第35話 ざまぁみろなんて
ドアノッカーが強く壊れてしまいそうな勢いで、何度も叩かれる。
ミアはカップをソーサーに置いて、窓越しに玄関の方を窺った。隣にピッタリと腰を下ろしていたエリシアが立ち上がるので、ミアも同じようにする。
玄関扉の向こう側からは黄色い声が飛び交っていて、その中からミアたちの名前を聞くことができた。
エリシアはため息を一つつくと、玄関扉を開く。手に木箱を持った十代から二十代の女性が主に、たまに男性が押し合いへし合いをしていた。彼女らはエリシアの顔を認めるなり顔をほころばせて、手に持っている木箱を差し出してきた。
ミアは少し離れたところから、その木箱にエリシアと使うためのティーセットを購入した店のロゴが箔押しされているのに気づく。
「エリシア様! サインをくださいっ」
「わ、わたしもっ」
「お願いします!」
熱の入った盲目具合に、ミアは黙って眺めるしかできなかった。エリシアは呆れを表情に滲ませて、首を振る。
「悪いけど、帰ってくれるかしら」
「で、でも……サインだけ!」
「あ、ミア様もいらっしゃるわ!」
エリシアが木箱を突き返すが、奥からミアを捉えた一人が叫ぶ。ミアは一斉に集まる視線にびくつきながら、背中の壁に手を這わせた。耳の上からセンティピードが覗けば、再び黄色い歓声が上がる。
「勘違いをしているようだけど、私たちは偶像じゃないの。勝手に理想の姿を作り出して、サインを迫られちゃ困るわ」
それにね。
ミアはエリシアが一人女性の大きく開いた襟元に手を伸ばすのを目で追った。そこには白い羽の装飾がついたバッジがついている。
「《《あれ》》と同じものを求めないで」
白い羽はイルクの熱狂的なファンが身に着けていたものだ。彼女は慌てて襟を掴むと、バッジを手の中に隠した。
「迷惑だわ」
エリシアは冷たく言い放つと、扉をばたんと拒絶を示すかのように閉める。
しばらく騒ぎの声が続いたかと思うと、隣人の怒鳴り声が響き渡り、遠のいてゆく足音に胸をなでおろした。
エリシアは脱力したように足から崩れ落ちる。ミアは眉を下げたまま彼女に手を差し出した。
「今日も多かったですね」
「全くね。流行りもの好きの町娘は気が変わりやすいっていうけど」
エリシアは唇を尖らせて、扉の向こうを見透かすように睨む。
「あの浮気性はどうにかすべきだわ」
「エリシア、お茶の続きをしましょう」
「そうね」
イルクパーティーの拠点に捜索が入ったのは十日前のこと。
そして見事、彼らの拠点からは大量のアムドゥシアスの角と、それを粉にしたもの、それから簡易的な研究施設が見つかった。ダークエルフが調合の配分を紙にまとめていたようで、証拠は完璧。完全に抑えられて彼らは裁判にかけられることになったのだ。
以来、イルクをもてはやしていた町娘たちの態度は一変し、どこから漏れたのか貢献した上に三十五階層の階層主を四人だけで討伐したエリシアパーティーが持ち上げられる羽目になった。
ここ五日ほどこのように、熱狂的な人たちが拠点に押し寄せるようになり、近隣住民には騒音について毎朝のように頭を下げている。
「……なんだか釈然としませんね」
「そういうものだ」
ミアの呟きにレイノワールが目を軽く伏せ、カップに口をつけた。
「彼女らは無知に踊らされて、想像と違う展開になれば文句をつける」
ミアは頷く。
今になって気づいたことがある。ミアは彼らをもてはやす哀れな人々にも「ざまぁみろ」と言いたかったのだと。それがふたを開けてみれば、彼ら彼女らは心に小さな傷だけをつけて、それを覆い隠すために新しい理想を探し出していた。
田舎生まれのミアには想像もつかなかった。
「エリシア、明日にはメルバが帰ってきます」
「そうね」
ミアは重い腰を持ち上げてエリシアに話しかける。
メルバは今、オフィーリアに呼び出されて二十階層に向かっていた。詳しい内容は知らないが、事前に聞いていた予定では帰還は明日。メルバが帰ってきたら、すぐにダンジョンへクエストをこなしに行こうと話し合わせている。
彼女には少し苦労させるが、そのあとは長い休息が与えられる手筈なので、頑張ってもらいたいところだ。
ミアは紺のベロアでできたローブを羽織りながら、人気の無くなった玄関を確認する。
「じゃあ、レイ。お留守番をお願い」
「ああ」
「ギルドに行って来るだけだから、すぐ戻ると思うわ」
そしてミアはエリシアと共に、ダンジョンに潜る前に準備としに向かった。
人だかりがまるでエリシアパーティーの拠点から、そこへ移動したかのように、ミアは思えた。しかし構成するのは老若男女種族さえ問わない人々であり、ミアは思わず足を止める。
「……」
「ミア?」
ミアが立ち止まったことにより、エリシアの手が引っ張られた。エリシアも同じように群衆へ目を向ける。そしてミアはしばらく呆然と見つめ続けたあと、群を成す中心付近に一時的に罪人を収容する施設があったことを思い出した。
ちょうどその時、人だかりが沸き立つ。人の波から顔を出すように馬の顔が建物から出てくる。それが二頭分、それと壁と天井のないまるで荷台のような馬車の出来損ない。
ミアはエリシアの手を強く握る。悪い予感がわかだまりになってゆく。俯きたい思いと逸らしたくない感情が拮抗していた。
荷台の上に乗せられた四人には麻の布が被せられていて、誰だか判別つかないようにされている。
ミアがそれらの正体を認識したのとほぼ同時に、群衆から罵倒が飛び出した。罵倒だけでなく、トマトや卵といったものまで投げつけられていく。
ミアはもったいない、とどこかで思いながらそれを当たり前だと感じていた。刑期は何年になったのだろう。あの様子だとおそらく極刑は免れているのだろう。きっと売りつけていたわけではないからだ。しかし詳細は号外か明日の朝刊を待つしかない。
卵の殻が割れる。トマトが潰れて果汁が吹き出す。ぐちゃぐちゃに踏み散らされて、荷台に腰を下ろす人々を貶す言葉でその場が満たされていく。
それをぴたりと止めさせたものは、ミアの息の根すらも止めようとした。繋がれている手を強く握る。エリシアに握り返されてやっとミアは呼吸ができた。
トマトとは違う赤色が荷台の板張りを染め上げていく。
遠くで起きていることなのに、ミアの手にナイフが握られているような錯覚に陥った。
くぐもった呻き声が布の下から漏れる。それは人より優れたミアの耳に、やけにはっきりと聞こえてきた。残りの三人は動揺しているのか麻布の下で蟲のごとく蠢いていた。
警備隊の数名が麻布へナイフを突き立てた女を取り押さえ、野次馬たちは口を噤んで青ざめたまま放心している。突然の出来事だとはいえ、やけに静かだった。しかし警備隊は女性の取り押さえを優先する。誰も呻き苦しむ罪人を助けようとしない。赤が荷台をじわじわと染め上げていく。
当然の報い? これは──。
ミアは目の奥がずきずきと痛む気がした。
エリシアに手を繋がれたままその場にしゃがみ込む。目を覆う布がぐちゃぐちゃに濡れていた。
「ミア」
エリシアに声を掛けられて、ミアはその場で何度も頷く。
ざまぁみろなんて、ミアには向いていない。後悔はないが、すっきりとした感情も消え失せていた。
「帰りましょうか」
温かい存在がミアを抱きしめてくれる。そのまま抱き上げられて──俗にいうお姫様抱っこというやつで──けれどミアはそんなことで浮かれられるほど、楽観的でもなかった。エリシアに抱き着いて、しゃっくりを上げる。
「ギルドはまた明日行きましょう」
エリシアの唇がミアのつむじに落ちた。




