないところ、という約束だった。生垣の陰なら見えないはずだと考えて、庭師に借りたつばの広い帽子を目深にかぶり、隙間から窓の中を見ていた。


 席は三つだった。エレノアと夫人と、夫人の娘。ブラント夫人からは、招待状を出した翌日に欠席の返事が届いていた。

 娘はリーゼという名で、エレノアより一つ上の六つだった。茶色の髪を二つに結び、大きな人形を抱いていた。人形が邪魔で礼の膝があまり曲がっていなかった。


「エレノア・ヴァレンシュタインでございます。ようこそおいでくださいました」


 声は上ずっていなかった。


 茶器は陶器の大きなものだった。あの日と同じだ。菓子も同じ、薔薇の砂糖漬けだった。エレノアは夫人に一杯目を注ぎ、リーゼに一杯目を注ぎ、二人に二杯目を注いだ。

 夫人の茶碗が空になった。エレノアは茶器を持ち上げた。


「この前とちゅうでした」


 開いた窓から、茶を注ぐ細い音がかすかに聞こえた。

 夫人は茶碗を両手で受け取り、すぐには飲まずにしばらく中を見ていた。


「……ええ。三杯目から、でしたわね」


 それからゆっくり飲んだ。


 リーゼが菓子を三つ食べてからエレノアの人形のことを聞いた。ミーナが部屋から人形を連れてきた。


「せなか、どうしたの」

「やぶれたの。ミーナがなおしてくれたの」

「うちの子も。おなか、いっかい、やぶれたことある」


 リーゼは自分の人形をひっくり返して見せた。腹にエレノアのよりずっと大きな縫い目があった。二人は縫い目を並べてどちらが大きいかを比べた。リーゼの勝ちだった。リーゼはうれしそうだった。


 四杯目に入ったところでエレノアの手首が下がり始めた。

 夫人の茶碗の上で注ぎ口がかたりと揺れ、茶が縁を越えて白い卓布に茶色い染みが広がった。

 エレノアは茶器を持ったまま肩をすくめた。生垣の陰で、俺は帽子のつばを握りしめていた。


「あら」


 夫人は扇を開かなかった。卓布の染みを見て言った。


「わたくしも母の茶会でよくこぼしましたのよ。母はそのたびに卓布がお茶を飲んだのね、と申しました」

「うちのおかあさまも、こぼす」


 リーゼが言い、夫人が「リーゼ」とたしなめた。たしなめた声が少し笑っていた。

 誰もエレノアに席を立てとは言わなかった。


 エレノアは茶器を持ったまま、しばらく卓布の染みを見ていた。

 それから茶器を一度卓の上に置いた。


 うしろに控えていたミーナがすっと前へ出た。茶器を取り夫人の茶碗に注ぎ直した。エレノアは椅子に座ったまま膝の上で手首をさすっていた。


「……うでが、つかれました」


 小さな声だったが、窓の外まで聞こえた。


「まあ、正直なご令嬢」


 夫人は言い、自分の手首を軽く振ってみせた。


 袖を濡らした晩に決めた合図だった。九人の前では出せなかった合図だ。

 俺は思わず身を乗り出した。帽子が生垣の上に出た。


 エレノアが窓のほうを見た。

 椅子から下り、窓のそばまで歩いてきて生垣に向かってはっきりと言った。


「お父様。生垣から帽子が見えています」


 俺は帽子ごと生垣の下に沈んだ。


 サロンの中でリーゼがきゃあっと笑った。夫人は扇で口を隠していたが、肩が震えていた。ミーナが自分の額に手を当てているのが生垣の隙間から見えた。


 しばらくしてエレノアはまた茶器を持った。最後の一杯は自分で注いだ。今度は、夫人が卓布のことを何か言う声は聞こえなかった。


*


 帰りぎわ夫人は玄関でセバスに言った。


「三杯目をいただきましたわ。わたくしのサロンで、それも話させていただきます。こちらは、わたくしの楽しみとして」


 そのあと夫人とセバスは玄関の外でしばらく話していて、セバスが小さな帳面に何か書きつけていた。夜になってセバスは報告に来た。


「夫人のサロンのお客様で、冬の初めにブラント夫人のサロンにもいらした方を伺っておりました。お名前が三つほど挙がっております。四十がらみのご婦人かどうか、確かめてから申し上げます」


 夕食の席で、先に口を開いたのは俺だった。


「窓から見えないところ、の約束を破った。すまない」

「帽子が見えていました」

「見えていたな」


 エレノアはスープを一口飲んだ。


「とちゅうで、ミーナにかわってもらいました」

「見ていた」


 エレノアは匙を置いて、少し考えてから言った。


「つかれたと言っても、ドロステ様はしかりませんでした」

「ああ」

「卓布がお茶を飲んだのだそうです」


 俺は笑った。エレノアは俺の顔を見て、少しだけ口の端を上げた。


*


 翌朝王宮から使いが来た。


 セバスが銀の盆に載せて机に置いたのは、白い紙に金の封蝋の封書だった。王家の紋だとセバスが言った。

 ヴァレンシュタイン公爵、快気につき、参内のこと。日付と刻限の下に一行が添えられていた。


 ――ご令嬢もご一緒に。


 俺はその一行を二度読んだ。二度読んでもゲームの中にこんな場面があったかどうか、思い出せなかった。

お読みいただきありがとうございます!

「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマーク・評価・リアクションをいただけると嬉しいです。

Xでも更新情報などを発信しています。

よろしければこちらもフォローいただけると嬉しいです!

https://x.com/st_shosetsu

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。