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【1万PV突破】悪役令嬢の父親に憑依した俺、娘を見捨てる未来だけは絶対に認めない  作者: 白川 透


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届いた脅迫状

 書見の間は王妃の私室から二つ隣にある。


 八年前の春、娘の菓子の件で通された部屋だった。窓の下の長卓も、隣の小卓で書記がペンの先を拭いているのも同じだった。変わったのは調査官の髪が白くなったことくらいだった。

 茶会から二日目の昼だった。長卓のこちら側に俺とガレスが座り、向かいに調査官、端に学院長が座っていた。


「アーヴェル嬢宛ての手紙は、ご両親のお許しを得て学院長殿からお預かりしました」


 調査官は封筒を一つ卓に置いた。宛名にリリア・アーヴェル様とだけある白い封筒で、封はもう切ってあった。


「開けたのは昨日の夕刻、ここで、ご両親の目の前です。お父上が、娘に読ませる前に中身を知りたいとおっしゃいました。お嬢さんはまだ字を読める加減ではございません」


 うなずいた学院長の目の下が黒かった。


「門の手紙の箱は、夜のあいだ誰も見ていません。夕方の鐘で門番が一度のぞき、朝の鐘で開けて寮監へ回します。茶会の日の夕方には空でした」


 調査官が封筒から出して広げた小さな紙には、二行だけ書いてあった。


 ――殿下のおそばから退きなさい。冬至の茶は、はじめの一杯です。


 差出人の名も頭文字もなかった。

 読み終えてもしばらく誰も口をきかなかった。ガレスが椅子の上で一度だけ身じろぎした。


「はじめの一杯、か」


 ガレスは低くそう言ったきり黙った。

 次の杯があると、書いた者は言っていた。それが誰の杯なのかは書いていなかった。


「もう一枚、お目にかけます」


 調査官は別の封筒を出した。二重の封筒で、内側の封には蝋の平らな形が残っていた。


「王太子府の門の願い出の箱に入っていたものです。殿下が封をしてお持ちになりました。閣下にお見せすることは、今朝殿下のお許しをいただいております」


 紙は二枚あった。調査官は読み上げず、俺も声に出しては読まなかった。二枚目の小さな紙の終わりに、「例の箱」という言葉と、Eとだけ書いてあった。


 娘の名で娘を刺す文なのに、書いた者の名はどこにもなかった。俺は一度だけ読んで紙を卓に戻した。


「二つを並べます」


 調査官が言うと、書記が立って、脅しの紙と、告発状に添えられた小さな紙を、長卓の真ん中に並べた。


「紙は同じ類です。王都の文具の店なら三軒に一軒は置いている上等の紙で、墨もありふれた鉄の墨です。どちらも見張りのない門の箱に入っていて、入れた刻は前に箱を空けてから朝までのあいだとしか申せません」

 調査官はそれから二枚の字を指で示した。


「字は、似ておりません」


 添えられた小さな紙の字はまっすぐ立って、どの字も同じ高さで並んでいた。行の終わりが下がらない。

 脅しの紙の字は違って、大きさが揃っていなかった。横に引く線が少し右上がりで、払いの先が紙の上で一度跳ねてから抜けていた。


「紙は似ていて、字は似ていない。それでも、同じ者とも別の者とも申しません。手は一つでも、書き方は変えられます」


「手に取ってよいか」

「端だけをお持ちください」


 書記が俺の指の位置を一行書くのを待ってから、脅しの紙の端を持ち上げて裏返した。

 裏に字の形が浮いていた。灯りに斜めにかざすと、表の線の跡が裏で細い土手になっているのが見えた。指の腹でなぞると、払いの跳ねたところがいちばん高く盛り上がっていた。


「強く書いておりますな」


 調査官が言った。


「添えられた紙のほうは、裏に何も出ておりません」


 脅しの紙を卓に戻しても、指先に土手の感じが残っていた。

 どこかで見たことのある手だと思ったが、どこで見たのかが出てこなかった。


「この字を、どこかで見た気がする。どこでなのかが出てこない」

「そのまま書いておきます」


 調査官が目をやると、書記が一行書いた。


「閣下はこの字に見覚えがあると仰せ、どこでかはまだ思い出せない、と。思い出されたら、確かめる前でもお知らせください。まだ確かでないと書き添えて帳面に載せます。確かめるのは、そのあとこちらでもいたします」


 分け方は早く決まった。


「門は俺が引き受ける」


 ガレスが言った。


「学院の門番と、王太子府の門の衛兵だ。二つの晩に門の脇に誰がいたか、誰が通ったかを、騎士団の勤めの帳面から洗い出す。それから給仕が来た口入れだ。どこの口入れか、通用口の帳面の名が口入れの帳面ではどこから来た名になってるのか」

「話を聞くのは」

「調査官殿の者だ。俺は洗い出した名を渡して、横に立つだけにする。俺の部下だけで行くと、また途中で止まる」


 ガレスはそれ以上言わなかった。ベンノの下宿の道具箱のことを言っているのだと分かった。


「紙は私が引き受ける」


 俺は言った。


「この紙を置いている店を洗い出す。組合の名簿と、屋敷が紙を買っている店の帳面を出す。この冬に何帖売ったか、誰に売ったかを問い合わせるのは、調査官殿の者に頼みたい」

「承りました。店の帳面の原物は私の者が預かって、この部屋で封をいたします。閣下ご自身は店へお出にならないでください。疑いを向けられた方のお父上です」

「分かっている」


 学院長が口を開いた。


「学院は、湯沸かしの台に残っていた給仕の三人に、調査官殿の書記の前で一人ずつ話を聞きます。缶が台にあったあいだ誰が缶の前にいたか。あの男が前掛けに何を入れていたか。口入れの帳面は整っておりましたので、名の先は騎士団の方にお任せします」

「お願いいたします」


 調査官は学院長にそう言ってから俺のほうを向いた。


「ご令嬢のことです。お話は、昨日の午後に学院で伺いました」


 調査官は書記の帳面を一枚めくった。


「缶を受け取った刻と場所、戸棚の鍵、卓で封を切ったこと、給仕に渡したこと、杯を選んでいないこと。ご自分の杯に口をつけなかったことも、ご令嬢のほうから先に仰せでした。寮監殿の帳面と、同じ卓の方々のお話と、食い違うところはございません」


 息を一つ吐いたのが自分で分かった。


「娘に伝えていいことは」

「三つございます」


 調査官は指を一本ずつ立てた。


「太い取っ手の杯は、学院の物ではなかったこと。給仕は人が騒ぐ前に、厨房の裏の通用口から出ていたこと。同じポットの茶を飲んだほかの方々に、障りは出ていないこと」

「缶の茶葉のことは」

「台の三人の話を聞き終えるまでは、お伝えになりませんように」


 調査官ははっきり言った。


「缶の上の層の粒のわけは、まだ分かっておりません。台の三人に一人ずつ聞き終えるまでは、誰にも広めません。誰かが聞いた話を自分の見たことのように言いはじめると、もう分けられなくなります。聞き終えたら、私からご令嬢にご説明します」


 調査官は帳面を閉じた。


 分かる理屈だから、余計に喉の奥が狭くなった。娘の缶のことを、娘だけがまだ知らない。


「言えないことがある、とは言っていいか」

「それは、ぜひ。いつまでかも、お伝えください」

「告発の紙のことは」

「要旨は私から、もうお伝えしました。こちらの手紙は」


 調査官は脅しの紙に目を落とした。


「アーヴェル嬢宛てのものです。中身をお伝えするかどうかは、アーヴェル嬢とご両親がお決めになります」


*


 書見の間を出ると、廊下の先の窓の前に殿下が立っていた。


 侍従が一人だけ後ろにいた。殿下は俺を見て一歩だけこちらへ来て、それ以上は来なかった。


「公爵。リリア嬢は」

「息は続いています。目はまだ覚めておりません」


 殿下は目を閉じてうなずいた。


「私は差し出した側なので、調べのことは聞きません。……一つだけ、公爵に聞いてもいいですか」

「どうぞ」

「エレノア嬢は、眠れていますか」


 俺は少し考えた。


「眠れていないと思います。昨日の朝は、それでも食堂へ行ったそうです」

「そうですか」


 殿下はそれだけ言って、もう一度うなずいた。侍従のほうへ戻りかけて、振り向いた。


「行ったのなら、彼女らしいです」


*


 帰りに学院へ寄って、面会室で娘に三つのことを話した。缶のことでまだ言えないことが一つあって、台の給仕の話が済んだら調査官から話がある、と言うと、娘は「はい」とだけ答えて帳面に一行書いた。何と書いたのかは見なかった。

 学院から屋敷へ戻る馬車で、ガレスは向かいに座ってしばらく窓の外を見ていた。


「お前、さっき紙の裏をなぞってたな」

「ああ」

「何を見た気がした」

「まだ分からない。どこかで見た手だと思った。どこで見たのかが出てこない」


 ガレスは窓から目を戻さなかった。


「出てきたら言え。出てこなくても、出てこないと言え」


 馬車が学院の門を出る時、石畳の継ぎ目で車輪が一つ跳ねた。

 その跳ね方で思い出した。


 十年前の春、この身体で目を覚まして九日目の朝だった。初めて娘の授業を見に行った勉強部屋で、壁際の棚に背に番号を振った書き取り帳が積んであった。一冊見せてくれ、と言うと、家庭教師がいちばん上の一冊を渡した。どの頁にも同じ字が何十も並んでいて、跳ねた払いの横に細い赤い線が引いてあった。また払いが跳ねております、筆圧も強すぎます、とその朝も家庭教師は言っていた。よく書けた字に付ける印は、めくってもめくっても見つからなかった。

 あの払いは、紙の上で一度跳ねてから抜けていた。


 俺は膝の上で左手を握った。

 似ているというだけだ。今の娘の字は前へ少し傾いていて、払いは跳ねない。あの部屋で直された字だ。五歳の字を見たことのある者は多くないが、いないわけではない。


 十年前の宝石の件の調べの時に、ミーナが言ったことも思い出した。勉強部屋の棚の古い書き取り帳が何冊か足りないように思う、いつからかは分からない。ドーラの持ち物からは一冊も出てこなかった。俺はそれを手帳の端に書いたきり、その行に続きを書いていない。


「ガレス」

「何だ」

「出てきた。屋敷に着いたら、セバスに聞きたいことがある。お前もいてくれ。それと、今夜のうちに調査官殿へ使いを出す」


 ガレスはようやく窓から顔を戻した。俺の顔を見て、何も聞かずにうなずいた。

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