【第22話】セールストーク
2月11日
AM06:30
夜が明けた。雑居ビルの2階オフィスに霧を通した朝の光がぼんやりと差し込んでくる。
ソファーや椅子、床に寝そべり睡眠をとっていた5人は疲れきった表情のまま、だるそうに体を起こした。順番にトイレへ行き、顔を洗ったり歯を磨いたりと、普段の生活と変わらない朝の時間を過ごす。
「ステーキでも食いたいな。一昨日からろくなもんを食べてない」
グレッグが男子トイレの洗面所で歯を磨きながらぼやいた。
「俺もだ。ダイナーに行ってパイが食いてえ。スナック菓子じゃもたねえよ。どっか営業してねえかな?」
隣でエディが髭を剃りながら言った。ライフは横で顔を洗い、濡れた手で髪を軽くセットする。
「なあ兄ちゃん、仕事は何やってんだ?」
エディがライフに尋ねた。
「ああ……生命保険のセールスマンだよ」
ライフはやや自嘲気味に返事をした。
「道理でな、口が上手いと思ったんだ」
グレッグが納得したように言い、うがいをして言葉を続ける。
「何かおすすめの保険はあるかい? 今の保険は支払いがキツくってな」
「はは……スマホがつながれば、プランを紹介できるんだが。名刺を渡しとこうか?」
「ああ、頼むよ」
「ほら、いつでも連絡してくれ」
ライフは財布から名刺を取り出し、グレッグに手渡した。エディにも渡そうとするが、彼は「悪いが興味ねえ」と肩をすくめて遠慮した。
状況はかなり悪化していた。昨日の深夜に知事の3度目の記者会見があり、表現は曖昧だったものの、その内容は州軍の作戦が失敗したことを告げるものだった。
またニュースによれば、州軍はシルバークリークの西地区において“凶暴化した市民”の隔離を試みたが、結果として兵士に200名もの死傷者が出たらしい。
パッサヤンカ郡の住民には自宅と避難所に留まるよう指示が出されているものの、この先、事態が鎮静化するのか、いつ救助が行われるのかもまったくわからない。
AM07:20
テレンスはオフィスのテレビで朝のニュースをチェックしたが、昨日の夜から情報は更新されていなかった。
やがてライフたちがトイレから戻ってくる。ミラも女子トイレで化粧を終え、オフィスへと戻った。
テレンスはオフィスチェアに腰かけ、4人に今後の相談をする。
「ここで救助を待つか、他の場所へ移動するかだが……」
「移動すると言っても車はもうガス欠だろ? 他の車から奪うか……だが、ゾンビがうろつく中、ガソリンを移すのはかなり危ない橋だな」
グレッグはフロアにあぐらをかき、エネルギーバーをかじりながら言った。デスクに座るエディがソーダを飲みながら窓の外を指差す。
「車を盗んだほうが手っ取り早いんじゃねえか? そこら中に乗り捨てられているんだからよ」
「盗むと言っても……キーはどうするのよ?」
ミラは来客用のソファーで、ブラシで髪をときながら言った。
「エディ……きみは車を盗めるのか?」
ライフは壁際で足を投げ出して座り、スマホを弄りながらエディに尋ねた。
「盗めるのかってどういう意味だよ?」
「だから……ほら、ドラマみたいに運転席の下から配線を引っこ抜いて……」
「……まあ、できなくもねえよ。古い車だったらな」
エディは若干ためらいがちに答えた。
(こいつ、やっぱりギャングなのか? でも、反社会勢力の人間だろうと、こういう時なら役に立つか)
ライフはエディを見ながら目を細める。4人の意見を聞き、テレンスが口を開く。
「車を盗むのも危険だ。その間にゾンビに囲まれ、エンジンの始動に失敗したらそれまでだ。移動するなら徒歩にしよう」
「徒歩ですって? それこそゾンビに食べられるわよ」
ミラが驚きの声をあげた。
「そうだろうか? ゾンビの動きはそこまで速くない。それに散らばっている。建物伝いに、慎重に移動すればかわすことはできるだろう」
「まあ……進路を塞ぐゾンビはその都度、排除すればいいか」
グレッグは思案しつつうなずいた。彼は大ぶりなレンチを手にしており、実際にそれで何体かのゾンビを撃退していた。
「けど、ここを出てどこへ向かうんだ?」とエディ。
「オーク・リッジ・ウェイのYMCAだ。ラジオによると、今朝の段階でも安全が確保されているらしい。ここからも歩いて近い。このビルで救助を待つという選択肢もあるが……」
テレンスがまだ4人に意見を求める。
「わざわざここを出る必要があるのか? 1階の出入り口はバリケードで塞いだし、一応、安全は確保されているだろ?」
「そうよね……贅沢を言わなければ、当面の食べ物もあるわ」
グレッグが移動に難色を示し、ミラもそれに同調した。雑居ビルは5階建てで、何ヶ所かに飲料や食べ物の自動販売機がある。
「出入り口も一箇所だしな……安全といえば安全か。けど、テレンスはここを出たほうがいいと思ってるんだよな?」
エディがテレンスに確認した。
「ああ。軍の救助作戦が始まった時、我々のように孤立した小グループは、必然的に救助が後回しになるだろう。ここでも数日は耐えられる。だが、2週間、3週間となればどうだ?」
「そ、そんなに救助は遅くなるのか?」
グレッグは信じられないといった顔だ。
「こんな事態は連邦政府も初めてだろうからな」
ライフが立ち上がって進み出る。
「俺はテレンスに賛成だ。救助作戦はまず避難所から開始される。州軍の作戦が失敗したのだから、たぶん今日か明日には大統領が国家非常事態を宣言するだろう。けど、合衆国軍が出動しても、この事態がそう簡単に収まるとは思えない」
「そうかぁ? 世界最強の軍隊だぜ? しかもゾンビはドラマや映画と違ってトロくせえ。簡単に始末できるんじゃねえのか?」
エディは納得がいかない表情だ。
「しかし実際に州軍は負けているんだ。たしかに合衆国軍は強力だけど、市街地でゾンビと戦う訓練なんて受けていない。俺は素人だし、具体的にどういう問題が起きるかまではわからないが、この事態はきっと長引く。テレンスの言う通り、ここで何日か粘ってもジリ貧になるのは間違いない」
ライフは保険のセールスマンとして顧客を相手にするように、消極派の3人を丁寧に説得していった。ライフは話をしながらテレンスの反応をうかがう。
「デイヴィッド、続けてくれ」
テレンスは顔の前で手を組み、ライフの背中を押すように言った。その反応に自信を深め、ライフは説得を続ける。
はじめのうちは懐疑的だったエディとグレッグも、ライフの話を受けて最終的には移動を受け入れた。そして、ライフは恐る恐るミラに尋ねる。
「ミラは……きみは?」
「わかったわ。移動しましょう」
ミラは淡々と返事をした。ライフの話に異論は無いようだが、その視線は相変わらず氷のように冷たい。
(本当にしつこい女だな……こっちはお前たちの命を救ってやってるんだぞ? 少しは感謝しろよ)
ライフは心の中で舌打ちした。
AM10:00
オーク・リッジ・ウェイのYMCAを目指すことが決まり、一同は出発の準備を整えていた。ビル内で調達したバッグに飲み物や食料の他、ラジオや懐中電灯など災害用品を詰め込んでいく。
出発前、テレンスがライフに声をかけてきた。
「デイヴィッド、ありがとう。皆が納得してくれたのはきみのおかげだ」
「いや……気にしないでくれ。俺こそあんたがいてくれて良かったよ」
これは本音だった。グレッグは体格に優れているものの、かなり思考は短絡的だ。エディも悪い奴ではないが、ストリートのチンピラにしか見えない。ミラは戦力的にも期待できないし、何より自分に対して敵意を抱いている。ライフからすればテレンスが唯一、自分と対等に話ができる人物だった。
「エディから聞いたよ。きみは生命保険のセールスマンをしているそうだな?」
「ああ……つまらない仕事さ。友達には“ライフ”ってあだ名で通ってるんだ。俺が自分につけたあだ名なんだけどさ」
「何を言う? 人の命に寄り添う立派な仕事じゃないか。私こそ、きみがいてくれて心強い。これからもグループを支えてくれ」
テレンスはライフの肩を力強く叩いた。
(やっぱりこの人はわかっている。そうだよ、これが俺の本当の姿だ。やっと俺の力が正しく評価される時がきた……)
ライフは思わず胸の奥が熱くなった。理想は自分がリーダーとなり“偉大なるサバイバー”として生存者を率いることだ。だが、今は参謀のポジションが心地良かった。自分はテレンスをサポートすればいい、最終的な決断や責任はテレンスが引き受けてくれる。
彼が初日のパニック状態を脱したのは、テレンスの細やかな気配りによるものだ。しかしライフ自身はそのことを自覚できていなかった。




