【第12話】WGS
PM7:30
ディナーの料理担当はミリアムだった。6人が囲んだ長テーブルにはポークリブのBBQソース、マカロニ&チーズ、クラムチャウダー、パンといった品々が並ぶ。
「美味しいなぁ……ここに避難してから、普段よりもよっぽど良いものを食べているよ」
「皮肉な話よね」舌鼓を打つチャーリーに、ジャスがおかしそうに笑った。
薄暗い明かりの下で、ランディはワイングラスをかたむけながらつぶやく。
「昨日の午後に客と会う予定だったんだ。契約の話でね。セレニティ・コーヴの別荘だぜ? まったく最悪だよ」
「景気の良い話だな。客はIT長者か?」トレスが笑いながら尋ねる。
「けばけばしいスーツを着たイタリア系の男さ。ゴミ処理関係の会社と言っていたからマフィアかもしれないな」
「今は2026年よ? 馬鹿みたいな偏見はやめて」
ミリアムが指摘すると、ランディはおどけた表情を浮かべて肩をすくめた。
「先月、妹が婚約したばかりなのよ。どうしてこんなことに……」
ミリアムは嘆息しながらテーブルに頬杖をついた。
「……実は今日が仕事の締め切りだったんだ。デザインが間に合いそうになくて……この騒ぎが起きなかったら、上司に殺されてたよ」
チャーリーが少し気まずそうに笑いながら言った。
「最近、嫌なお客がいたのよね」とジャスがこぼす。
「ヨガ教室の、男性クラスの若い男で、私の顔を見るたびに下品な冗談を言ってくるの。セクハラで訴えてやろうと思っていたけど、今ごろはそいつもゾンビになっているかもね」
ジャスは遠い目をすると、投げやりな調子で言った。
「来週は結婚記念日なんだ。未だに妻と連絡が取れん。子供たちとも……」
トレスは深いため息を漏らす。
皆が日常の断片を口にする間、食事を終えたベンは黙ってコーヒーカップを両手で包み込んでいた。
何かが頭の中に引っかかっているのだ。この騒動がはじまって以来、ずっと重要なことを忘れているような気がした。
「──そうだ」
ベンはハッと顔をあげた。
「みんな、ちょっと聞いてもらえるかな?」
皆の視線がベンに集まる。
ベンは今朝のエントランスでの出来事を時系列に沿って、できるだけ丁寧に説明していった。
昨日──2月9日の、民間警備会社WGS(ウォーカー・グローバル・セキュリティ)のコンサルタント、ハリー・シャペルとのやり取りについてだ。
ベンは朝早くに、ビルのエントランスで帰宅しようとしているシャペルと挨拶を交わした。シャペルは徹夜明けだった。
だが、帰宅したはずのシャペルが10時か11時ごろに、再び会社に戻っていた。顔は土気色に変わり、冷や汗をかいて、まるで病人のようだった。彼の手には、朝には無かったはずの包帯が巻かれていた。
ベンが気遣うと、シャペルは「私に近づくな!」と普段の温厚さからは想像できない態度を取った。だが、すぐに落ち着きを取り戻し、去り際に「今日はニュースをよく見ておいたほうがいい。異変を感じたら、すぐに帰宅するんだ」と告げた。
ベンの話が終わり、ディナーの席はしばし沈黙に包まれる。
「色々とありすぎて、完全に忘れていたんだけど……どう思う?」
ベンは改めて皆に尋ねた。
「つまり9日の朝の時点で、シャペル氏は感染していた……ベンの話を聞く限り、そうとらえられるな」
トレスが言い、ベンも「やっぱり、そう思いますよね……」と同意する。
「そのシャペルさんは……僕は会ったことないんですけど、WGSのコンサルタントなんですよね? それじゃあ……」
チャーリーの目が光った。
「WGSが今回の件に関わってるって? けど、単なる民間警備会社だろう? 考えすぎじゃないか?」
ランディは鼻で笑いながら言った。
「いや、WGSはたしかに警備会社だが、実態はPMC(民間軍事会社)に近いという話を聞いたことがある。紛争地帯での要人警護も請け負っているそうだ」
トレスが説明すると、場の空気がやや張りつめたものになった。
「ほら! だから言ったでしょ? これはディープ・ステートが仕組んだテロなのよ。WGSもこのテロに関わっているんだわ。大統領は気づいたのよっ」
沈黙を破り、ジャスが目の色を変えて勢い良くまくしたてた。
「またかよ、もう勘弁してくれ」
ランディは両手を広げ、うんざりした顔で天井を仰いだ。
「ねえジャス、お願いだから“嵐”と“大いなる覚醒”の話はSNSの中だけにして」
ミリアムは吹き出すように笑いながら言った。
「私は真面目な話をしているのよ! だって今のベンの話、どう考えてもシャペル氏は怪し過ぎるでしょう?」
「落ち着いて、ジャス。話が飛躍してるよ」
ベンは興奮するジャスを穏やかに制した。
「ビルに戻ってきた時、シャペルさんは怪我をして、体調もかなり悪そうだった。もしかすると、彼は誰かに襲われて、感染していたのかもしれない。でも、他のことは何の根拠もない憶測に過ぎないよ」
「シャペル氏はベンに“近づくな!”と叫んだんでしょ? つまり、彼は自分がゾンビになるとわかっていたのよ。あなたを襲うかもしれない、感染させるかもしれないと、それを恐れたんじゃないの?」
「ん……それは、まあ…………」
ジャスの指摘を受け、ベンは今一度、あの時のシャペルの様子を思い起こした。
「自分がゾンビになるとわかっていた? それを飛躍と言うんだよ。シャペルは病気にかかっていて、ベンにうつしたくなかった。それだけの話だろう?」
ランディはまた鼻で笑いながらジャスの主張を退けた。
だが、ベンにはすべてが飛躍とも思えない。シャペルはベンの家族がどこに住んでいるかを確認していた。
彼がこの先、シルバークリークに異変が起きることを知っていた可能性はある。その際、ベンの家族が無事に済むか、州外にいるなら、ベンが家族を頼れるかどうかまで、シャペルは気遣っていたようにも感じられた。
「ふむ……事前にシャペル氏が何らかの情報を得ていた可能性は否めないな。ただ、それは単に彼の仕事柄だろう。WGSがテロだの陰謀だのに関わっていたというのは荒唐無稽な話だ」
トレスが話をまとめようとした。しかしジャスはまだ納得がいかない様子だ。
「WGSのオフィスは8階だったわよね? 今から調べに行ってみない?」
「あっ……そうか! たしかに、何かわかるかも?」
ジャスが提案し、チャーリーも乗り気な顔をした。
「ば、馬鹿なことを言わないで。相手は警備会社よ? 不法侵入で絶対に訴えられるわ」ミリアムは椅子を引きながら言う。
「俺も反対だ。第一、そんな探偵ごっこに付き合う義理はねえ」ランディは腕組みをしながら首を振った。
「誰もあんたたちに期待なんかしていないわよ」
「お、俺もあまり行きたくないなぁ……」
ベンはキャップを弄りながら体を反らした。
「もう……ねえ、トレスさんはどう思う? 調べてみる価値はあると思わない?」
ジャスは目を輝かせながら言うが、トレスの反応は断固としたものだった。
「絶対に駄目だ。会社のオフィスに侵入して機密を探るなど、明確に法を犯す行為ではないか? きみは高い倫理観を持つ女性だと思っていたが、そんなことを言うなんて正直、驚きだよ。チャーリー、きみもだ」
「ご、ごめんなさいっ」トレスの強い叱責口調にチャーリーは狼狽してすぐに謝罪を口にした。ジャスも、ばつが悪そうな表情を浮かべる。
「そ、そんな風に言わないでよ? 今は緊急事態だし……法を犯すとか、そういう話じゃないでしょう?」
「駄目だ。絶対に許可できない。ベンの話には重要な情報が含まれているかもしれない。だが、それは救助された後、ベンが当局に情報を提供すれば済むことだ。我々に法を犯して捜査を行う権限などない」
トレスはWGSの家探しを全面的に却下した。ランディやミリアム、それにベンも安堵の表情をする。チャーリーはどこか恥ずかしげだ。
「……頭が固いんだから……当局なんて信用できないわよ」
ジャスは不満そうにぶつぶつと文句をつぶやいていた。
PM10:00
ラトーヤ・ロビンソン知事が再びテレビに現れた。
4度目の会見場に立つ彼女は、誰の目にも憔悴しきっていた。目の下の影は深くなり、口の端はわずかに震えている。
それでも声は力強く、感情は抑制されていた。
『パッサヤンカ郡、特にシルバークリーク市内において想定外の事態が起こり、州軍の一部の部隊と連絡が途絶しています。現在、州軍と警察が郡境界線の物理的な封鎖を強化しています』
ビュッフェの6人は声を失った。
知事の言葉は州軍の作戦失敗を意味していたからだ。
その30分後にホワイトハウス報道官のギルバート・ソーンが記者会見を行った。
『事態は深刻であり、国土安全保障省が介入を決定しました。現在、ニュージャージー州政府と緊密に連携し、封鎖プロトコルの再評価を行っています』
会見はすぐに終わり、知事の会見同様、記者の質問時間は設けられなかった。
「連邦政府は何をしている!」
珍しくトレスが感情を露わにして怒鳴った。
「ここまで状況が悪化しているのに、なぜ大統領は国家非常事態を宣言しないんだ!」
「わかりきってるでしょ? ディープ・ステートが大統領の邪魔をしているからよ」
ジャスが当たり前かのように言う。
「呆れた……」とミリアムは皮肉っぽく笑い、ランディが「耳障りだからやめてくれ」と嫌悪感を露わにする。チャーリーは目を泳がせ、反応に困っている様子だ。
ベンはため息まじりに「みんな、言い争いはよそうよ……」と、力なくつぶやいた。




