【 Ⅳ 】非常事態宣言
PM4:00
ビュッフェの大型テレビに、ラトーヤ・ロビンソン知事の顔が映し出された。2度目の記者会見がはじまったのだ。
正午の会見時に比べ、知事の顔には疲労の色が見て取れた。目の下に影が差し、口元は強張っている。それでも彼女の背筋は伸び、声によどみはなかった。
『本日、私はニュージャージー州知事として、パッサヤンカ郡における公衆衛生上の重大な危機に対処するため、非常事態宣言を発令しました』
「なんと……そこまでの事態なのか」
トレスが深刻な面持ちでつぶやいた。
「でも、公衆衛生上の危機って言ってますよね? ゾンビは?」
チャーリーが首をかしげる。
『住民の生命と財産を守り、法と秩序を維持するため、州兵の配備を指示しました。パッサヤンカ郡全域において、本日午後六時以降は外出禁止とします。指示に従わない場合は拘束もあり得ます。住民の皆さんは当局の指示に従って、自宅か避難所に留まってください』
会見場の記者からは矢継ぎ早に質問が飛んだ。
『知事、暴動とシルバークリーク医療センターで確認された感染症との関係は?』
『郡保健局の封鎖は失敗したのですか?』
ロビンソン知事は呼吸を整え、記者の質問にひとつずつ答える。
『……まず、暴動と感染症の因果関係は判明しておりません。ただし、この感染症は極めて危険であり、患者は暴力的な行動をとる傾向が見られます。また郡保健局による医療センターの封鎖は、技術的な問題により現在難航しています』
「技術的な問題だって? 要はゾンビを閉じこめるのに失敗したってことだろ?」
ランディは苛立ちを隠さず、画面の知事に向かって罵った。
「医療センターが震源地だとしたら、やっぱりウイルスが原因なのかな? イメルダさんもあんなことになったし……」とチャーリー。
記者たちはさらに知事へ質問を浴びせた。
『シルバークリーク市長の安否は?』
『州軍は市民に銃を向けるのですか?』
『……シルバークリーク市長とは現在、連絡がつかない状況です。州軍の治安維持活動には非致死性武器の使用を厳守するよう指示しています。州軍が市民に銃を向けることはありません』
「いやいや無茶でしょ!」
チャーリーは思わず叫んだ。
「知事は相手がゾンビだって知らないんじゃないのかなぁ?」ベンも首をかしげる。
「いいや、知っての判断かもしれんぞ?」
トレスは思案げな面持ちで静かに言葉を続けた。
「考えてもみろ? 病気で錯乱した市民への発砲許可など出せるか? そんな映像がテレビで流れたら、知事はマスコミから血祭りにされるぞ。映画じゃないんだ」
「たしかに……それは言えますね。映画やドラマだと、軍は容赦なくゾンビを撃ちますけど」
チャーリーはトレスの言葉に、納得したようにうなずいた。
「トレスさんの言う通りだと思うわ。そうなったら知事はニューヨーク・タイムズやWOKEの餌食にされるわね。左派の連中はいつだってそうよ」
ジャスも同意したが、隣で聞いていたミリアムはその発言内容に半笑いの表情を浮かべた。
「ねえジャス。あなたって、もしかしてQアノンなの?」
ミリアムはからかうような口調で尋ねた。
「ただの共和党支持者よ。陰謀論者と一緒にしないで」
ジャスはムッとしながら返した。
「非致死性武器なんかでゾンビに対応できるのかな……」
ベンはガラス張りの壁面に目を向ける。霧におおわれた市街の様子は依然としてわからない。ニックやイメルダのようになってしまった市民が、今、外の世界にはどれくらいいるのだろうか。
PM5:00
夕刻が迫り、トレスが皆に提案した。
「このメトロ・コア・センターにはふたつの階段がある。そこにバリケードを築くべきだ」
「中央階段には扉がないですね。非常階段はドアノブ式ですが、どこのフロアにも扉があります」ベンが補足する。
「じゃあ、危ないのは中央階段ですね。ゾンビが階段を使えるかどうかはわかりませんが……」
チャーリーは言いながら従業員通路のほうを見た。更衣室のイメルダは大人しくしている。彼女にはドアノブを回す知能さえ残っていないようだった。
「よし、中央階段は完全に封鎖しよう」
トレスは決断し、どの階にバリケードを設けるかベンとよく話し合った。
方針が定まり、6人は協力して行動を開始する。
3階までのフロアを上から順番に調べた結果、確認できる範囲でゾンビの姿は見当たらなかった。
2階にはエントランスホールの大階段を使って、何体かのゾンビが上がってきているようだ。
3階の踊り場で様子をうかがう六人の耳に、かすかなうめき声や足音が聞こえてくる。
「2階の女子トイレにリンダが逃げこんだはずなんです。まだそこに隠れているか、どうかはわかりませんが……」
ベンが午前の出来事を思い出しながら言った。
「まずは私が行って確認してこよう」
トレスは率先して2階へと向かった。
彼が2階吹き抜けの通路から見下ろすと、1階のエントランスには7、8体のゾンビの姿があった。
2階の通路にも、3体のゾンビらしき人影がうかがえる。
トレスはゾンビの視界に入らないよう気をつけながら、足音を殺して女子トイレに忍びこんだ。中を確認し、すぐに3階へと戻る。
「ベン、女子トイレは無人だ。個室には誰もいなかったよ」
「そ、そうなんですか? じゃあリンダは逃げたのか……」
ベンはほっと息を吐く。
「そうとは限らないだろ? トイレから出て行った時、リンダはもう人間じゃなかったかもな」
ランディが皮肉っぽい声で言った。
「よしなさいよ。あなたって、何でも他人事なのね」
ジャスはランディをにらみつける。彼は気にした風もなくトレスに質問した。
「トレスさん、下にいるゾンビの中に、リンダに似た女はいなかったのか? 警備員のニックもいたのか?」
「知るものか。私はトイレを確認しに行っただけだ。じっくりゾンビを観察する余裕があるわけないだろう?」
安全地帯からのランディの物言いに、トレスはやや感情的な声を返した。
グループは中央階段の3階と5階の2か所に、事務机や椅子を積み上げてバリケードを構築し、厳重に封鎖した。
1階と2階の非常階段の扉にも、念のため階段側からバリケードを設置する。
こちらはすぐに取り除けるよう簡易なものに留め、いざという時の避難経路として確保した。
バリケードの設置が完了し、6人はエレベーターで15階のビュッフェに戻った。
PM9:00
作業がすべて終わったころにはすっかり夜も更けていた。重労働を終えた六人は、次々と長椅子やフロアにへたりこんでいった。キッチンの食材で適当に料理をしたり、スマホで家族との連絡をこころみたりと、各々の時間をすごす。
「はー、よく働いたぜ……腰が痛くてたまらないな」
ランディは小腹を満たした後、大げさに腰をさすりながら、ビュッフェの絨毯へ仰向けに寝転んだ。
「よく言うわね、あの男……イメルダからは逃げ回っていたくせに」
ジャスは長椅子でワインを飲みながら不快そうにつぶやいた。
ベンも椅子に腰かけ、ウィスキーに口をつけてリラックスする。
「バリケードを設置する時は実際よく動いていたよ。俺のことも手伝ってくれたしね」とベンはフォローを入れた。
「それは安全な作業だったからよ。いるのよね、ああいう男。大嫌いなタイプだわ」
ジャスの言葉にベンは苦笑いするしかない。
そこにトレスが声をかけてきた。
「ベン、最悪の場合で答えてくれ。電気ガス水道はどのタイミングで止まるんだ?」
「そうですね……仮にですよ?」ベンは少し考えてから言う。
「これが全米に波及するような事態になったら、今日明日に止まってもおかしくありません」
「それはまさに最悪の事態だな。そこまででないとしたら?」
「はい。事態がシルバークリークやパッサヤンカ郡だけで収まるなら……まあ、1週間くらいは大丈夫だと思います」
「えっ! 1週間も持つんですか? 映画だと夜が明けたら、もう電気も止まってますよね?」
チャーリーが驚きを口にした。
「電気は送電網、ガスは貯蔵施設、水道なら浄水場にダメージがなければ大丈夫だよ。自動化されているからね。ただ水道は……ここは15階で、しかもこのビルは古い高架水槽式だから……」
「つまり一度、屋上のタンクにポンプでくみ上げた水を各階へ送っているんだな?」と、トレスが確認する。
「そうです。先に電気が止まれば、ポンプが作動しなくなります。それでも、タンクの水だけで数日は持つと思いますね」
「電話はすぐにつながらなくなったわよね?」
ミリアムが自分のスマホを見せながら尋ねた。
「通信は一番脆弱だからね。ネットもメンテナンスができなければ、もうすぐ止まると思うよ」
ベンの言葉を聞き、各自は改めて自分のスマホを確認する。受信は弱く、ページを開こうとしても読みこみが途中で止まる。
電話は一切つながらず、家族や知人にメールを送信してもエラーばかりだ。
夜の霧の向こう、遠くのビルの窓には橙色の光がぼんやりと輝いている。
6人はテレビのニュースをながめながら不安な一夜をすごした。




