証言
ドロステ子爵夫人は約束の刻限より少し早く、昨日人形の背中を改めた侍女を一人だけ連れて来た。
玄関で迎え、書斎へ案内する前に俺はその場で頭を下げた。
「昨日はあなたに大声を出した。申し訳なかった。手紙にも書いたが、顔を見て言いたかった」
夫人は驚いた顔をしてから、黙って小さく頷いた。
*
書斎の机には、セバスが茶会の時刻の順に左から右へ物を並べていた。鍵の帳面、ミーナの寝室の鍵、布の上の金のブローチ、別の布に包んだ手袋の焼け残り、今朝ガレスが書かせたドーラの指の書きつけ。
夫人は机の向こうの椅子に座り、侍女はそのうしろに立った。ガレスは窓際に、セバスは帳面の横にいて、ドーラは扉の近くに一人で立ち、左手を前掛けの下に入れていた。エレノアは俺の隣の小さな椅子に座り、そのうしろにミーナが控えていた。
昼にエレノアに聞いてあった。夫人の前で話すか。話さなくてもいいし、セバスが代わりに読むこともできる。出たくなければ部屋にいてもいい。エレノアは少し考えてから「出ます。自分で、言います」と答えた。
昨夜の俺は、並べた物を一つずつ指して自分で問いただすつもりでいた。ガレスに話すと首を横に振られた。お前が問いただせば皆お前の顔を見て、お前が聞きたそうな答えをする、と。
「始める前に決めごとを言っておく」
俺は立ったまま言った。
「今日は私は裁かない。夫人に、ここにある物と皆が見たことを見ていただく。話す者は一人ずつで、途中で誰も遮らない。私も遮らない。ドーラにも最後に話してもらう」
ドーラがわずかに顔を上げた。
セバスとミーナとガレスが、今朝小部屋で話したことを夫人の前で短く繰り返した。鍵の帳面のリネン室の行と、寝室へ通じる扉。ミーナの前掛けから一度も出なかった鍵。ドーラが茶碗を下げて控えの間の前を通ったこと。針の根元の茶色い点。夫人は一つ聞くたびに机の上の物へ目を移し、最後にガレスに尋ねられて、もう一度はっきりと言った。
「わたくしは、刺しておりません。外した時、針には何も付いておりませんでした」
「エレノア」
俺は名前だけを呼んだ。
エレノアは椅子から下り、夫人の前まで歩いていってスカートの裾をつまんで礼をした。顔を上げて口を開いた。
「ドーラは」
そこで止まった。部屋じゅうの大人が自分を見ていることに気づいたのだと思う。唇が一度だけ震え、エレノアは振り返って俺を見た。
俺は何も言わずに一度だけ頷いた。言葉を足せば、それはもう俺の言葉になる。
窓の外で鳥が一羽短く鳴いた。エレノアは前に向き直り、重ねた両手にぎゅっと力を入れた。
「ドーラは、お茶会のはじめは手袋をしていなかったの」
言葉づかいが崩れていたが、声は止まらなかった。
「手袋は銀のお茶の時だけって、先生が言ってたの。……でも、ドロステ様がショールを替えて戻っていらしたあとに、ドーラは手袋をしたの。銀を出しますって言って。でも銀は出てこなかった。ドーラは手袋のままナプキンを取りに行ったの。ナプキンは布です」
つかえながら、一つずつ机の上に置いていくように言った。夫人は身じろぎもせずに聞いていた。
「それから、使った手袋は厨房の籠に入れて朝の火で燃やします。でも籠になかった。だからかまどを見てもらいました。料理長が灰をかきわけてくれました。わたくしは二歩はなれて、見てました」
エレノアはそこで口を閉じ、もう一度礼をして、俺の隣の椅子へ戻った。座る前に、ミーナの前掛けの裾が椅子の背に触れているのを見て、少しだけ椅子をずらした。
セバスが扉を開け、廊下で待っていたクラウディアを通した。クラウディアは夫人に一礼すると、俺のほうは見ずに机の手前で背筋を伸ばした。
「わたくしがそう教えました。給仕の侍女が手袋をするのは銀の茶器を扱う時だけ。使った手袋は洗わずに厨房の籠へ入れさせること。茶会の稽古の日にお嬢様にお教えいたしました」
それだけ言って出ていく前に、クラウディアは一度だけエレノアの背中を見た。
入れ替わりに料理長が、大きな身体を縮めるようにして入ってきた。献立の帳面の今朝の行を読み上げると、脇に抱えていた布包みを机に置いた。
「旦那様に言われて持ってまいりました。お屋敷のパン切りでございます」
布を開くと長い刃のナイフが出てきた。刃は波の形に刻まれ、先は丸く落としてあった。
「茶会のパンは朝のうちに厨房で切って出してございます。配膳室にはパン切りは一本も置いておりません。厨房のはこれと同じ形のがもう一本きりで、どちらも先が丸うございます。手が滑って刺さらないように、先代の料理長がそうさせましたので」
料理長は話し終えても出ていかず、扉のすぐ横の壁際に立った。ドーラからいちばん遠い場所だった。
「ドーラ」
ガレスが低い声で言った。怒鳴ってはいなかった。
「今朝お前の指を見せてもらった。もう一度、奥様の前で見せてくれ」
ドーラは前掛けの下の左手を、右手で上から押さえた。誰も急かさず、夫人の侍女が息を詰めているのが分かった。
長い時間が経ってから、ドーラは左手を出して布をほどいた。人差し指の腹の小さな丸い穴は、今朝より赤く腫れて、まわりが黄色く膿みかけていた。
ガレスは今朝の書きつけを夫人の前に置き、その横にブローチを、さらに横に先の丸いパン切りを並べた。それから布の端をつまんでブローチを傾け、開いた針がドーラのほうを向くようにした。
「今朝、お前は一つずつ説明した。手袋は指の血を隠すため。銀と言ったのは咎められないため。夜に燃やしたのは騒ぎにしないため。リネン室はナプキンを取りに入っただけ。一つずつなら、どれもそうかもしれん」
ガレスは帳面のリネン室の行に指を置き、それから焼け残りの包みへ指を動かした。
「だが奥様がブローチを外したすぐあとに控えの間の前を通ったのも、寝室へ抜けられる部屋の鍵を十五分借りたのも、籠に入れるはずの手袋を夜のうちにくべたのも、お前一人だ。そこへこの傷が乗る。……パン切りの刃が刺さった、と今朝は聞いた。もう一度聞かせてくれ。この刃の先で、どうやったらこの形の傷になる」
ドーラの唇が動いたが、声は出てこなかった。
「ドーラ。話す番だ。言いたいことがあれば今言ってくれ。誰も遮らない」
俺が言うと、ドーラは怯えた目で俺を見て、何かを言おうとした。口を開いて閉じ、もう一度開いて、何も出てこなかった。ほどいた布を指に巻き直そうとして、うまく巻けずに取り落とした。
ドーラは自分の指を見て、それから机の上の針を見た。膝が折れ、床に座り込むように崩れた。
盗ったとも隠したとも、ドーラはまだ言っていない。崩れたのは、パン切りの刃で切ったという説明だけだ。
それでもドーラのまわりの床が、さっきより広く空いて見えた。
子爵夫人がゆっくりと椅子から立ち上がった。エレノアの前へ歩いていき、五歳の子の前で膝を折りかけた。大人が子供に頭を下げる時の深い礼だった。
「ご令嬢。昨日、わたくしはご令嬢のお部屋で何も申し上げずに――」
「頼まれただけです!」
床の上から悲鳴のような声がした。ドーラが両手で床をつかんで顔を上げていた。
「頼まれたんです。お嬢様を盗人にしろって。それだけでいいって。わたし、わたしは頼まれただけで」
夫人は膝を折りかけたまま動けず、侍女が主人の肘を支えた。
気がつくとエレノアが俺の上着の裾をつかんでいた。いつつかんだのかは分からなかった。小さな手がそこにあった。
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