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悪役令嬢の父親に憑依した俺、娘を見捨てる未来だけは絶対に認めない  作者: 白川 透


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令嬢の部屋から

 最初に口を開いたのはクラウディアだった。


「旦那様。お嬢様のお部屋をまずお改めくださいませ」


 壁際から一歩前に出て背筋を伸ばしたまま言った。声には少しの迷いもなかった。


「お嬢様にやましいところは何一つございません。疑いを晴らすには皆様の目の前で最初にお改めいただくのが一番早うございます」


 この人は自分の教え子を信じているからこう言えるのだ。俺はそう受け取って頷いてしまった。娘の潔白を示すのにそれが一番早いのなら、と。


「セバス。案内を」

「……かしこまりました」


 セバスの返事はわずかに遅れた。俺はそれを聞いたがその意味を考えなかった。


*


 娘の部屋へ向かったのは俺とセバス、ミーナとクラウディア、それにドロステ子爵夫人と夫人の連れてきた侍女だった。ブラント夫人も「ドロステ様お一人ではお心細いでしょうから」と言ってついてきた。


 エレノアはミーナのうしろを歩いていた。廊下の途中で何か言いたそうに俺を見上げた。俺は大丈夫だ、とだけ言った。何が大丈夫なのか自分でも分かっていなかった。


 扉の前でミーナが前掛けの隠しから鍵を出した。鍵穴に差し込んで回すとかちりと音がして扉が開いた。


「茶会の前にかけておきました」


 ミーナは誰に言うともなくそう言った。


 部屋はいつもどおりだった。

 寝台はきちんと整えられ、窓の掛け布は半分だけ開いている。部屋の隅の棚に俺が贈った青い服の大きな人形が座っていた。

 子爵夫人の侍女が遠慮がちに引き出しを一つずつ開けていった。誰も何も言わず引き出しを開ける音と閉める音だけが続いた。


「……奥様」


 侍女が棚の前で手を止めた。

 抱き上げられた人形の背中、青い服の合わせ目の下で縫い目が指二本分ほどほどけ、詰め物が少しはみ出していた。


 詰め物の奥で何かが光った。

 侍女が震える指で引き出したのは古風な金のブローチだった。侍女はそれを何も言わずに主人の手のひらへ移した。


 子爵夫人が両手で口を覆った。ブラント夫人が小さく息を呑み、ため息のような声で言った。


「まあ。……お人形の中に」


 誰もエレノアのほうを見なかった。見ないことで全員がエレノアを見ていた。


「違います」


 ミーナが前掛けを握りしめて一歩前に出ていた。


「お嬢様はそのお人形を毎晩枕元に置いてお休みになるんです。朝には棚に戻して誰にも見られないようにして。そんなに大事になさっているものに、盗んだものを隠すはずが」


 そこまで言ってミーナは口を閉じた。言ってしまった、という顔だった。


 エレノアは目を大きく開けてミーナを見ていた。唇がかすかに震えていた。


 毎晩枕元に。

 いらないと言った人形を、この子は枕元に置いて寝ていた。俺はそれを今初めて知った。こんな形で。


「エレノア」


 俺が呼ぶとエレノアはこちらに向き直り、いつものきちんとした礼をした。そして顔を上げまっすぐに言った。


「わたくしは、盗っていません」


 一度だけだった。それきりエレノアは口を閉じ、両手を前で重ねて床の一点を見ていた。


 その一言で頭の中で何かが切れた。


「私の娘がそんなことをするはずがない」


 自分の声が部屋じゅうに響いた。

 この身体の声は低くてよく通る。怒鳴るつもりはなかったのに出てきたのは怒鳴り声だった。


「この屋敷で娘を盗人呼ばわりすることは許さない。誰であろうと」


 部屋が凍った。


 子爵夫人の顔から残っていた血の色がすっと消えた。

 夫人は誰も盗人呼ばわりなどしていなかった。母の形見をなくし、それが見つかった。それだけの人に向かって、俺は今許さないと言った。


 ブラント夫人が扇を開いて口元を隠しゆっくりと目を伏せた。何も言わなかった。

 ドロステ夫人の侍女が人形を抱えたまま何か言いかけ、俺の顔を見て口を閉じた。戸口で控えていた若い女中は前掛けを握って一歩下がった。

 エレノアも顔を上げかけていた。俺の声が響いたあとでその唇は動かなくなった。


 その時頭の奥に一行の文字が浮かんだ。


 舞踏会の断罪の場面。王太子が読み上げた罪状の一番最後に付け足されていた一行だ。

 ――幼少より素行に問題があり、盗みで罰せられたこともある。


 妹の隣で見ていた時は悪役の念押しくらいにしか思わなかった。いつ、何を盗んだのかも出てこない、ついでの一行だった。

 盗み。幼少。


 俺は目の前の娘を見た。わたくしは盗っていません。一度だけそう言ってあとは何も言わなかった子だ。

 その一言を俺は信じた。信じたことを間違いだとは思わない。


 だが、聞いたのはその一言だけだった。

 どこにいたのか。何を見たのか。人形の縫い目がいつからほどけていたのか。何も聞かないまま大声で部屋を黙らせた。言いかけた侍女も、下がった女中も、娘本人も、もう誰も何も言えなかった。


 ブローチが娘の部屋から出た。それは誰がそこに入れたのかを何も教えてくれない。俺はまだこの子が何を見たのかを一つも知らなかった。


「旦那様」


 クラウディアが静かに口を開いた。顔色は青かったが声はいつもと同じだった。


「罰をお与えになるべきです」


 子爵夫人とブラント夫人の前だった。


「お嬢様が盗ったとはわたくしも思いません。けれどお嬢様のお部屋から出てきた。それが事実でございます。疑われる隙を作ったこと、それ自体が公爵令嬢には罪なのです。今ここで旦那様がけじめをお示しにならなければ」


 エレノアの肩がわずかに下がった。罰を待つ時の肩に、俺には見えた。


「罰は」


 言いかけてさっきの自分の声を思い出した。息を吸い直してから低く、ゆっくり言った。


「調べが済むまで罰は与えない。何があったのかまだ誰も知らない」


 クラウディアは何か言いかけて口を閉じ、一礼した。


「……かしこまりました」


 そこまでだった。

 客にどう詫びればいいのか。見つかったブローチをどう扱えばいいのか。次に何を言えばいいのか、俺には分からなかった。ドロステ夫人の侍女は背中の開いた人形をまだ抱えたままだった。


 沈黙を破ったのはセバスだった。


「ドロステ様」


 セバスは子爵夫人の前で深く頭を下げた。


「主人がお見苦しいところをお見せいたしました。本日のことは当家で改めて調べさせていただきます。つきましてはまことに勝手なお願いでございますが、そのブローチを調べが済むまで当家にお預けいただけませんでしょうか。必ず公爵家の印を付けてお返しにあがります」


 子爵夫人は手の中のブローチを見下ろし、長いあいだ黙ってから震える声で言った。


「……母も、何も分からないままこれを胸に付けられるのは喜ばないでしょうから」


 夫人はブローチをセバスの差し出した布の上に置いた。俺の顔は一度も見なかった。


*


 客たちは早々に帰っていった。


 玄関で見送る俺に何人かは丁寧に礼をし、何人かは礼をしなかった。ブラント夫人は最後まで穏やかに微笑み、「ご令嬢をあまりお責めになりませんように」と言い残した。

 馬車の音が遠ざかって玄関ホールに俺とセバスだけが残った。


「セバス」

「はい」

「ガレスを呼んでくれ。騎士団の副団長としてではなく、俺の、……私の友人として」


 セバスは言い直したことには何も言わなかった。


「すでに使いを出してございます」


 俺は目を閉じた。この人は俺が一つ間違えている間に三つ先のことをしていた。

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