【 Ⅴ 】銃声
2026年2月10日
AM9:00
ラトーヤ・ロビンソン知事の3度目の記者会見がテレビではじまった。
『パッサヤンカ郡では昨夜から州軍による検疫ゾーンの確立が進行中です。住民はパニックを起こさず、安全な場所で待機してください』
ただそれだけだった。記者の質問には『状況が変わり次第、またお知らせします』と繰り返すばかりで、会見は呆気なく終わる。
テレビでは専門家の討論がはじまる。だが、ゾンビ禍の最中にいるグループにとって特に目新しい話はなかった。
トレスはグループの人間たちに明確な役割を与えた。
チャーリーは偵察と情報収集、ランディは物理的な雑用、ジャスは衛生担当、ミリアムは食糧の管理を受け持った。
ベンの担当はもちろんビル設備のインフラ管理だ。
「物資の調達はどうする? 各階から適当に集めて回るか?」
ランディが皆に意見を求めた。
「例えばどんなものが要るかな?」と、ベン。
「ティッシュやトイレットペーパーはいるだろ? それに下着や着替えも。あと女性陣は……ほら、いろいろ、とな?」
やや言葉を濁しながら言った。
「でも、勝手にオフィスへ入ったら不法侵入になるわよ?」
ミリアムが眉をひそめた。
「それたしかにな。後々になって訴えられても面倒だ。トレスさん、どう思う?」
ランディはトレスに判断を求めた。
「私たちが自分の勤め先から、何かを拝借するのはこの際、仕方ないだろう。だが、無関係のテナントへ立ち入るのは避けるべきだ」
「それが現実的な線だな」
ランディがうなずき、皆もトレスの意見に同意した。
続いてビュッフェ店員のミリアムが食糧について説明する。
「キッチンの冷蔵庫と冷凍庫に食糧はたくさんあるわ。缶詰やレトルト食品もあるし、食べ物の心配はしばらくいらないと思う。あと、食材の管理はするけれど、私一人で料理まで担当するのはごめんよ?」
「そこは皆で交代でやりましょう。男性陣も手伝ってよ?」
ジャスは皆に呼びかけた。
「もちろんだとも。料理は得意だ」トレスが胸を張る。
「僕は料理はちょっと……ほとんどやったことないです」
チャーリーは両手を胸の前に上げて自信なさげに首を振った。
「俺も料理なんて無理だ。インスタントヌードルくらいしか作れないぞ?」
ランディは面倒くさそうに断った。
「俺は……できないこともないかな。家では自炊しているし、ただ、味の保証はできないよ?」
ベンが苦笑混じりに言った。
「贅沢は言わないわよ」とジャスが微笑む。
「缶詰やレトルト食品は温存してね? 生ものから消費するように。食材を使う時は、必ず私に確認を取ってよ?」
ミリアムは最後に念を押した。
AM11:30
ビュッフェに香ばしい匂いが漂う。
「できたぞ」とトレスが長テーブルに料理を運んできた。
「母の得意だった料理だ」
トレスが作ったのはひき肉のタコスと、白身魚、トマト、玉ねぎをライム果汁でマリネしたセビーチェだ。
「美味しい!」
一口食べて、チャーリーが感動の声をあげた。
「本当に美味しい……私よりもずっと料理が上手だわ」
ジャスがタコスを頬張りながら言う。
「たしかにこいつは旨いな」と、ランディもタコスにがっついた。
「これからも料理は、ずっとトレスさんに任せるのが正解ね」
ミリアムがセビーチェにフォークをつけながら言い、ベンも「賛成だ」と笑った。
トレスは「勘弁してくれ」と手を振った。
ビュッフェに籠城してから約24時間。
6人は食事をしながら雑談を交わし、この非常事態の中で久しぶりに和やかな時間をすごした。
PM0:10
食事が終わり、皆が後片付けをしていると、断続的な銃声が窓の外から聞こえてきた。運河をはさんだ西地区の方角からだ。
「州軍がゾンビと戦っているんだわ!」ジャスが声をあげる。期待に満ちた声だった。
皆はビュッフェのカーテンウォール(ガラス壁面)に駆け寄って、西地区の方角に目を凝らした。
自動小銃らしき音が遠くから聞こえるが、やはりこの日も霧が深く、外の景色はほとんど見渡せない。
「知事は非致死性武器の使用を厳守させると言ってませんでした?」
チャーリーはガラスに貼りつきながら、聞こえてくる銃声に首をかしげた。
「指示を撤回したんだろう。対処できなかったんだな」とトレス。
ベンは「何にせよ、これで軍がゾンビをやっつけてくれますよ」と希望をはらんだ声で言った。
PM2:30
今も銃撃音は西の方角から断続的に聞こえる。
ミリアムは洗いものとキッチンの掃除をした後、ソファーに寝そべってビュッフェのテレビをながめていた。
昨夜にベンが予告した通り、この日の午前中にネットは完全につながらなくなっていた。今ある情報源はテレビとラジオのみだ。
すぐ隣ではジャスがチャーリーとベンにヨガを教えている。
トレスとランディは各フロアから集めてきた、武器に使えそうな物を選別している。
「みんな、テレビを見て!」
ソファーから起き上がり、ミリアムが大声で叫んだ。皆は何事かと小走りで集まってくる。
『これは極めてショッキングな映像です』
CNNのニュースキャスターが深刻な表情で言った。テレビはスタジオから動画の映像に切り替わる。
それは一般人が建物から、スマホで撮影した映像のように見えた。シルバークリーク西地区というテロップが表示されている。
大通りには州軍の一部隊が映っていた。彼らは自動小銃を構え、前方にいる30人ほどの市民の集団めがけて水平射撃を浴びせている。
何人かの市民が銃弾を浴びて倒れていく。
だが、大半の市民は怯むことなく前進し、銃弾の雨の中を州兵に向かって直進しているように見えた。
映像はわずか20秒ほどで終わった。
『果たして州軍の発砲は正当といえるのでしょうか? 少なくともこの映像において、市民が武器を所持していることは確認できません』
ニュースキャスターの口調には強い非難の感情が込められていた。スタジオの専門家たちも『知事の判断の正当性が問われる』と厳しいコメントを並べる。
「何を呑気なことを言ってる! 軍はゾンビと戦ってるんだよ! トレスさんやジャスの言った通りだな、クソッタレの偽善者どもめ!」
現実と乖離したスタジオのコメントに、ランディは腹立たしげに毒を吐いた。
「私もCNNは嫌いだけど……」
ジャスはそう言いながらも、映像に強いショックを受けているようだった。ミリアムも口を手でおおい、言葉を失ってしまっている。
スタジオの専門家が事態を分析する背後で、その映像は何度もリピートされていた。ベンは直視するのがつらくなってきた。
ベン自身、州軍がゾンビを殲滅することを強く願っていた。しかし、いざ映像を見ると、ニックやイメルダの姿が頭をよぎった。
州兵が撃っているのは、このビルで犠牲になった人たちと同じ、理不尽にもゾンビと化した被害者なのである。つい昨日までシルバークリーク市民として、平穏な暮らしを送っていた善良な人々だ。地獄から溢れ出した怪物などではない。
「しょうがないですよね……撃たなきゃ自分たちが襲われるんだから……」
チャーリーが複雑な表情で言った。
「当たり前だ。テレビの馬鹿どもは何もわかっちゃいない」ランディは怒りを抑えきれない様子だ。
「まあ……私たちは実感として、発砲の必要性を理解することができる」トレスは映像をじっと見つめながら冷静な口調で続ける。
「だが、ほとんどのアメリカ国民は安全な自宅でこの映像を見ているんだ。軍が無差別に市民を虐殺しているようにしか見えんだろう。これは知事も大変だな……」
ニュースからしばらくすると、西地区の銃撃音はピタリと止まった。
その後テレビで情報が更新されることもなく『住民は自宅か避難所に留まってください』と繰り返されるだけだった。
軍の作戦がどういう結果に終わったのかは不明だ。
PM5:30
ちょうど日没のタイミングで突然、ビルの照明が消えた。
一瞬の暗闇の後、低い駆動音とともに非常電源が作動し、ぼんやりとした明るさがビュッフェに戻ってくる。
天井のライトの明るさは、これまでの半分以下になった。
「ベンさん……電気は、1週間は持つって言ってましたよね?」
チャーリーがおずおずと言った。
「お、俺に言われても……たぶん送電線か変圧器がやられたんだ。ほら、隣のブロックは普通に電気が点いているだろう?」
皆は窓の外を見る。濃い霧の向こう、たしかに周りのブロックではビルの窓が明るく光っている。停電はこのブロックだけのようだ。
「ツイてないですね。なんで、ここのブロックだけ……復旧はしますかね?」
チャーリーが頭をかきながら言った。
「この状況だと復旧は難しいだろうな。これから先も歯抜けみたいに、ブロック毎に停電が広がっていくと思うよ」
ベンは事態を楽観視せず、現実的な見通しを告げた。
「非常電源のバッテリーはどれくらい持つんだ?」トレスが問う。
「不要な回路を遮断し、省エネモードを強化すれば、数日は持たせられるはずです。そのためには中央監視室へ行かないと駄目ですが……」
「中央監視室は地下か……明日、明るくなってからにしたほうがいいな」
「そうですね。できれば……」
非常電源の操作には、エレベーターで地下まで行かなくてはならない。ベンは不安でたまらないが、自分以外に操作できる人間はいないのだ。
「冷蔵庫と冷凍庫はちゃんと動いているわ」
ミリアムがキッチンを確認して戻ってきた。
「冷蔵庫はもう停止させよう。中のものは冷凍庫か涼しい部屋に移せばいい。電力の消費を少しでも抑えるべきだ。ベン?」
「ええ、賛成です。トレスさん」
トレスの提案に従い、6人は冷蔵庫の食材を移す作業をはじめた。
PM7:30
6人はビュッフェで遅めのディナーをとった。
料理担当はミリアムだった。
メニューはポークリブのBBQソース、マカロニ&チーズ、クラムチャウダーとパンだ。
「美味しいなぁ……ここに避難してから、普段よりもよっぽど良いものを食べているよ」
「皮肉な話よね」チャーリーの感想にジャスがおかしそうに笑った。
薄暗い明かりの下、皆がテーブルを囲む中でランディがぽそりとつぶやく。
「やっと契約がまとまりそうだったんだ。セレニティ・コーヴの別荘だぜ? 昨日、客と会う約束をしていたのに、まったく最悪だぜ」
「一等地だな。買ったのはIT長者か?」と、トレス。
「胡散臭いイタリア系の男だったよ。ゴミ処理関係らしいからマフィアかもしれないな。契約してくれるなら、マフィアでもゾンビでも、別に何でもいいが」
「今は2026年よ? バカみたいな偏見はやめて」とミリアムが指摘する。ランディはおどけた表情を浮かべながら肩をすくめた。
「妹が婚約したばかりだったのよ。どうしてこんなことに……」
ミリアムは嘆くように言ってテーブルに頬杖をついた。
「実は今日が仕事の締め切りだったです。デザインが間に合ってなくて……この騒動が起きなかったら上司に殺されてましたよ」
チャーリーは肩を揺らして、どこか気まずそうに笑った。
「最近、嫌なお客がいたのよね。ヨガ教室の、男性クラスの若い男で、私の顔を見るたびに下品な冗談を言ってくるの。セクハラで訴えてやろうと思ったけれど、今ごろはゾンビになっているかもね」
ジャスはワイングラスを口に運びながら投げやりな調子で言った。
「来週は結婚記念日なんだ。未だに妻と連絡が取れん。子供たちとも……」
トレスは深いため息を漏らす。
皆が日常の断片を口にする間、食事を終えたベンは黙ってコーヒーカップを両手で包み込んでいた。
何かが頭の中に引っかかっているのだ。この騒動がはじまって以来、ずっと重要なことを忘れているような気がした。
「──そうだ」
ベンはハッと顔をあげた。




