【 Ⅲ 】イメルダ
PM2:00
イメルダはビュッフェの長椅子に体を沈めていた。
ここ1時間ほどで、彼女の容態は急速に悪化した。顔は死人のように白く、唇は紫色に変色している。目の周りは黒ずみ、避難してきた時とはまったくの別人にさえ見えた。すでに意識も失っている。
皆が距離を取る中で、ジャスだけが献身的な看護を続けていた。ジャスはキッチンから持ってきた濡れタオルを使って、イメルダの汗を拭い、励ましの声をかけている。
「ジャス……もう彼女から離れたほうがいい。イメルダは明らかに何らかの病気だ」
トレスが複雑な表情で言った。
「冷たい人ね。私は苦しんでいる人を見捨てることなんてできないわ」
ジャスは振り向きもせずに返した。
「私はグループの安全を一番に考えているのだよ」
「トレスさんの言う通りだわ。もしもあなたが感染して、全員が病気になったらどうするつもりなの? 迷惑なのよ」
ミリアムは腕を組みながらはっきりとそう告げた。
「皆は離れていればいいわよ。万が一、症状が出たら、私は自分から別室に隔離されるわ。それなら問題ないでしょ?」
ジャスの毅然とした態度に、トレスもミリアムもそれ以上、口をはさむことができない。
だが、それから数分後にイメルダの呼吸は静かに止まった。
ジャスはイメルダの手首をとり、脈がないことを確認する。
「彼女……亡くなったわ……」
力なくそう漏らすと、ジャスは疲れた顔で首を小さく振った。
「気の毒に……」
トレスがうなだれながら言う。
ベンはキャップを脱いで胸の前に抱え、イメルダに向かって右手で十字を切った。
「どうか安らかに……」
ベンがそうつぶやいた刹那、イメルダの両目が見開かれた。
その瞳はよどみながらも、どこか異様な輝きを帯びている。エントランスで目撃した“復活したニック”と同じ状態に見えた。
イメルダは「あああ……」とかすれたうめき声をあげ、ぎこちない動きで長椅子から立ち上がった。
隣にいるジャスは信じられないといった顔で口を開けている。トレスも、ミリアムも、誰もが驚愕の面持ちで後ずさった。
イメルダとベンの目が合った。彼女は両手を突き出すと、ベンに向かってまっすぐに歩きはじめた。
「嘘だろ!?」
ベンは慌ててキャップをかぶり直し、弾かれたように椅子から飛び上がった。
「ジャス、危ない! 離れて!」
チャーリーが叫んだ。ジャスはイメルダとテーブルをはさんだ反対側へと体をかわす。
「ジャス、彼女は生きているのか?」トレスが尋ねた。
「死んだわ! 脈は止まっていたものっ!」
ジャスは悲鳴のような返事をする。ビュッフェは瞬く間にパニック状態となった。
チャーリーは及び腰ながらも、ベンとイメルダの間へ体を割りこませた。
「イメルダさん、僕の言葉はわかりますか? まだあなたですかっ!?」
大声でそう尋ねた。だがイメルダは意味を成さないうめき声をあげるのみだ。両手を伸ばしてチャーリーに掴みかかろうとする。
「駄目だ! 本当にゾンビだ!」
チャーリーは柱の陰へと逃げこみ、ベンもその後に続いた。
「こんなことが、信じられん……」
トレスは呆然としつつ、イメルダと一定の距離を保った。
皆が右往左往する中、ランディは「冗談じゃねえ」と吐き捨て、一目散にビュッフェのキッチンへと逃げこんだ。ミリアムも迷わずキッチンへ逃亡する。
「ど、どうすればいいの!?」
ジャスがフロアに残ったメンバーに叫ぶ。
「頭ですよ! ゾンビなら頭を撃てばいいんだ!」
チャーリーが切羽詰まった表情で叫んだ。
「正気か? 彼女は本当に死んで……よみがえったのか?」
トレスはまだ目の前の現実を受け入れがたい様子で言った。
「トレスさん、銃はないんですか!?」
「そんなもの、ビュッフェに置いてあるわけないだろう!」
「あんたたち、何とかしなさいよ! 男でしょ!」
キッチンからミリアムがヒステリックな声で言った。
チャーリーは勇気を振りしぼると、フロアを仕切っているステンレス製のポールスタンドを手に取った。
それを両手で高く構え、イメルダと対峙する。
「殴って! 早く!」
「殴れよ、チャーリー! 何やってる!」
キッチンに逃げたミリアムとランディが声を張る。
「む、無理ですよ……」
チャーリーはポールスタンドを構えるも、それをイメルダに向かって振り下ろすことなどできなかった。
彼女の外見はフィクションに出てくるようなゾンビ――腐敗したモンスターではなく、ひどい病人のようにしか見えなかった。つい数時間前まで、普通に会話をしていた女性に対して、大ぶりな鈍器を振るうことなどできるわけがない。
「イメルダ! こっちだ!」
チャーリーが躊躇していると、トレスは大きく両手を振ってイメルダの注意を引きつけた。彼はビュッフェの奥にある従業員通路へとイメルダを誘導する。
イメルダの動きは緩慢だが、時折、早歩きになる瞬間もあった。トレスは慎重に距離をはかりつつ、通路の扉を開け、彼女をそのまま更衣室まで導いた。
「よし、こっちだ! こいっ……」
トレスが更衣室に入ると、イメルダもふらふらとついていく。彼は部屋の中央にあるロッカーをぐるりと回りこみ、中にイメルダを残して更衣室から飛び出した。そして扉を閉める。
「ミリアム! 更衣室に鍵はかけられないのか!?」
トレスはビュッフェ店員のミリアムに大声で尋ねた。
「更衣室に鍵なんてないわよ!」
ミリアムは依然、ランディとキッチンに逃げこんだままだ。
「何かで塞ぎましょう! 椅子とかテーブルとか!」
「そ、そうだな……!」
チャーリーが提案し、やっと理性が戻ったベンもそれに賛同する。
トレスが押さえている間に、ベンとチャーリー、ジャスの3人は協力して重たい業務用テーブルを引きずっていき、それで更衣室の扉の前を塞いだ。
イメルダは中から扉を叩き、うめき声をあげていた。しかし、彼女がドアノブを回す様子はない。
「ドアノブを回せないのか……?」
「ゾンビになって……人間だった時の知性を失っているのかも?」
トレスの疑問にチャーリーがそう返した。
イメルダはその後も騒いでいたが、5分ほどで静かになる。
「ドアを開けられないと理解したのか……だが、ドアノブを回すという発想はないのだな」
トレスは大きく息を吐くと、額の汗をハンカチで拭いながら興味深そうに言う。
「た、助かりました、トレスさん……」
ベンはトレスの機転に感謝の意を告げた。
「トレスさんは勇敢なのね。さっきは冷たい人だなんて、言ってごめんなさい」ジャスが申し訳なさそうに言う。
「なに、単に夢中だっただけだよ」
トレスは苦笑しながらそう返した。
「いいえ、本当に勇敢だったわ。それに引き換え……」
ジャスは従業員通路からビュッフェに通じる扉をにらみつけた。
4人はビュッフェに戻った。安全が確保されたことを知ってか、ランディとミリアムはキッチンから出てきている。
「なあ、イメルダはどうなったんだ?」
「更衣室に閉じこめたの?」
「あんたたちサイテーね! 自分たちだけ逃げ出して!」
質問に答えず、ジャスは2人に怒りを叩きつけた。
「わ、悪かったわよ。驚いたから、つい……」
ミリアムは消え入りそうな声で謝りつつも言い訳をする。一方、ランディは悪びれる様子すらない。
「逃げるのが普通だろ? 誰でも一番大事なのは自分の命だ。違うか?」
肩をすくめ、平然とした顔で言い放った。
「よくもそんな……」
「ま、まあまあ仕方ないさ。俺だって、怖くて何もできなかったし……」
ベンは間に入って場を収めようとする。
「ベンは逃げなかったわ」
ジャスは怒りを堪えながらもそう付け加えた。
いずれにせよ、イメルダの死とその復活を目撃したことによって、懐疑的だったトレスたちもこの異常な事態の現実を受け入れるに至った。




