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シルバークリーク  作者: 水咲邦明
EP.03「偉大なるサバイバー/デイヴィッド・”ライフ”・コリンズ」

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20/22

【第20話】崩壊

PM05:40


 完全に日が沈んだ頃、通路の方角から女性のわめくような甲高い声が響いた。続いて「ダン! 来てくれ、早く!」と男の叫ぶ声がする。ダニエル、テレンス、それにドールの3人は顔を見合わせると、すぐに通路へと駆け出した。数人の市民もその後を追いかける。

(はじまった……!)

 ライフはついに隔離部屋で最悪の事態──負傷者のゾンビ化が起きたのだと察する。彼は恐怖におののいたが、ただ目を背けることもできず、及び腰で隔離部屋の様子を見に向かった。頭の中では好奇心と保身がない交ぜになっていた。


「ダン! マズいぞ、どうする……!?」

 隔離部屋では見張りの1人、リッキーという男が母娘に向けて拳銃を構えていた。

「なんてことだ……」

 ダニエルは目の前の惨状に息を呑んだ。負傷して意識を失っていた12歳の少女、デイジーの変わり果てた姿があった。肌は蒼白で目の周りは黒ずみ、血の滴る口からうめき声を漏らしている。

 その血は母親のものだった。デイジーの母サマンサは腕に噛み千切られたような痕があった。たった今、娘に噛まれたのだろう。それでもサマンサは腕を振り回す娘を抱きしめ、懸命に彼女を銃口から庇っている。

 他の感染者も今は全員が意識を失っていた。付き添いの家族や知人らは、自分と家族の身を守ろうとしている。

「娘に銃を向けないで!」

 サマンサは暴れ狂う娘を押さえながら叫んだ。

「撃つぞ! 子供から離れるんだ!」

「私の娘よ! 絶対に手を出させないわ!」

 銃を構えたリッキーと、ゾンビ化した娘を庇うサマンサとの間で押し問答が展開する。

「銃を下ろしてよ!」

「ふざけるな! みんな死ぬぞ!」

 リッキーの声が裏返った。

 ダニエルは「テレンス!」と叫び、母親のほうへ駆け寄る。テレンスも手を貸し、無理やりデイジーから母親を引き離そうとした。

「いや! はなして!」

 サマンサは全力で抵抗した。デイジーは母親に抱かれながら、牙を剥いてダニエルやテレンスに噛みつこうとする。

 その時、部屋の一角から断末魔のような声があがった。

「ダン!」と、ドールが叫ぶ。

 ダニエルが目をやると別の負傷者の1人、身寄りのないホームレスの男が、そばにいた市民を押し倒して首に食らいついていた。噛まれた市民は絶叫しながら血を吐いた。室内に悲鳴が重なり、隔離部屋は大混乱に陥った。

 ホームレスの男は他の市民にも襲いかかり、噛まれて死んだ市民もまた別の人間を襲う。

「みんな、部屋の外に出るんだ!」

 ダニエルはサマンサを救うことをあきらめた。どの道、彼女は娘に噛まれている。テレンスもサマンサから離れ、部屋の出口で逃げ出そうとする市民を誘導した。

「ヤバいよ! 噛まれた人も外に出ちゃってる!」

 ドールは言いながら、ゾンビ化したホームレスをバットで殴りつけた。

「今は区別している暇はない! ゾンビだけを閉じ込めるんだ!」

 ダニエルも拳や蹴りを振るって、部屋の出口をゾンビから死守した。

 混乱の渦の中、狭い室内に2発の銃声が反響する。リッキーがデイジーに向けて発砲したのだ。だが、少女の胸に撃ち込まれた弾丸は、彼女の動きをわずかに鈍らせる程度だった。

「やめてー!」

 娘を撃たれ、サマンサは逆上した。彼女は隠し持っていた拳銃を抜くと、反射的にリッキーめがけて引き金を引いた。銃弾は首に命中し、リッキーは後ろに倒れて即死した。

「娘から離れて! みんな出て行って!」

 サマンサはダニエルたちにも銃を向けてくる。

「よ、よすんだ、落ち着きなさいサマンサ……我々はきみの敵じゃない!」

「嘘よ! 娘を殺す気ね!」

 テレンスはサマンサを宥めようとしたが、彼女の目は血走り、理性を失っているようだった。その後ろではデイジーが別の市民に襲いかかっている。

 さらに異常な出来事が起こった。サマンサに銃で撃たれて即死したリッキーが、獣のように唸りながらゆっくり起き上がったのだ。彼の表情や動きは、室内にいる他のゾンビとまったく同じだった。

「なんで!? 撃たれて死んだのに!」

 ドールが驚愕の表情で言った。ダニエルも答えが見つからない。

「リッキーは感染を隠していたのでは……」

 テレンスがリッキーを見て、目を細めながら言う。いずれにせよ隔離部屋は収拾がつかない事態に陥っている。ドールは迫るゾンビに金属バットで応戦しながら大声で叫んだ。

「ダン! どうするの!?」

「もう駄目だ! 部屋から出るぞ! みんな、早く……」

 ダニエルは叫んだが、その声は銃声にかき消された。もう1人の見張りがパニック状態で銃を乱射しはじめたのだ。噛まれたり引っ掻かれたりしながら傷を負って逃げ出す者、ゾンビ化した家族のそばから離れようとしない者……誰がゾンビで、誰が感染者で誰がそうでないのかさえ、正確に把握することができない。

 隔離部屋の混乱は瞬く間に体育館全体へと波及した。


「ゾンビが来るぞ! 早く逃げるんだ!」

 ライフが悲鳴のような声で叫んでいた。隔離部屋が修羅場と化した時、彼はいち早く体育館に逃げ戻り、市民たちを扇動して外へ出ようとした。

「さっさと手を貸せ! みんな食われるぞ!」

 ライフはわめき散らし、せっかく積み上げた椅子やテーブルを手当たり次第にどかし、釘で打ち付けた板を力任せに剥がしていく。恐怖を煽られた市民たちもそれに手を貸してしまう。

「あのバカ……!」

 駆け戻ったドールがライフの愚行を見て叫んだ。

「よすんだ! 何をしている!?」

 ダニエルも叫んだ。しかし、制止の声は間に合わなかった。バリケードは撤去され、体育館の扉が無防備に開け放たれる。

 その瞬間を待っていたかのように、血まみれの手が霧の中から一斉に伸びてきた。数人の市民が外に引きずり出され、入れ替わりにゾンビの群れが館内に雪崩れ込んでくる。

「うわああああ!」

 ライフは幸運にも、ゾンビに掴まれることなく外に転がり出ていた。だが、夜の闇と霧のせいで視界はまったく利かない。彼はただ1人、広い駐車場を行ったり来たりした。ゾンビをかわし、車の陰に隠れながら当てもなく逃げ回る。


 その頃、館内は血みどろの地獄と化していた。隔離部屋からゾンビが溢れ、外からも群れが侵入し、もはや手の施しようがない。

「我々も逃げるしかない……テレンスは?」

 ダニエルは避難所を捨てる決断をした。テレンスとは通路ではぐれてしまっていた。

「わからないわ。隔離部屋は出たはずだけど……」

 ドールはミラを捜したが、彼女の姿も見当たらない。

「みんな、逃げるよ! こっちに集まって!」

 ドールがバットを掲げて叫ぶ。ダニエルと彼女は残った市民をまとめ、通路から体育館の裏口を目指した。他の市民らもゾンビに追われながら、散り散りになって逃げ出していった。


 暗闇と霧の中、ライフは恐怖で泣きながら、必死に車の陰に隠れてゾンビをやり過ごしていた。

「ダンのせいだ……ダンがさっさと隔離をしなかったから……!」

 彼は車のボディに貼りつきながら、避難所のリーダーを務めたダニエルを罵り続けていた。負傷者がゾンビ化するのは時間の問題だった。わかりきっていたことだ。ダニエルの中途半端な対応が事態を悪化させたのだ。隔離部屋に鍵をかけ、一切の出入りを禁止すれば良かったのだ。自分がリーダーなら間違いなくそうした。

「やっぱり、ダンは力不足だったんだ。もっと早く、俺がみんなをまとめていたら……」


「こっちだ!」

 霧の向こうから声が聞こえた。

 ライフは弾かれたように顔をあげた。藁にもすがる思いで声の方向へ走っていく。

「みんな、早く車に乗れ!」

 1台のミニバンのそばに黒人教師のテレンス・ドーソンがいた。彼は辺りに散らばった市民に呼びかけ、自分の車に誘導していた。

「乗せて! 乗せてくれ!」

「急げ!」

 ライフは全力疾走すると、ミニバンの後ろに乗り込んだ。さらに数人の市民が合流する。しかし、声に気づいてゾンビも続々と集まってきた。

「これ以上は無理か……よし、車を出すぞ!」

 テレンスは運転席に座った。濃い霧におおわれた駐車場からミニバンは静かに走り出す。後ろの体育館では、逃げ遅れた市民の悲鳴が今もなお響いていた。


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