第三話
待ち合わせの時間は十六時半。待ち合わせ場所はともかく、そこから店までが少し遠い。移動時間も考えて早めに合流し、開店に合わせて到着するくらいのつもりだった。十六時に家を出ればギリギリ間に合うとはいえ、今はもう十五時を過ぎているはず。まだまだ暑い時間帯だというのも良くない。
ここの換気扇は小さく非力であり、位置の関係で窓はない。蒸し暑いトイレの気温が下がる要素は今のところないのである。日が暮れて暗くなってくる頃には涼しくなるだろうが、そこまで時間がかかっていたら確実に遅刻。もしかしたらドタキャンになるかもしれない。
大声を出せばどうだろう。誰かが気付いてくれるだろうか。幸い大家の家が近い。大家自身は耳が遠いが、アパートの玄関の鍵を持っている。誰かを呼んで事情を説明し、大家に鍵を持ってきてもらって——そうすれば、このトイレのドアは外からなら開くはずなのだ。そこまで考えて、あることを思い出した。
ここは四世帯……一階に二世帯、二階に二世帯しか住んでいない小さなアパートだ。そして、俺が住んでいる一階の隣人は、しばらく帰ってきていない。旅行、なのだと思う。一昨日くらいから隣室の生活音が一切聞こえなくなった。自転車もなかったし、雨戸が閉められていた。今も……テレビの音や足音、水を使う音など何も聞こえない。防音性には期待ができない薄い壁なのに、だ。
どうしよう、詰んだ。ああいや、とりあえず一旦落ち着こう。便座のふたを閉めて座る。このふた、割れたりしないだろうか。ちょっと心配になってくる。これも古いはずだし、劣化していても不思議じゃない。何にせよ和式じゃなくて良かった。このアパートの築年数を考えたら、それもありえただろうから。
俺は野々原には恩がある。高校の頃は授業で必要なものを借りたり、ノートを借りたりと世話になった。一緒にゲームもしていた。漫画を貸した記憶もある。バイトの代打を頼んだことすらあった。大学受験のための塾は同じところに通っていた。卒業してからは進学先が違ったが、お互いの大学が比較的近くて、時々連絡は取って会っていた。
高校の同窓会に参加する気になれたのは野々原がいたからだったし、俺はそこで再会した当時の同級生と一時期付き合っていた。遠距離が無理で長続きはしなかったけど、別れたと言っても嫌いになったとか揉めたとかはなく、今となってはいい思い出だ。それだってきっかけをくれたのは野々原だった。
とにかく。行かないという選択肢はないのである。このドアをどうにかして待ち合わせ場所に向かわなけば。俺は便座のふたから立ち上がった。
ドアノブを回す。また空回る。当然、そのまま押しても開かなかった。
落ち着け、深呼吸して。トイレという場所で深呼吸はあまりしたくないけど、この際仕方がない。もう一度回す。開かない。
汗が額から頬、顎を伝っていく。喉が渇いてきた気がする。流石にトイレのタンクの手洗い用の水なんて飲みたくない。飲んで大丈夫なのかもわからないし。このままの暑さで長く閉じ込められるのはまずいんじゃないだろうか。
救急隊にトイレから運び出される自分を想像してぞっとした。あの大工。いや、大工だけじゃない、大家も。俺がもしこれで倒れたらどう責任を取ってくれるんだ。雑な仕事をしやがって。管理ができないなら管理会社を入れてくれ。




