【第21話】彷徨
2月10日
AM06:20
夜が明けてもシルバークリークの空は霧におおわれたままだった。
高校教師のテレンス・ドーソンは38歳の黒人男性。灰色のジャケットはゾンビの返り血を浴び、ところどころ破れていた。
「皆、疲れているだろうが、少ししたら出発しよう」
テレンスはミニバンの車内で、ゾンビに気づかれないよう小声で呼びかける。後部座席には彼が救出した4人の市民が乗っていた。
ここは体育館から少し離れた立体駐車場の屋上だ。夜間は霧でまったく視界がきかなかったため、テレンスは無理な移動を控え、ここに車を停めていた。市民たちは交代で見張りをし、息を潜めて朝まで休息と睡眠をとったのだ。
「……昨日の出来事は誰にとっても悪夢だった。だが、私たちはまだ生きている。安全な場所へ避難するため、皆で力をひとつにするんだ」
車内の4人は疲労を顔に滲ませながらも、テレンスの言葉にしっかりとうなずいた。
デイヴィッド・“ライフ”・コリンズもテレンスに救われた4人の中の1人だ。そして彼にとって幸いにも、ここには避難所崩壊の原因──バリケードの撤去を呼びかけ、ゾンビの侵入を招いた戦犯がライフであること──を知る市民は同乗していなかった。
もっともライフは避難所の崩壊が自分のせいだなどとは微塵も考えていない。
(あれはダンの隔離が甘かったせいだ。あの時、体育館の外へ逃げなければ、隔離部屋から溢れたゾンビにみんな襲われていた。ここにいる人間だって、俺が救ったようなもんさ)
しかしライフは別の問題に直面していた。向かいのシートには黒人の美容師ミラ・シモンズが座っている。昨日ライフがスーパーで突き飛ばし、危うくゾンビの餌食になりかけた女性だ。
(ツイてないな……なんで彼女がこのグループに……)
ミラは昨日の出来事を口にしなかったが、彼女の冷たい眼差しにライフは常にビクビクしていた。
「これからどうするかだが……」
テレンスは状況を整理する。カーラジオによれば、州軍の治安維持作戦がまもなく西地区で開始される。だが、知事は昨日の記者会見で「非致死性武器の使用を徹底させる」と発言していた。州軍がゾンビを制圧できるかどうかは未知数だ。過度な期待は持てない。
現在テレンスたちがいるのはシルバークリークの東地区だ。東地区は湖に突き出た半島のため、街を脱出するには運河を渡って本土側の西地区へ向かう以外に方法はなかった。
「船で湖へ出るという手段もあるにはある。が、あまり現実的ではないな。ここには水も食料もない。私は近場の避難所を目指すべきだと思うのだが、皆の意見を聞きたい」
テレンスは同乗する市民たちに意見を求めた。
「いや、避難所へ向かうよりも……」
作業服にダウンを着た白人の中年男性、グレッグ・ハモンドが不満そうに声を張った。テレンスは声の音量を下げろとばかりに手をかざす。
(ば、馬鹿なのか、こいつ……声が大きすぎだろっ)
ライフは内心で言いながら、窓の外に目をやる。霧の中、立体駐車場の屋上にゾンビの姿は見当たらない。それでも警戒はするべきだ。
「グレッグ、声を落として」とテレンス。
「わ、悪い……いや、このまま車で西地区へ向かったほうがいいんじゃないか? 州軍に助けてもらうんだ」
「俺もグレッグに賛成だ。避難所に行くのはもう懲り懲りだぜ」
エディ・ロハスが同意した。ラフなストリート・ファッションに身を包み、派手なアクセサリーをつけたヒスパニック系の若者だ。
(この男、ギャングみたいな外見だな。昨日も避難所で、似たようなラティーノとつるんでいた……注意したほうがよさそうだな)
ライフは偏見丸出しの目でじろじろとエディを観察する。
「私も逃げたいわ。避難所に行っても、また感染した人が紛れているかもしれない……違う?」
ミラは昨日のトラウマを口にした。テレンスは3人の意見を聞いてから、ゆっくりと口を開く。
「そうだな。たしかに避難所も安全とは限らない。だが、車で西地区を目指すのも難しいだろう。乗り捨てられた車や事故車両が道路を塞いでいる可能性は高い。運河の橋やトンネルとなれば、なおさら通行できるかどうか……デイヴィッド、きみはどう思う?」
不意に意見を求められ、ライフは背筋を伸ばした。コートのポケットから手を出すと、軽く深呼吸をしながら口を開く。
「俺は……テレンスに賛成だよ。それに西地区へ向かえば助かるって話じゃない」
「はあ? なんでだよ?」
エディが食ってかかるように言った。
「州軍の作戦に巻き込まれる恐れがあるだろ……」
ライフは神経質そうに眼鏡を触りながら答えた。すると、今度はグレッグが反論してくる。
「州軍が俺たちを撃つってのか? 馬鹿な。それに知事は非致死性武器を使わせると言っていたぞ?」
「それは知事が事態を把握していないせいさ。あるいは政治的な思惑かもな?」
「どういう意味だよ?」
エディがさらに詰めてきた。
「だから……当事者の俺たちにとって、相手は危険なゾンビさ。けど、知事は立場が違う。ウイルスのせいで凶暴化しても市民は市民だ。簡単に射殺許可を出せば、知事の政治的なダメージは計り知れない……だろ?」
「なるほど、考えたこともなかったぜ。兄ちゃん、頭が冴えてるな」
エディは笑いながら拳でライフの肩を軽く小突いた。
「待ってくれ。つまり州軍は銃を使わないんだろ? じゃあ、俺たちが撃たれる心配もないわけだ」
説明を聞いた上で、再度グレッグが反論した。
「たとえ知事の命令がそうでも、いよいよとなれば州軍は現場の判断で撃つだろう。自分の身が危うくなれば、撃つしかないからな。その時、この霧の中で兵士にゾンビと市民の見分けがつくとは思えない。俺が言いたいのはそこだ。作戦中の州軍に、うかつに近づくのは危険だ」
州軍に助けを求めることの不確実性をライフは理路整然と説明した。グレッグも「そういうことか」と納得する。
「デイヴィッド、きみの意見はもっともだ。今、西地区へ向かうのはリスクが大きすぎる」
「そ、そうだよな?」
テレンスの同意を得て、ライフはほっと息を吐いた。
「やはり避難所へ行こう。みんな、賛成してくれるか?」
改めてテレンスが問い、エディとグレッグは首を縦に振った。ミラは特に意見をしない。ライフの話は論理的で説得力があった。
だが、ミラの視線は相変わらず冷たい。突き刺すようなその眼差しにライフは小さく身震いした。
(まだスーパーのことを恨んでいるのか? いつまでも根に持つなよ……パニックくらい、誰でも起こすだろ?)
ライフは居心地が悪そうに窓の外へと顔を向けた。
AM06:50
ミニバンは立体駐車場を出て、霧の中を走り出した。テレンスが予想した通り、道路は放置された車と事故車両で溢れている。ミニバンは徒歩と同じような速度でしか進めない。ゾンビはそこら中に溢れ、頻繁に群がってきては車体や窓を血まみれの手の平で叩いてきた。
「くそ……化け物め」
エディは窓越しにゾンビを罵る。グレッグは手にしたレンチを振り上げたが、そうした威嚇はゾンビにまるで効果がなかった。
「だ、大丈夫……慌てなくても、車の中にいれば安全さ……」
ライフはシートで体を丸くしながら、自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
AM08:30
テレンスは慎重に車を運転し、ラジオの情報を頼りに避難所を目指した。そして、目的地である市民ホールに到着した。
ところが、その避難所は遠目にも機能を喪失していた。バリケードが破壊され、窓ガラスが割れている。建物の周囲はゾンビが徘徊し、死体らしきものも地面に散乱していた。
ミラは吐きそうな表情で口元を押さえた。
「こ、ここはダメだわ……逃げましょう」
「ああ……」
テレンスはハンドルを切り、すぐに来た道を引き返した。仕方なく、ここから2番目に近い避難所を目指す。
PM00:10
ミニバンはゾンビの群れをかわしながら、深い霧の中をのろのろと走り続けていた。途中、休憩を挟み、エディが運転を代わった。
そして正午を回った頃、遠くから銃撃のような音が聞こえてきた。
「州軍がゾンビと戦っているのか? 撃ちまくってるじゃねえか」
エディが運転しながら言う。少し驚きつつも、期待のこもった明るい声だ。
「デイヴィッドが言ったように、現場の判断だろう。これで事態が好転すればいいのだが」
助手席のテレンスはカーラジオのボリュームを上げて、最新の情報を得ようとした。だが、ニュースは被害状況と避難所の情報を流すのみで、州軍の作戦の推移はわからなかった。
「州軍はどこで戦っているの? そこら中から聞こえるわ……これって銃声よね?」
ミラが窓を見回しながら言った。
「西地区じゃないのか? 向こうからも聞こえるな……」
グレッグも首を大きく傾げた。くぐもった低く鈍い音だが、たしかに銃声らしい。ただ、距離や方角が判然としなかった。
「霧のせいだよ。銃声みたいな高音は霧の中だと遠くまで届きにくい。音が散乱するから、方向もつかめなくなる」
ライフはシートにもたれながら、気だるそうにつぶやいた。
PM01:40
一行はようやく2番目の候補地だった文化センターに到着した。建物の周囲には頑丈なバリケードが築かれ、武装した市民が守りを固めていた。
エディは建物の手前で車を停めた。テレンスは助手席の窓から顔を出し、彼らに呼びかけた。だが、彼らの回答は無情なものだった。
「悪いが受け入れることはできない。他所へ行ってくれ」
ショットガンを構えた男が2階のバルコニーから叫んだ。彼の周りにも、銃を構えた数人の市民がいた。
「なぜだ? 我々はきみたちのルールに従う。避難所の秩序を乱すつもりはない」
テレンスが大声で叫び返した。
「感染した人間がいるかもしれないからだ。それ以上、車を進めたら我々も強硬な手段を取らざるを得ない」
バルコニーの男はそう言うと、テレンスたちのミニバンに向けてショットガンを構えた。
「誰も感染なんてしていないわ! お願いだから中に入れて!」
ミラも窓を開け、身を乗り出して叫んだ。だが、彼らからの応答はなく、銃を向けてくるだけだ。
「くそったれ……なんて冷たい奴らだ。テレンス、どうする? 強引にバリケードを突破しちまうか?」
エディはハンドルを握りしめて息巻いた。
「よせ、彼らは本気だ。躊躇なく撃ってくるだろう」
テレンスは肩に手を置き、憤慨するエディを落ち着かせた。
「まあ……気持ちはわかるな。それにしても冷たいが」とグレッグ。
「話にならない。ファシストみたいな連中がいる避難所はごめんだ。テレンス、よそに行こう」
ライフは吐き捨てるように言った。冷たく門前払いされ、一行は次の候補地を目指すこととなった。
PM05:00
とうとうガソリンが尽き、日没も迫ってきた。一行は今日の移動をあきらめ、車を捨て、急いで近隣の雑居ビルへ避難した。
出入り口をバリケードで塞ぎ、2階のオフィスを仮の避難所とする。
ビル内の自動販売機からペットボトル飲料とスナック菓子、エネルギーバーといった食糧を調達した。
電気はまだ生きていた。暖房をつけ、5人はテレビで情報収集に努める。だが、州軍の作戦に関する続報はなく、テレビは現場のループ映像と専門家の討論を流し続けるだけだった。




