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【1万PV突破】悪役令嬢の父親に憑依した俺、娘を見捨てる未来だけは絶対に認めない  作者: 白川 透


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盗ませた理由


 ドーラの話は小部屋で聞いた。


 書斎ではもう話にならなかった。ドーラは床に座り込んだまま泣き続け、夫人は青い顔で椅子に戻り、エレノアは俺の上着の裾を離さなかった。

 ミーナがエレノアの前にしゃがみ「お部屋へ、参りましょう」と言うと、エレノアは裾をつかんだままミーナの顔を見て、それから指を一本ずつほどいてミーナのあとについていった。ミーナの手は取らなかった。夫人は帰らず、最後まで伺いますと言って、セバスの案内で客間へ移った。


 小部屋にいるのは俺とガレスとセバス、それにドーラだけで、膿みかけた指にはセバスが新しい布を巻かせた。


「誰に頼まれた」


 ガレスが聞くとドーラは首を横に振った。知らない、という意味だった。


 話はとぎれとぎれに出てきた。

 去年の秋、ドーラは冬を越すにも足りない給金で下町の安宿に勤めていた。そこへ帽子を深くかぶった男が来た。顔はよく見えなかったが、声は低く言葉づかいは丁寧だった。

 男は銀貨の袋を卓に置き、公爵家で働かないかと言った。紹介状は用意する。仕事はふつうにしていればいい。ただいつか一度だけ言うとおりにしてくれればいい、と。


「何をしろと言われた」

「……お嬢様を、盗人にしろと」


 ドーラは膝の上の手を見たまま言った。


「何を盗んでもいい。誰のものでもいい。お嬢様のお部屋から出てくれば、それでいい。それだけでいいって」


 ガレスが壁から背を離した。セバスのペンが一度止まり、また動いた。


 盗みが目的ではなかった。

 五歳の子を盗人にすること。それが目的だった。


「茶会の日に何をしたか、順に話してくれ」


 ドーラは小さく頷いた。

 茶碗を下げに出た時、控えの間の小卓にブローチが見えた。針が開いたままのそれを急いで掴むと、左の人差し指に刺さった。ハンカチで押さえてブローチを前掛けの隠しに入れたが、サロンに戻っても血が止まらず、客の前で血の付いた指を見せるわけにはいかないので、銀の茶器を出すと言って手袋をはめた。

 それから替えのナプキンを口実にリネン室の合鍵を借り、奥の扉から寝室に入った。棚の上の大きな人形の背中の縫い目をリネン室の鋏で切り、ブローチを押し込んで、鍵を返してサロンへ戻った。


 セバスが帳面を開き、時刻を一つずつ確かめた。


「帳面と合います」


「茶会の日を選んだのは」

「男から手紙が来ました。客の多い日にやれ、と。ブローチは置いてあったから。……それだけです」

「手紙は」

「読んだら燃やせ、と書いてありました。燃やしました」


 ガレスが短く舌打ちをした。


「お嬢様を盗人にしたら、そのあとどうなると思った」


 ドーラはしばらく黙っていた。


「……考えませんでした。叱られてお部屋に閉じこめられるくらいだと。公爵様はお嬢様に厳しい方だと聞いておりましたので」


 この身体の前の持ち主は外からそう見えていた。帽子の男は少なくともそれを知っていた。

 もし俺が目覚めていなかったら。罪状の最後の一行が頭の奥で白く光った。


 紹介状のこともドーラは話した。

 下町の口入れ屋でもらった。店の名と通りを口にした途端、ガレスは扉を開けて廊下の部下を呼び二言三言で走らせた。


「店を押さえる。主人がいたら連れてくる」


 セバスは雇い入れの綴りからドーラの紹介状の原物を抜いた。それを白い紙一枚で包み、封をして日付と自分の名を書いた。


「この先誰が見る時も、わたくしの立ち会いで開けます」


 紹介状が下町の店のものでは公爵家の侍女には足りず、家政婦長は渋い顔をしたという。そこへ家庭教師の先生が口を添えた。


「先生が家政婦長様に、この娘なら自分が請け合うとおっしゃって。知人から聞いている、腕のいい娘だと」


 セバスが短く頷いた。


「冬に確かにそのようなことがございました。クラウディア殿のお口添えで家政婦長が雇い入れを決めております」


 ドーラを別の部屋に移してからクラウディアを小部屋に呼んだ。

 セバスに扉を閉めさせ、ここで聞くことは調べに要る者のほかには伝えない、と最初に言った。屋敷の噂にはしない、という意味だった。


 ドーラの話をセバスが短く伝えると、クラウディアの顔から血の気が引いていった。


「……さるサロンで知り合った方に、頼まれたのでございます」


 クラウディアは扉の前に立ったまま言った。


「下働きの娘で腕のいいのがいる。紹介状が下町の店なので、どこのお屋敷でも門前払いにされて気の毒だ。一言添えてやってはもらえないか、と。わたくしはそれを善いことだと思いました」

「どこのサロンだ。その人の名は」


 ガレスが聞いた。クラウディアは一度唇を結び、それからほどいた。


「冬の初めのブラント伯爵夫人のサロンでございました。その方とは庭に面した控えでたまたま言葉を交わしました。お名前は存じません。身なりのよい四十がらみのご婦人で、伯爵夫人とも親しげでいらしたので、それで十分だと思ってしまいました」


 クラウディアは目を伏せた。


「人の推薦に口を添えるのに、相手の名も伺わなかった。わたくしの落ち度でございます」


 この人が本当のことを言っているのかどうか俺には分からない。ただ、知っていることと知らないことをこの人は分けて話していた。


「顔を見れば分かるか」

「……分かると、思います」

「なら探しには行かないでくれ。あなたが探して回れば向こうに知らせることになる。顔を見た時に教えてくれればいい。調べはこちらでする」


 クラウディアはしばらく俺を見ていたが、やがて深く礼をした。

 出ていく手が扉の取っ手の上で一瞬だけ震えていた。


 セバスが帳面に書きつけていた。サロンの名、冬の初め、四十がらみ、名は知らない。

 書き終えてから、俺はもう二行足してもらった。


 ドーラに頼んだのは帽子の男。顔も名前も分からない。

 ドーラを家に入れる口添えを頼んだのは名を知らないサロンの婦人。

 帽子の男と婦人が同じ側の人間かどうかはまだ分からない。


*


 客間の夫人に分かったことを話した。ブローチは、たまたま控えの間にあった物だった。


 夫人は胸元に手を当てた。そこには何もなかった。


「……では、母の形見はただの道具に使われたのですね」


 夫人はそれだけ言った。怒っているのか悲しんでいるのか、俺には見分けがつかなかった。

 帰りぎわ夫人は玄関で振り返った。


「ご令嬢に申し上げかけたことがございます。今日はもう申し上げられる顔ではございません。日を改めて伺ってもよろしいでしょうか」

「娘に聞いておく。会うかどうかは娘が決める」


 夫人は少し目を見開き、それから頷いた。


 ドーラはその日のうちに騎士団へ引き渡された。

 その前にガレスの部下が持ち物を改めたが、着替えが二枚と木の櫛と少しの銀貨のほかには、ミーナの言っていた書き取り帳どころか紙の切れ端一枚出てこなかった。


 ドーラが連れていかれる前に、エレノアがミーナに付き添われて書斎へ来た。扉の前で礼をした。


「お父様。ドーラは、どうなるのですか」


 五歳の子にどこまで言えばいいのか迷った。迷って本当のことだけを言うことにした。


「騎士団に連れていかれる。騎士団でもう一度話を聞かれる」

「……ろうやに、入りますか」

「たぶん、しばらくは」


 エレノアは黙って頷いた。何か言いたそうに見えたが、言わなかった。もう一度礼をしてミーナと一緒に出ていった。

 廊下を戻っていく二人のあいだには子供一人分の隙間が空いていた。


*


 ガレスの部下が戻ってきたのは日が傾いてからだった。

 部下が着いた時、口入れ屋の戸は閉まっていた。向かいの古着屋の話では、主人は今朝のうちに荷物をまとめて出ていき、昼前にはもう戸が閉まっていたという。戸をこじ開けさせると、帳場の引き出しには同じ印を押した紹介状の控えが数枚だけ残っていた。宛先はどれも違う屋敷だった。


「今朝、だと」


 ガレスは苦い顔をした。


「古着屋の言うとおりなら、こっちが小部屋で話を聞き始めた頃には、もういなかったわけだ。この調べで店の名が出たのは、さっきドーラが言った時だ。主人はその前に逃げたらしい。ご令嬢の部屋から物が出たことは、昨夜のうちに客の口から町へ出ていてもおかしくない。それを聞いて逃げたのか、家の中の誰かが知らせたのか、初めから今朝引き払うつもりだったのかは、これだけじゃ分からん」


 昼前という時刻も、古着屋が戸の閉まっているのを見た時刻で、主人が出ていった時刻ではない。主人の行き先と、店を閉めたのが本当はいつだったのかを、ガレスの部下が近所に聞いて回ることになった。控えは騎士団が預かり、宛先の屋敷へはガレスの名で知らせを回す。


 入口のほうはその晩のうちに改めた。

 リネン室から寝室へ通じる扉には寝室の側に掛け金を付けさせ、敷布を替える時はミーナが内から開けることにした。鍵箱の合鍵は、借りる時にセバスか家政婦長がその場で行き先まで確かめる。新しく人を雇う時は、紹介状の差出人にこちらから一度手紙を出して返事を待つ。


「それですべて防げるわけではございません」


 セバスが言った。


「分かっている。同じ道を一本ふさいだだけだ」


 セバスは夜までに雇い入れの綴りを全部めくり、同じ口入れ屋を通って入った者はほかにいないと報告に来た。春に姿を消したハンスの紹介状は別の差出人で、保証人の商人からはまだ返事がない。俺は手帳のハンスの名の横に、返事待ちの短い線を一本引いた。


*


 夜、書斎で一人になった。


 机の上に昼に作った時刻の表がまだ載っていた。

 ドーラは分かった。ドーラを送り込んだ店ももうない。


 帽子の男はどこにもいない。クラウディアに声をかけた名も知れない婦人も。


 五歳の子を盗人にして誰が得をする。


 俺は表の余白にその問いを書いた。日本語で。誰にも読めない字で。

 答えは出なかった。インクが乾くまで俺はその一行を見ていた。

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