灯火の儀
査問の晩に、手帳の外の欄に一行書いた。
――宰相府秘書官、「環を逆に回すような細工」。言葉と刻は学院の記録係が書いた。紙に載っている者がそのあと誰に話したかは、まだ辿っていない。
上着の裾を掴んだ右手のことは書かなかった。
*
灯火の儀の五日前に、娘の手紙が来た。字は娘の字に戻っていたが、まだ少し大きくて、行の終わりが下がっていた。
――リリアさんが、実習室で一度だけ灯りを点けました。いつにするかは、二人で決めました。先生とわたくしがいる時に、です。灯りは小さくて、途中で一度揺れました。リリアさんは吐いて、揺れは止まりました。
――リリアさんの右の手のひらには、痕が残るそうです。お医者様が十日見て、そうおっしゃいました。リリアさんは、パンをこねる時に困らなければいいです、と言っています。
――ノアさんは三日前に北の院へ発ちました。夏に先生がおっしゃったとおり、学院長様が調べもののための外出を特別に許してくださいました。院では十日ほどで、三冊のどこに続きの葉があるかを確かめて、自分の目で写してくるそうです。読み解くのは帰ってからだと言っていました。雪の前に帰ってきます。
――燭台の場所は、三番目の柱の脇になりました。柱の陰ではありません。
柱の陰ではありません、の行だけ字が少し大きかった。
*
儀式は夕方の鐘のあとで、保護者は礼拝堂のうしろの席に入れる。
ガレスが騎士団の詰所から一緒に来た。カイルの持ち場を見ておくと言っていたが、甥の顔を見たいのだろうと俺は思っている。
礼拝堂の石段の下で娘とリリアが待っていた。
「お父様。ガレス様も」
娘の手にはもう布がなかった。リリアは指先の出る薄い白い手袋をしていて、右の手のひらのところだけ布が少し浮いていた。痕の上に何かを当てているのだろう。手袋は母親が縫ったものだとあとで娘から聞いた。
「来てくださって、ありがとうございます」
リリアは頭を下げてから娘のほうを向いた。
「エレノア様。今日、燭台に一つだけ、わたしの灯りを置いてもいいですか。先生には、さっき聞きました。先生も近くにいてくださるって」
娘は一度だけ瞬きをした。
「隣にいます」
「はい」
ガレスが肘で俺の脇腹を突いた。
「お前が泣いてどうする」
「泣いていない」
*
礼拝堂の中は暗かった。窓の外の夕方の光が消えるまでは灯りを点けない決まりだという。
入口の脇の台に保護者が名を書く記帳が開いてあった。名を書こうとして、前の頁が目に入った。去年の灯火の儀の頁で、来た保護者の名の上に、その年の灯火役の行がある。大聖堂より、とあって、名の横に小さな紋が描いてあった。三本の灯芯を一つに束ねた形だった。
頁を戻してみると、一昨年も同じ紋だった。その前の年も同じだった。綴りが古くなって字が薄くなっても、灯火役の行の横には同じ紋が描かれていた。下の名は年ごとに違ったが、家の名のところはどの年も同じ綴りで、紋はいつもその家の名の横にあった。
自分の名を書いて、ガレスとうしろの席に並んで座った。
鐘が一つ鳴り、祭壇の脇の扉から白い衣の神官が入ってきた。肩から長い帯を掛けていて、帯の端に同じ紋が縫い取ってあった。
神官は通路の真ん中で立ち止まって、両の手のひらを胸の前で上に向けた。手のひらの上に白い光が生まれ、光は神官の手を離れると一つずつ燭台の上へ移っていった。前の列から順に通路の両側の燭台に灯りがともり、礼拝堂の中が下から少しずつ明るくなった。
あの紋は前にも見たことがあった。王宮の東の広間には今の陛下の戴冠の絵が掛かっていて、評定の日にはいつも見上げている。陛下の頭の上に王冠があり、その斜めうしろに光を手に持った白い衣の人が描かれている。その人の帯の端にもたしか同じ形があった。
妹の画面の最初に流れた語りを思い出した。王冠の銀の環は、正しき王の誓いにのみ白く灯る。
灯るところを照らしている人がいて、その人の家が、少なくとも学院の綴りの古さの分だけ、同じ紋で続いている。戴冠の絵の帯の形は、まだ確かめていない。俺は紋の形だけを覚えておくことにした。
三番目の柱の脇の燭台には青いリボンが何本も結んであった。輪が二つで、端が結び目の下をくぐっている。娘の組の子たちが一人一本ずつ結んだのだと、これもあとで聞いた。
神官の灯りがその燭台まで届いてから、少し間があった。
リリアが組の列から一歩出た。実習の先生がその半歩うしろに立ち、娘がリリアの隣に並んだ。
リリアは手袋の右手を燭台の前に出した。肩が一度上がったのがうしろの席からでも分かった。娘が何か言った。声は聞こえなかったが、唇の形は数を数えていた。
リリアの肩が下りた。
手袋の指先に麦の粒ほどの光が生まれた。光は一度揺れたが、リリアがもう一度細く息を吐くと揺れは止まった。リリアはその粒を燭台の皿の端へそっと置いた。神官の灯りの横に並ぶと、ずいぶん小さな灯りだった。
リリアは振り向いて娘の顔を見た。娘が頷いた。二人とも笑わないまま列へ戻った。
皿の端の粒はもう揺れていなかった。小さいまま、そこで燃えていた。
しばらくしてから、隣でガレスが鼻をすすった。
「お前が泣いてどうする」
「泣いてねえ」
前のほうの三年の列で、金の髪の頭が一つ、三番目の柱のほうへ向いていた。王太子だった。灯りに照らされた顔は公務の顔ではなかった。
俺がそちらを見ていると、ガレスがまた脇腹を突いた。
「睨むな」
「見ているだけだ」
「お前の見ているだけは、睨んでるのと同じ顔だ」
ノアの席は空いていた。北の院では、今ごろ院長が地下の箱の鍵を開けているかもしれない。コルネリアの顔は二年の列のどこにもなかった。全員が揃う儀式ではなかった。揃わなくても燭台には灯りがともっていた。
*
儀式のあとは丘の上から礼拝堂を見る。窓が全部光って、谷の向こうからでも見えるのだという。
丘の上の草の斜面に一年の子たちが散らばって座った。ヘルミーネ嬢が焼き栗の袋を回していて、カイルは斜面の下の道に立ったまま動かなかった。
娘とリリアが籠を提げて上がってきた。籠の中は丸いパンで、上に十字の切れ目が入っていた。
「寮の厨房で焼きました。こねたのは、エレノア様です」
「わたくしは言われたとおりにこねただけです。粉は二回しか足していません」
「三回目の前に、わたしが止めました」
パンは一つだけ傾いていた。リリアはその一つを娘の手に載せて、まっすぐなほうを俺とガレスに差し出した。
「公爵様、どうぞ。ガレス様も」
受け取ったパンはまだ少し温かかった。十字の切れ目から湯気が細く上がっていた。俺は草の上に腰を下ろして、パンを膝に広げた手巾の上に置いた。気づいた時には、胸の前で手を合わせていた。
「いただきます」
小さい声だった。言ってから、言ったことに気づいた。リリアは娘と傾いたパンの話をしていて、こちらを見ていなかった。
ガレスだけがパンを持った手を止めて俺を見ていた。何か言うかと思ったが、何も言わずにパンをちぎって口に入れた。
谷の向こうで礼拝堂の窓が全部光っていた。リリアの置いた粒はここからでは見えない。見えなくても、三番目の柱の脇にあるはずだった。
丘を下りる時に、ガレスが俺の横に並んだ。
「アルベルト」
前を向いたまま、ガレスは言った。
「今夜、屋敷に寄る。話がある」
お読みいただきありがとうございます!
「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマーク・評価・リアクションをいただけると嬉しいです。
Xでも更新情報などを発信しています。
よろしければこちらもフォローいただけると嬉しいです!
https://x.com/st_shosetsu




