第59話 抱水と瑟郎の力
「待たせたね、抱水。よく頑張った。……いま、帰ったよ」
その声を聞くに、抱水は顔を上げる。そうして、小さくわななかせる唇を開いた。
『瑟郎……?』
「うん」
のほほんと狐のように細目をほそめて頷く男。
莞爾と微笑ませる頬に『梔子』の花の絵図を滲ませる、范瑟郎の姿がそこにはあった。
後ろに狼とそれにまたがる者を従えており、今しも狼ごと駆けだしていく。浩然のもとへ。浩然は目を見開くなり笑うのだった。
彼らをしり目に瑟郎は一歩、歩みだそうとして――がくり、とその膝が折れた。
「あ」
『なっ……!?』
くずおれかける瑟郎を見るに、抱水はおもわず苦しさも忘れて、這い、いざり寄った。上等な生地で作りこまれた筒袖も膝も汚しながら進んで、両腕をひろげる。
あやまたず瑟郎の身を腕へ収めた。
来たる衝撃を覚悟していた瑟郎は柔らかい感触に気づくなり、眉尻をさげて笑った。
「っ……はは、対不起、抱水。世話をかけたね」
『お前は……っ、ほんにこの楚忽者め……!』
「違いない。これでも回復はした方なんだけどね。……やっぱり僕はお前がいないと立ちゆかないようだ」
「……っ」
この言葉である。この調子の良さである。抱水は歯噛みし閉口する。
そんな抱水になおもからりと笑うなり、瑟郎はもたげた手でその後頭部を撫でた。そうしつつ、その場を見回す。
虎たちは先の水球を警戒して、一時、遠巻きにしてきている。だが、一時しのぎにしかならぬだろう。根本的な対応が必要だ。再び瞳を抱水へと戻す。
「この状況を打開するには、お前の『本当の強さ』を見せてもらうことが必要だよ、抱水。やってくれるね?」
『許可など求めずとも、元よりそのつもりであるだろうが』
「まあね。それに……本当に久しぶりだから。見たくなったんだよ」
後頭部を撫でていた手をするりと滑らせ、抱水の頬へと当てる。静かに微笑み、瑟郎は告げた。その瞳に抱水一体を映し、
「僕の抱水が最強ってことをね。ねえ、見せておくれよ、抱水。君の本当の強さ、価値を。君こそが最高の風水僵尸なんだってことを……魅せてくれ」
甘く柔らかく、不遜に言い募ったのである。
その悠然たる微笑み。自身を信じて――真っすぐに愛してはばからない様子に、抱水は小さく溜息をついた。
扇を口元に寄せつつ、一つ、小さく頷き返す。
『知道、我的主』
そして、抱水は瑟郎の首へと顔を埋めた。牙を突き立て血をすすり始める。瑟郎はその背へと腕をまわし撫でる。そうして、ふと口を開いたのだった。
「冽花、聞こえてるかい?」
「……っぇ? あ、ああ」
突然に水をむけられて、圧倒されていた冽花は目を瞬かせて応じた。
狼の背に乗ってやって来た点といい、どうやら記憶が戻っているらしい点といい。なによりも蟲人としての印が出ている点など、聞きたいことは山ほどあったものの。
混乱が先に立って二の句を紡げずにいる。それを察した様子で、すぐに瑟郎側から口を開いてきた。
「細かいことは全てを終わらせた後で話そう。今は……そう、見ていてほしい」
「え? ……見て?」
「うん。これこそが、本当の風水僵尸の強さなんだということを。そうして、これこそが僕たち契約者と風水僵尸の……一つの在り様なんだということをね。僕たちはね、冽花、二人でならどこまでだって強くなれるんだよ」
ハッとした。そう――冽花がこの福峰に訪れた理由。
賤竜の同胞である抱水の近況を知るのとどうじに、『抱水の契約者』にも会い、話を聞くためであった。賤竜の契約者として、先人に教えを乞いたかったため。
この考えは瑟郎――探路にも話していた事柄であった。片目をつむって瑟郎は笑う。
「安心して見ていてくれ。僕たちはちょっとどころではなく強いからね。魅せられてくれてもいいんだよ?」
折しもちょうど抱水が顔を上げる。唇を舐めて立ちあがる。
そんな抱水を見上げて、瑟郎も告げた。
「基本武装の解禁を許可する。それから……第三段階、『流水光底』を」
『知道』
いつかの貴竜と同じだ。白き炎に巻かれて、抱水は真の姿を見せていく。
陰陽の陽をあらわす白備えに水行の紫の差し色を入れる、武人姿に。
甲衣(部分鎧をつけた衣)の下へ、ゆったりとした長い裾丈の囲裳(腰巻)を身に着け、頭に房飾りのついた冑を被る姿へと変わっていった。
その威風堂々たること。溢れんばかりの力強さといったらない。
なにより見ている冽花が目を奪われたのは、冑のつば越しに覗く『瞳の強さ』だった。
見たことのないほどに、抱水は落ち着いて力強い眼差しをしていた。
くるりと反転するなり、彼は手にした鉄扇を振るう。振るった傍から熾火のごとく鮮やかな白い火が燃えあがった。
炎は抱水の体全体に広がっていく。そして、最後に瑟郎の体にも灯る。
冽花は息を飲んだ。あの炎が灯された時の――強制的に体内の気を乱され、引きずり出される苦しさは知っている。
だが、瑟郎は怯まなかった。奥歯を噛みしめると、一度目を閉じて開いた。
なお笑ってみせたのである。震える両手を地について握りしめ、抱水を見上げた。
おのが風水僵尸の背を見つめて、笑みを深め、高らかに叫んだのだった。
「っ……さあッ、魅せてくれ、抱水! そうして終焉を!」
『是! ――皆の者、伏せよ!』
鋭く声を張ったのちに、抱水は扇を大きく振った。体の前面で円を描くように、勢い、それでいて典雅な動きでもって。
振るわれし扇から、ふわりと炎の欠片が水路へと舞い降りていった。
それが終わりへの始まりだった。
水路の水が波打った。直後に、勢いよく空へとめがけて噴きだしたのである。
ど、ど、どん、と低く腹にこもる音がいくつも近場、遠方より生じた。
見れば、通り向こうはもちろんのこと、おそらく街のあちこちでも、間欠泉のごとくに水が噴き上げられているのである。そうして、その水は付近にいる虎たちに降って、襲いかかり殺到していく。
通りの隅々まで流れては、まるで生きているかのように『虎のみを優先して』押し寄せ、追いかけ、押し流していった。流された果てに仲間たちと合流を果たし、虎たちは一塊に集められることとなる。
そして浮かびあがっていく。虎たちすべてを飲みこんだ巨大な水球が。皆の頭上の空に浮かぶこととなる。
抱水が片腕をもちあげた。ぐっと拳を握りしめるなり、水球が圧縮を開始する。
中の虎たちが一斉に圧し潰され、水球が赤く染まるのは間もなくである。
勝負は決した。あっけないほど容易に。だがそれは、一人の風水僵尸と契約者がもたらしたものであった。
「……す、げえ……」
水が退いた通りの片隅で、濡れ鼠になった冽花は呟いていた。呆然と。
これこそが風水僵尸の力。そして、真に結び合うことができた契約者との力なのかと。雷に打たれたがごとき衝撃を受けていた。
笑いかける瑟郎と、鼻を鳴らしつつもそれに振り返っている抱水とを見つめて、自身の傍らの賤竜を見やった。
好友と言い返してくれた賤竜。おのが伙伴。
なれるだろうか、いつか。自分たちもあんな風に。――いや、なりたい。
遠き道のりではあるだろうものの、胸に新たに秘めた決意と目標。
冽花の視線に気づいて、賤竜が目を向けてくる。淡々とした眼差しに、けれど、気遣わしげな色を見つけて、冽花は「没事」と笑ってみせるのであった。




