【第15話】空調
PM5:20
日没の時刻が迫り、ただでさえ曇り空と霧で薄暗かったビュッフェは、夜のような闇におおわれた。非常電源節約のため、日中は照明を切っている。
「そろそろ電気、点けますね」
チャーリーはフロアの照明スイッチを入れた。フロア全体がぼんやりと明るくなる。普段の営業時間中に比べて光量は半分以下だ。それでも避難しているメンバーにはまぶしく感じられた。
『この新型ウイルス感染症についてCDC(疾病予防管理センター)は患者の隔離が何よりも重要であるとしています。初期症状はインフルエンザに似ていますが、発症からわずか1時間ほどで重篤化し……』
テーブルに置かれたラジオは一日中、シルバークリークを襲った未曾有の事態に関する情報を発信していた。
ベンはラジオホストの声に耳をかたむけながら、明るくなった照明の下で、非常電源のマニュアルに目を通している。
チャーリーは柱に寄りかかって座り、ノートに落書きをしていた。その近くでは、ジャスが床にマットを敷いて、薄手のジムウェア姿でヨガに励んでいる。
「…………」
チャーリーは落書きの手を止めた。柔軟にヨガのポーズを取るジャスのしなやかなボディラインや、汗ばんだうなじについ目がいってしまう。
「一緒にやる?」
「……み、見てないです!」
ジャスが笑顔で振り返ると、チャーリーは慌ててノートに視線を戻した。
トレスはフロアの端で外の景色をながめている。だが、ガラス壁面から見えるのは白い霧だけだ。
『……たとえ、あなたの大切な家族や友人であっても、症状が出た場合は必ず隔離してください。一刻の判断の遅れが、避難している全員の安全を脅かすことに……』
「ねえ、今日の夕食は早くてもいい? もうできそうなのよ」
ラジオホストの声をさえぎり、ミリアムがキッチンから顔をのぞかせながら言った。
「ああ、もちろんだ」と、トレス。
「今すぐにでも食べられるよ」
ベンもマニュアルから顔を上げて言う。
「ランディはどこにいるの?」
フロアを見渡してミリアムが尋ねた。
「ランディさんなら仮眠室で寝てますよ。昨日の晩、あまり眠れなかったからと言ってました」
「良いご身分ね。大して働いてもいないくせに」
チャーリーの返事にジャスが文句を付け足した。
その時、天井から何やら異音が響いた。重たい機械音のようなものが断続的に聞こえてくる。
「なに、この音?」
ジャスはヨガのポーズを取りながら天井を見上げた。
やがて天井にある複数の吹き出し口が、冷たい風を猛烈にフロアへ送りこんできた。
「うわっ、寒い寒い!」
チャーリーは慌てて立ち上がり、風の当たらない場所へ移動する。ジャスもジムウェアの上にジャケットを羽織った。
「どうして冷房が……」
ミリアムはキッチンにあるエアコンのパネルを操作した。しかし、いくら設定温度や風量を変えても、吹き出し口は勢いよく冷風を吐き続けている。
「強制冷房運転だ……メンテナンスの時しか使わないのだけど……弱ったな、ここからじゃ解除できないんだ」
ベンもキッチンに行ってパネルを操作するが、エアコンをコントロールすることができない。
これも節電のため、今までエアコンは最低温度に設定して暖房をかけていた。今の室温は15度程度だ。
「真冬だから冷房をマックスで使用しても、これ以上は寒くなりようがないけれど……」と、ベン。
「でも寒いですよ!」チャーリーが言う。
「これだけ風が吹いたらね……」
ベンは参ったという様子で、キャップを手で押さえる。
「ベン、どうにかしてよ。凍えてしまうわ。中央監視室に行ったら解除できるんじゃないの?」
「うーん……それはまあ、たぶん……」
ミリアムに急かされ、ベンは曖昧な返事をした。頭の中では「また俺が地下に行くのか……」と嘆いている。
「寒さくらい我慢すればよくない?」
ジャスはベンを気遣うように言った。
「いや、問題はそこじゃないんだよ。このままだと、非常電源のバッテリーが急速に消耗する」
「やはりそうか……」
ベンの説明に、トレスは深刻な面持ちで返した。
「ええ。空調は電気を使いますからね。早く止めないと、今日中にバッテリーが尽きるかもしれない……わかりました、行ってきます」
ベンは小さく深呼吸をして気持ちを整えると、エレベーターのある廊下へと向かっていく。
「待て、ベン。私も一緒に行く」
トレスがベンを引き留めた。
「い、いえ、大丈夫ですよ。これまでも安全でしたし。地下にゾンビはいませんから」
「しかし、人手はどうなんだ? 誰かいたほうがいいんじゃないか?」
「そうだなぁ……まあ、たしかに……」
「じゃあ、僕が行きますよ。トレスさんはリーダーだし、ここに残ってください」
チャーリーがまた志願をした。
「行ってくれるか?」
「はい。でも念のため、武器は持っていきますね……」
チャーリーは床に並べた武器の中から消防斧を選んだ。
「悪いな、チャーリー。それじゃあ行こうか」
ベンはチャーリーを連れてビュッフェを出ると、地下へ降りるためエレベーターホールに向かった。
「ベンに頼ってばかりだ。私は何の役にも立っていない」
2人が出て行くと、トレスは罪悪感に苛まれた表情で言った。
「そんなことはないわよ。トレスさんがいなかったら、グループはとっくにバラバラになっていたわ」
ミリアムはそう言ってトレスの肩を叩いた。
「トレスさんは一番働いてるわ。アイツと大違いよ……まったく、あの男、いつまで寝ている気なのかしら?」
ジャスは呆れた声を漏らしながら、仮眠室のほうをにらみつけた。
PM6:00
ベンとチャーリーが地下に降りてから10分ほどが過ぎた。
トレスとジャス、それにミリアムも調理を中断し、ビュッフェの中央に集まって不安げに今後の話をしている。
「寒い……」
声が聞こえ、3人は振り返った。そして目を見張り、絶句する。
「さ、寒い……何なんだ、これは……?」
いつの間に仮眠室を出たのか、ランディが立っていた。肩から毛布を羽織り、ガタガタと全身を震わせている。
顔は蒼白で、大量の汗に濡れていた。目の周りは真っ黒になり、唇が紫色に染まっている。
「ランディ……それは……」
「あなた……感染したの!?」
トレスが尋ねようとする前に、ミリアムははっきりそう尋ねた。
「な、何の話だ……? 俺は、感染なんて……」
「だってその顔……」
ジャスは初日に感染した、イメルダの姿を思い出さずにはいられなかった。
「ランディ、いったい何があった? 誰かと接触したのか?」
トレスは冷静な口調で尋ねた。
「屋上に……男がいた……掴まれたんだ。その時、腕を引っかかれて……」
「屋上にゾンビがいたの?」
ミリアムが驚きの声をあげた。トレスはそれを制し、事態を把握しようと努める。
「ランディ、その男はどうしたんだ? まだ屋上にいるのか?」
「いや……振り払って……ビルから、突き落とした……でも、ゾンビかどうか、わからない……俺は感染なんかしてないっ……」
3人はそろって怪訝な表情をする。ランディの説明は支離滅裂だ。相手がゾンビでないのなら、腕を掴まれたからといって屋上から突き落とす理由などない。それではただの殺人ではないか。
「ランディ、落ち着いてよく聞いてくれ。きみは感染している。イメルダがどうなったのか、きみも覚えているだろう?」
トレスはなだめるような口調で言った。
「違う……俺は、普通だ……病気なんかじゃない……」
「どう見ても感染してるわよ! あなた、イメルダが発症した時、もしも自分なら進んで隔離されると言っていたわよね?」
ミリアムは後ずさりながら、あの時のランディが言った台詞を繰り返した。
「やめてミリアム。ランディ、大丈夫よ。軍の救助を待ちましょう。病院に行けば、まだ助かるかもしれないわ」
ジャスも懸命にランディを落ち着かせようとした。
「俺を、隔離する気か……? イメルダと同じ部屋でか? じょ、冗談じゃねえ……イメルダに食い殺される……!」
「誰もそんなことは言っていないわ。仮眠室に……」
ジャスは同意を求めるように、トレスへ視線を送った。
「ああ……そうだ、仮眠室へ戻ろう。そして、これからどうするべきか、落ち着いて一緒に考えるんだ」
「お、俺を殺す気か? そうやって……油断させて……頭をつぶすんだな?」
「そんなことするわけないでしょ!」
ジャスは感情的に怒鳴った。
「こ、殺されてたまるか……俺は感染しちゃいないっ……この、人殺しどもめ……」
「イカれてるわ」
ミリアムは呆れた顔で冷たく言い放った。
「よすんだ、ミリアム。彼はせん妄状態だ。高熱のせいだろう」
トレスはそう言って、慎重にランディは近づいていく。が、ランディは身を翻すと「やめろ!」と叫び、足をもつれさせながら、ビュッフェを飛び出した。
「ぐ……!」
説得が失敗し、トレスは唇を噛みしめた。
「ど、どうするの? 放っておいたら彼もゾンビになるわよ?」
ミリアムが焦燥感に駆られて叫んだ。
「止めるしかないわ、隔離しないと……!」
ジャスはすぐに後を追いかけようとする。が、その腕をトレスが掴んだ。
「ジャス、彼と不用意に接触すれば、我々も感染する恐れがある。特に手だ、引っかかれると危険だ」
「わ、わかっているわ……あまり手荒な真似はしたくないけど……」
ジャスはフロアに置いてある鉄パイプを拾った。
「彼を見つけたら、一人で対処しようとせず、大声で知らせるんだ。2人ともわかったな?」
トレスが念を押し、3人はビュッフェを出て、ランディの行方を追った。
15階は構造のほとんどをビュッフェが占めている。ミリアムは従業員通路、トレスは中央階段、ジャスはエレベーターホールへと向かう。
すると、ジャスがすぐにランディの姿を見つけた。彼は必死の形相でエレベーターに乗り込むところだった。
「ランディ、待って! みんな、エレベーターホールよ!」
ジャスは叫びながらエレベーターに向かって走る。が、あと一歩のところで扉は閉まってしまう。
ジャスはボタンを連打したが、すでにエレベーターは降下しはじめていた。
少し遅れてトレスとミリアムが駆けつけた。
「ランディは下へ降りたの? 彼は何を考えてるの?」
「逃げる気だ。感染した自分を、本気で我々が殺すと思ったんだろう……」
ミリアムの疑問にトレスが答えた。
「馬鹿ね!」
ジャスはエレベーターの扉を叩き、腹立たしげに叫んだ。
「でも、逃げると言ってもどうやって?」
ミリアムがまた尋ねた。
「地下1階から関係者用通路に上がれば、裏口とエントランスに通じる扉があるのよ。たぶん、どちらかを通って外に……」
ジャスは地下の構造を思い出しながら言った。そして、あることに気づき、息を飲む。
「ベンとチャーリーが危険だわ!」




