↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
シルバークリーク  作者: 水咲邦明
EP.03「偉大なるサバイバー/デイヴィッド・”ライフ”・コリンズ」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

17/22

【第17話】新たなステージ

2026年2月9日

AM10:40


「ついにきた」


 デイヴィッド・“ライフ”・コリンズはスマホの画面を見ながら、静かに、しかし確信を持ってつぶやいた。

 この日、ライフは有給休暇だった。会社を休んだ理由は何となくモチベーションが上がらなかったから、ただそれだけだ。自宅であるマンションの一室で、彼は朝からオンラインゲームをしていた。


 だが、退屈な日常は一変した。

 テレビはニュージャージー州パッサヤンカ郡シルバークリーク市における暴力事件について繰り返し報じていた。XをはじめとしたSNSでは人間が人間を襲う、まるでゾンビ映画のような動画がいくつも拡散中だ。窓の外からは緊急車両のサイレンが絶え間なく聞こえてくる。

 ライフは息を呑み、YouTubeの動画を次々と再生した。駅のホーム、利用者たちの悲鳴が響く中、血まみれの会社員が駅員を押し倒し、その首に食らいついている。

 別の動画では頬が大きく欠損し、顔の骨がむき出しの女性が、うめき声をあげながら撮影者に迫っていた。

 ライフは会心の笑みを浮かべていた。

 29歳、アイルランド系の血を引く長身の男。茶髪のパーマにどこか神経質そうな面長の顔立ち。丸い金属フレームの眼鏡の奥の瞳が、抑えきれない興奮と期待で異様に輝いている。


「終われ、終わってしまえ……」

 ライフはこの混乱が全世界に広がり、社会が崩壊することを心の底から願った。

 保険会社に就職してから7年。営業成績は無難。上でも下でもない。会議で発言をしても、翌週になれば誰も覚えていない。

 あだ名の“ライフ”は、生命保険のセールスマンであることを自嘲気味に表している、彼自身がつけたあだ名だ。


 ライフは鬱屈していた。なぜ世の中は自分を正しく評価することができないのか。幼少期にはIQテストで130以上を記録した。それなのに学校生活は地味そのもの、社会に出てからもこれといった成果がない。

 頭は良い、運動神経は悪くない、背は高いし太ってもいない、交際経験は人並みにある。だが、ライフは何をするにも情熱が欠けていた。そして、それは自分を本気にさせようとしない環境のせいだと思っていた。

 自分が評価されないのは今までの人生において、才能を発揮できる舞台が用意されなかったからだと。


「これだよ……ずっと、これを待っていたんだ。信じられない、本当にこんなことが起きるなんて……」

 心の声が自然と溢れ出る。YouTubeの動画を次々と再生する間、ライフの口元は緩みっぱなしだった。これで世界は一変する。彼が待ちわびた“新たなステージ”が始まるのだ。


 ライフには夢があった。10代半ばから、同じ空想に繰り返し耽っていた。

 アメリカに巨大地震がくる、大津波が東海岸を飲み込む、制御不能なパンデミックが起きる――自然災害、疫病、テロ、きっかけは何でもいい。要は社会が大崩壊を迎えればいいのだ。

 その時こそデイヴィッド・コリンズは生まれ変わる。誰も気づくことができなかった、彼の才能と知性、リーダーとしての資質が開花する。

 平凡な保険のセールスマン“ライフ”は、混乱の中で人々を導く“偉大なるサバイバー”へと豹変するのだ。

 彼の空想は驚くほど具体的で詳細だった。

 廃墟となった銃器店で武器を調達する場面、遺棄された米軍のトラックを運転し、取り残された人々を救出する場面。郊外にキャンプを張り、絶望を嘆く生存者たちに力強い演説で希望を与える場面。

 軍人や政治家が支配する悪辣な生存者グループと対決し、彼らを打ち破って新たな世界の秩序を築く――。

 まるでポスト・アポカリプスを描いた映画やドラマのようなシナリオを、ライフは10年以上に渡って、頭の中で何百回とシミュレーションしてきたのだ。


 だが、ライフはスマホを手放さなかった。

 彼はソファーに寝そべり、今度はXを開いてタイムラインを追いかける。

 利用者の殺到で回線はかなり重たい。読み込みの遅さに苛立ちつつも、ライフは流れてくる投稿を精力的に分析した。

「なんだこれ、『28日後…』じゃないか。こんなものに騙される馬鹿がいるのか?」

 映画の切り抜きが『シルバークリーク・パンデミック』のハッシュタグでバズっている。ライフは鼻で笑い飛ばした。

「これもフェイクだ。明らかにAIじゃないか」

 ライフのネットリテラシーは高く、フェイクと本物を正確に見分けることができた。加工の痕跡を確認し、撮影場所の背景を分析し、投稿時刻の整合性をチェックする。

 不毛なレスバトルには参加しないが、バズっているフェイク画像や動画には精緻なコミュニティ・ノートを提案した。

「この動画は本物だ」「これは生成AI」「また映画の切り抜きか」

 マンションの自室でぶつぶつとつぶやきながら、ひたすらXのタイムラインをスクロールする。

 空想の中の自分はすでに武器を手に入れていた。だが、現実のライフはくたびれたソファーに寝そべってスマホを眺め、親指の屈筋運動をしているだけだった。



PM00:45


 いよいよネットが繋がりにくくなってきた。正午にはニュージャージー州知事ラトーヤ・ロビンソンが記者会見を行ったが、その内容は「暴動が発生中、住民は自宅に留まるよう」という、あまり中身のないものだった。ただ、シルバークリーク医療センターを郡保健当局が封鎖中という気になる情報もあった。

「……つまり、市民が凶暴化している原因はウイルスなのか? 州政府は情報を隠しているのか、単に把握できていないのか」

 ライフは独り言をつぶやき、ようやくソファーから身を起こした。


 買いだめを思い立ったのだ。社会が崩壊するなら、まずは水と食糧を確保する必要があった。その考え自体は正しい。だが、社会の崩壊を10年以上も願いながら、ライフの自宅には非常食のひとつさえ備蓄されていなかった。



PM01:10


 ライフは自宅マンションを出ると、近所のスーパーマーケット“ノース・スター・フーズ”に徒歩で向かった。


 店内はすでに騒然としていた。通路を埋め尽くす客は、棚の商品を手当たり次第にカートへ放り込んでいる。缶詰やレトルト商品のコーナーは早くも空になっていた。ライフはそれを見て軽く舌打ちをする。

 通路に見知った顔がいた。エミリー・“ドール”・ホワイト、20代前半の白人女性でこのスーパーの店員だ。

 ドールというのはハンドルネームだ。店で知り合ったのがきっかけとなり、ライフは彼女と何度か一緒にオンラインゲームをしたことがあった。

 金髪に紫とピンクのメッシュを入れた個性的な髪形、ギラギラのネイル、店のエプロンの下はパンクファッション。彼女は対戦型オンラインゲーム中毒で、勤務中は常に眠たそうな顔をしている。

「よう、ドール」

「ああ……ライフ」

「こんな時に仕事か? 外は大変な騒ぎになってるんだぜ?」

「ねえ、これって何の騒ぎなの?」

 ドールは商品を棚に陳列しながら、殺気立った客の様子に怪訝な表情を浮かべた。

「ええ? きみ、ニュースを見てないのか?」

「だって……さっき起きて、出勤してきたばかりだし……」

 ドールは作業の手を止めず、あくびをしながらどうでも良さそうに返事をする。ライフはスマホを取り出すと、保存していた動画を得意げに見せようとした。

「これ見ろよ、本物のゾンビだ。SNSで動画が……」

「はあ?」

 ドールが首をかしげた時だった。店の入り口のほうから、何かが崩れる音が聞こえる。


 ライフとドールは同時に振り向いた。何人かがフロアに倒れ、甲高い悲鳴をあげている。

 店の入り口には、青白い顔をした男女の集団がいた。全員が体のどこかにひどい傷を負っており、衣服は裂け、血にまみれている。その目は虚ろで、口からは不気味なうめき声が漏れていた。

「っっ…………!!」

「何あれ? コスプレ?」

 顔を引きつらせるライフの隣で、ドールは呑気にまだそんなことを言っていた。

 次の瞬間、断末魔の叫び声が店内に鳴り響いた。侵入者たちが入り口付近の客に、常軌を逸した暴力行為に出たのだ。

 引っかき、組みつき、歯を剥いて肉に食らいつく。

「ほ、本当にゾンビだ……!」

「えっ……ウソでしょ? あれ、何をやってるのっ!?」

 ライフは声を裏返し、ドールも驚きに目を丸く見張った。

 逃げ回る客、追いかける侵入者たち、店内は瞬く間に阿鼻叫喚の巷と化す。


 やがて血まみれの侵入者たちは、動物的なうなり声をあげながら、ぎこちない足取りでライフとドールのいる通路にも向かってきた。

「あっ、あっ、あっ……」

 ライフは唇を震わせた。

 大地震、大津波、隕石、伝染病、テロ……ライフは様々なパターンの社会の崩壊を夢見てきた。馬鹿げていると思いつつ、ゾンビ・パンデミックという事態も、彼のシミュレーションの中には存在した。

 ライフは恐怖の中でもバットを握りしめ、怯える市民たちの前に立ってゾンビの頭を打ち砕き“偉大なるサバイバー”として覚醒する。空想の中ではそういう筋書きのはずだった。


 肌は青白く、目の周りが黒ずんだゾンビたちのおぞましい顔、通路に倒れ、無惨に食いちぎられる人たち、悲鳴、血の匂い……。


「ど、どいてくれ!」

 現実のライフが取った行動は、すぐ隣にいた女性客を突き飛ばし、一目散に逃げ出すことだった。

「きゃあ!」と悲鳴をあげ、中年の黒人女性は大きくよろけて通路へ倒れ込んだ。ゾンビたちは女性に群がっていき、ライフはその隙をつくように、店の奥にある従業員通路へと全力で駆けて行った。

「何アイツ! サイテー!」

 背中からドールの驚きと非難の声が聞こえた。が、ライフは一度も振り返ることはなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。