五歳の帳面
屋敷に着くと、門で迎えたセバスに、勉強部屋の書き取り帳のことを聞きたいとだけ言った。それから書斎で調査官への手紙を書いた。
思い出したことと、まだ確かめていないことを分けて書いた。脅しの紙の払いの跳ね方と裏の筆圧が、十年前に勉強部屋で見た娘の書き取り帳に似ていると思うこと。似ていると思うのは俺の目だけで、帳面は今手元にないこと。帳面がどこにあるかは、今夜屋敷の者に聞くこと。封をして使いに渡すころに、セバスが帳面の束を抱えて入ってきた。ガレスは窓際の椅子にいた。
「十年前、ミーナが旦那様に申し上げた、書き取り帳の足りない件でございますね」
セバスは束を机に置いた。
「ミーナにも確かめてまいりました。あの時お答えできなかった分を、今夜は帳面でお答えいたします」
セバスは一冊目の帳面を開いた。屋敷の物の出入りを付けた帳面で、十年前の春の頁に細い字が並んでいた。
「書き取り帳は背に番号が振ってあり、一から十六までございました。十年前の宝石の件の折、ミーナが足りないと申したのは三冊で、三と七と十一でございます。いつ無くなったのかは、今も分かりません」
「残りは」
「十二冊は、翌年の春に教区の手習い所へお分けしております」
セバスは別の帳面を開いた。寄進の帳面だった。
「奥様のころからの決まりで、使い終えた帳面のうち裏の白いものは、手習い所の子らの書き取り用にお分けしておりました。先生がお辞めになり、勉強部屋を片づけた翌年の春に、その決まりどおりに十二冊。受け取りは手習い所の世話役の印でございます」
十年前の俺はその決まりを知らなかった。知らないまま片づけを任せた。
「十六冊目は」
「お分けした中にございません。勉強部屋の机は片づけの折に北の物置へ移しましたので、引き出しに残っているかもしれません。明日の朝、ミーナと見てまいります」
ガレスが椅子の上で腕を組んだ。
「三冊は十年前に消えて、十二冊は手習い所へ行った。脅しの紙を書いた奴がそのどれかを見たってことか」
俺は手帳を開いた。
「似ていると思っているのは俺の目だけだ。現物と並べるまでは何も言えない」
「娘の字を昔の癖で書ける奴がいるなら、昔の帳面を見た奴だろう」
「娘本人なら、昔の癖でも書ける」
口に出すと喉が冷えた。ガレスが俺を見た。
「お前がそれを言うのか」
「俺が言わなければ、誰かが言う。調査官殿は必ず言う」
*
十六冊目は翌朝、北の物置の机の引き出しの奥から出てきた。
ミーナが両手で持って書斎へ運んできた。表紙は日に焼けて縁が丸くなり、背に子供の字で十六とあった。ミーナは机に置いてから一歩下がって、手を前掛けで拭いた。
開くと、どの頁にも同じ字が何十も並んでいた。跳ねた払いの横に細い赤い線があった。後ろの十頁ほどは白かった。最後に字のある頁の下の端に、日付が小さく書いてあった。十年前の春、俺が目を覚ました朝から十日ほどあとの日付だった。
娘はその日の昼に学院から帰ってきた。
学院長の許しで冬の休みを三日早めた。俺が頼み、学院長が許した。理由は茶会のことで、それだけなら誰に聞かれても言える。
書斎で十六冊目を見せると、娘は表紙を見ただけで分かった顔をした。
「わたくしの書き取り帳です」
「調べの方に預けたい。お前の小さいころの字を、ある紙の字と比べる資料にする。何の紙かは、調査官殿の許しが出るまで言えない。お前の物だから、お前に聞いている」
娘は少しのあいだ黙っていた。何の紙か、娘は聞かなかった。帳面も手に取らなかった。背の十六の字の上に指を一本置いた。
「お預けください」
それから少しして指を引いた。
「中は開けなくて結構です。赤い線のところは、見なくても覚えています」
*
その日の午後に、書見の間の長卓に三つの物が並んだ。
脅しの紙と、十六冊目と、学院の寮に出された娘の届けだ。届けは秋の初めの日付で、娘が自分の手で書いた原物だった。調査官の者が学院から受け取りの書付と引き換えに借りてきた。書記が三つの位置と、誰がいつ何に触れたかを書いた。
「閣下のお手紙は昨夜拝見しました」
調査官はそう言ってから、十六冊目の頁を一枚ずつめくった。手袋をした指で頁の端だけを持った。
しばらくして手が止まった。
「『殿下』の二字です」
頁の上の手本の行の下に、同じ二字を娘が何度も書いた行が並んでいた。王太子妃の書状の文例を写させる頁だった。調査官はその頁を脅しの紙の横に置いた。
脅しの紙の一行目の二字と、手本の下に五歳の娘が二十回書いた二字は、払いの抜け方が同じだった。下の字の最後の払いが紙の上で一度跳ねてから抜けている。調査官が十六冊目の頁の裏を灯りにかざすと、そこにも細い土手が浮いていた。
届けの字は違った。前へ少し傾いていて、払いは跳ねずに素直に抜けている。
「見込みは二つ立ちます」
調査官は二本の指を立てた。
「一つは、書き手がご令嬢の古い字を手本にして書いた、という見込み。もう一つは、ご令嬢ご自身が昔の書き方で書いた、という見込みです。二つ目を、今日は消せません」
「分かっている」
「一つ目が本当なら、書き手は古い字を見られた者です。帳面の行き先を辿ります。閣下の家の寄進の帳面と手習い所の受け取りを、私の者がお借りします」
調査官は十六冊目を閉じて、表紙の上に手を置いた。
「この帳面は、今日からこちらでお預かりします。閣下のお手元にはお返しできません。調べが済んだら、ご令嬢にお返しします」
*
台の給仕の三人の話は、その日の夕方に学院から届いた。
三人は別々に聞かれて、一人だけが見たことを話した。湯を注いでポットに蓋をしたあとで、頬の細い男が缶の蓋をもう一度開けて、前掛けのかくしから出した匙を入れていた。何をしているのかと思ったが、茶の量を確かめているのだろうと思って声をかけなかった、と言ったという。
翌朝、調査官は屋敷の応接間で娘に缶の上の層のことを話した。俺は同じ部屋の壁際にいた。
調査官は、どこまで詳しく聞きたいかを娘に聞いた。娘は全部と答えた。粒が上の層にだけあったこと、ポットの茶殻にはなかったこと、給仕が湯のあとで缶を開けたのを見た者がいること。娘は一つ聞くたびに帳面に書いて、最後に一行足した。
「茶葉は、悪くなかったのですね」
調査官はうなずいた。
「皆さまに淹れた茶とポットの茶殻からは、出ておりません。缶の上の層の粒は、湯を注いだあとで入れられた見込みが強い。そこまでは申せます。誰が入れたのかは、まだです」
「ミーナに、そう伝えてもよろしいですか」
「どうぞ」
娘は帳面を閉じた。調査官が帰ったあと、娘はミーナを部屋に呼んで、しばらく出てこなかった。
*
同じ日の昼前に、医務室の先生の手紙が届いた。茶会から四日目のその朝、リリアが目を覚ましたという。
少しずつ話せる。左手に痺れが残っている。誰に会いたいかと聞くと、一番目にエレノア様と言った。顔を見るだけ、少しのあいだなら、とあった。
娘は手紙を最後まで読まずに外套を取りに行った。
学院の医務室の前の廊下で、俺はカイルと並んで待った。扉の向こうから声は聞こえなかった。
出てきた娘の目が赤かった。
「干し葡萄のことを、言われました」
馬車に乗ってから娘が言った。
「早く食べてください、固くなります、と。紙は読めたそうです。お母様が読んでくださったと」
その晩、夕食の卓で娘は胸元から封筒を出した。小さな印の封が切ってあった。
「開けました」
娘はそれだけ言って、封筒をまた胸元へしまった。耳の先が赤かった。
俺は何も聞かなかった。娘は料理長の焼いた鳩をきれいに食べて、春になったら学院の裏の土手に何が咲くのかをミーナに聞いていた。
*
手習い所の話は、学院の冬の休みに入って二日目に調査官の書付で届いた。
十二冊は確かに受け取られていた。子らは表の字の裏に自分の字を書き、使い終えた物は手習い所の棚に積んであった。三年前の冬に慈善の会の者だという男が来て、古い手本を新しい手習い所へ回すと言い、棚の物をまとめて引き取っていった。受け取りの紙には聞いたことのない会の名と、読めない署名があった。その会は王都の教区の名簿のどこにもなかった。
道はそこで切れていた。
三年前は娘が教区あてに慈善の手紙を書きはじめた年だった。それが何かを意味するのかどうか、紙は何も言っていなかった。
クラウディアの返事も同じ日に届いた。調査官を通して照会したもので、返事も調査官の書付に写されていた。
ご令嬢の書き取りの頁を、直した印の見本として何枚か自分の帳面に綴じて手元に置いている。お見せするのは調べの方にならば。それだけだった。
夜、書斎で手帳を開いた。
――古い字を見られた所。勉強部屋(三冊、十年前から不明)。手習い所(十二冊、三年前に会の名の男)。クラウディアの帳面(綴じた頁)。
――娘本人。消せない。
二つ目の行は、書くのにいちばん時間がかかった。
寮監からも短い知らせが来ていた。娘が三日早く帰ったので、部屋の荷は動かさずに鍵をかけて預かっている。休みの初日に寮じゅうの床に冬の蝋を引いたが、娘の部屋も寝台を寄せて同じように引いた、と。
娘の部屋の床も、今ごろ新しい蝋で光っているのだろうと思った。
お読みいただきありがとうございます!
「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマーク・評価・リアクションをいただけると嬉しいです。
Xでも更新情報などを発信しています。
よろしければこちらもフォローいただけると嬉しいです!
https://x.com/st_shosetsu




