第60話 戦い終わったその後で
赤錆色の獣の襲撃から、早くも一週間もの時が流れていた。
例によって寝こんで熱に魘されて、ようやく本復するまで、おおよそ五日の時を要した冽花。さらに二日ほど時をおいた上で瑟郎からお招きがかかった。
そんなわけで冽花と賤竜、浩然を乗せた輿が、福峰の街を行くこととなった。
向かうは瑟郎らが待つ喜水城だ。
「輿になんて初めて乗ったぜ。しかも、こんな立派なの」
「あんま外見るんじゃねえぞ。一応、お忍びで呼ばれてるんだからな」
「あっ、うん。……でも、もうちょっとだけ」
御簾をもたげて見る街は、襲撃の影響を濃く残しつつ、それでも活気にあふれていた。あちらこちらで槌や鑿を振るう職人の姿が垣間見え、少しずつ復興が進められているのが分かる。
かつてのあちこちでの歪な在建造を思い起こし、小さく微笑む冽花だ
これが本来の福峰の在り様なのだろう。
御簾を元に戻す。一行はゆっくりと通りを進んでいく。
そうしてたどり着いた喜水城は、いつか訪れた時とは打って変わり、数多の人々が行き交い賑わう場と化していた。あの時は皆の寝静まった夜だったので、詮無きに。
やはりこれこそが、喜水城のあるべき姿なのだろう。物珍しげに見回していると、待機していたあの側近の青年が近づいてきた。
彼のあとに続いて上階の応接間へと歩みを進めていく。
だが扉が近づくにつれて、冽花たちの足取りは重くなった。
理由は簡単だ。目指す先から、瑟郎のそれはそれは甘ったるい声での囁きと、慣れた様子であしらう抱水の声が聞こえてきたからであった。
蟲人の耳のよさがもたらした悲劇であり喜劇だった。
冽花はぎょっとし、おもわず行く手と浩然を交互に見た。
――えっ。今のって……?
生まれて初めて、耳を疑うという経験をした。もし現実なら浩然も聞こえたはずだが。……彼の苦虫を嚙み潰したような顔がすべてを物語っていた。
聞こえる。まだ聞こえてくる。
「ねえ、抱水。いいだろう? 疲れたんだよ。この後、少しぐらい膝を貸してくれても」
『今日分の仕事がすべて、つつがなく終えられたらな』
「ああ、抱水。まがいなりにも病み上がりの主にその対応。つれないお前も最高に冷静で可愛いらしいよ!」
『どさくさに紛れて尻を撫でるな』
「いてててて!」
聞いていた冽花は思った。
――真的。
胸のなかは『ええ……』という気持ちでいっぱいだった。
優しく聡明で、目端が利いていて、ここぞという時に的確な助言をくれる男、探路こと瑟郎。そんな頼もしい印象が彼にたいしてはあったのだが、まさか。
まさか、抱水が絡むとこんなに残念なヤツになるとは、夢にも思わなかった。
そうこうしている間にも、応接室のまえにたどり着いてしまう。
一体、どんな顔で自分たちを迎えるのだろうと、ある意味、注目する冽花である。
側近の青年が扉をたたいて来訪を告げると、瑟郎の柔らかい声が返る。
扉の向こうには――何事もなかったかのように莞爾と微笑む瑟郎と、その傍らに添い、扇を口元に当てる抱水の姿があった。
「やあ、皆。よく来たね」
そう言って、片手を上げてくる。先ほどのトンチキ騒ぎが嘘のように爽やかな――胡散臭い笑みを浮かべる瑟郎の姿が、そこにはあった。
何気なく膝のうえに置く手の甲が赤い。つねられでもしたのかもしれない。
「お前さあ……」
「なんだい?」
「はあ……いや、相変わらずだなと思ってよォ」
呆れてものも言えない浩然だった。
そうして、冽花。小さく苦笑しつつ何気なく瑟郎を見て、気付いた。
彼は上等な服を身に着けており、腰をおろす傍に杖をかけている。その姿を見た途端、冽花は胸にかすかに隙間風が吹くのを感じた。
そんな自分に違和をおぼえて胸を押さえると、瑟郎はすぐに目を向けてきた。
「没事吧? 冽花。傷がまだ痛むの?」
「ああいや、そういうことじゃないんだ。平気」
「そう」
「アンタの方こそどうなんだ? 探――……あっ、瑟郎」
その顔をみて、咄嗟に出てきた名に驚く。慌てて言い直す冽花に、瑟郎は優しく微笑みかけて頷いた。
「僕も没事。おかげさまで問題ないよ」
「そうか……よかった」
「立ち話もなんだから座ってくれ。積もる話があるからね」
席を勧められ、冽花たちは腰を降ろした。