第61話 そうして旅は続いていく
「さて。現状を軽く説明しておくと。僕はこうして知府に復帰。対して、署理知府となり権勢を振るっていた彼、懶漢は拘留中だ。これからじっくり絞っていくことになる。冽花たちのおかげで露見した陽零の件、そこから彼の足跡を辿ることになるだろう」
「当の捕まってたアンタがいるのに、調べが必要なのか?」
「そこはそれ、彼もちゃんとした身分のある男だからね。処罰するのにも理由が必要なんだよ。今のところは福峰の法に違反したものがあるから、それを理由に拘留しているが。……なに、心配は要らない。やられっぱなしではいないよ」
小さく笑うと、瑟郎は膝の上で手を組んだ。背を丸めて顎をのせる。その瞳がほの暗く光るのを、確かに冽花は目撃した。
ついで、彼女はふと鼻をくすぐる『芳しい香り』に気づく。窓も開いていないのに柔らかく芳しい風が吹きつけていることを。鼻を鳴らし、なにげなく出所を探る。
出所はすぐに分かった。香りの正体も。おもわず頬を引き攣らせていた。
『薫風の出所』こと瑟郎は、細目を針のごとくすがめて言い放っていた。
「僕にしたことはともかくとして、福峰とその民と、抱水にしたことへの罪は重い。僕は絶対に彼を許すつもりはない。必ずや証拠を突き止めて、そして――」
『瑟郎』
「ん? なんだい、抱水」
『出ているぞ、蟲人の印が』
「えっ」
おもわず目を丸める瑟郎の頬には、しめやかな『梔子の花』の絵図が浮かんでいた。
遅れて目を瞬かせて、彼が見回すと、部屋中に濃厚な香りが立ち込めている。
そうして、芳しい花香のなかで、冽花たちは顔を引き攣らせていたのであった。
皆の気持ちは一致していた。
――怖ぇ!!
これに尽きた。
そんな皆をみるに、頬を押さえて朗らかに瑟郎は笑うのだった。
「あはは。対不起対不起、まだまだ制御が利かないみたいだ。これでも『彼』とは、少しずつ対話はしているんだけどね」
「彼って、アンタの前世のことかい?」
「うん。あの日、ようやく出てきては力を貸してくれた、僕の前世だ。こと抱水のことになると抑えが利かなくなるみたいで」
どっかの誰かみてえだな、と咄嗟に思ったものの、口には出せない冽花であった。前世がらみの複雑な心情は、それこそ一筋縄ではいかないと知っているし、口をつぐんだ。
そうして、すぐに笑みを薄れさせるなり、瑟郎もまた次なる話題へと移っていく。
頬から手をはずし、抱水に瞳をむけた。
「ちょうど『転化』もできたことだし、そろそろ次はアレを見せるとしようか。――抱水」
『是』
「アレ?」
「良いものではないんだけどね。共有しておきたいと思って」
眉をひそめる瑟郎の表情が気になり、冽花がなおも言い募ろうとしたところで、抱水が戻ってきた。手にした底の浅い木箱を卓上へと置く。
「これは?」
「僕の首輪だよ」
「えっ」
言うなり、瑟郎は無造作に箱の蓋を開けた。中には赤錆色の屑の小山が入っていた。
ひと目見るなり、冽花は息を飲んでいた。
「これって……!」
「そう。あの蟲獣もどきの獣たちの末路に似ているだろう? 没事、『ちゃんと死んでる』。保証もできる。僕の耳は、今は特別製だから」
自身の耳をつまんでみせてから、瑟郎は膝のうえで手を組み直す。
「『彼』と合一できたのが功を奏したみたいだ。以前に妹妹に『転化する時には気の流れが盛んになる』ってことを聞いてもいたから。大変だったけれど、頭のなかにいるもの達の反応を聞きながら追いだしたんだよ。そうしたら」
「こうなった……ってことか」
今更ながらに聞いた、瑟郎の身に生じていた恐ろしい事象に、開いた口が塞がらない冽花であった。おののきつつも意図して言葉を押しだす。
難しい顔つきをしながら瑟郎も頷き返した。
「まさに『頭のない蛇が幾条も絡み合ったようなもの』だったよ。悶え苦しみながら粉になっていった」
そうして目をすがめて、彼は組んでいる手の指先が白くなるほどにまで握りしめた。
「僕はね、冽花。この二つが似通っていることが偶然とは思えないんだよ」
その言葉に冽花は再び息を飲んだ。瞬きを重ねて、口を開け閉めして……呻くようにし、ようやく言葉を紡いだ。
「アンタに首輪を着けて、あの虎モドキらをけしかけたヤツがいるってこと?」
「確証はないけれど僕はそう思ってる。得体のしれない奴だよ。人間業じゃない、し……抱水の契約者たる僕の自由を封じて、さらに福峰を壊滅に追いこもうとした。あきらかに危険人物であるのは確かだ」
そうして、瑟郎は冽花へとひたりと目を向けた。
その顔につねの笑みはなく。真剣そのものだった。
「同じ契約者として警告するよ、冽花。誰か僕たち契約者と風水僵尸に対し、悪意を持つ輩がいるのだと。そして、そいつはこれから、否応なく関わってくる可能性がある。なぜなら君は、まさに契約者と風水僵尸に会うため旅を続けるわけだからね」
ごくり、と自分の喉が、唾を飲む音を聞いた。
冽花は背筋が冷たくなっていくのを感じていた。まるで、あの赤錆色の獣を初めて見た時のような感覚に陥る。わななく唇を開くものの、舌が凍りついたように動かなかった。
今までがむしゃらにやって来たけれど。あの獣相手でも戦いに応じたけれども。
それでも彼女は十七歳の――陰気の火が使えたり、多少身のこなしが軽く、腕っぷしは強いものの。女、なのであった。
とくにあの獣の脅威はいまだに心に影を落としている。後から震えがくるほど恐ろしかった。人知を超えるものとの戦いは確実に彼女の心を蝕んでいた。
冽花はあえぐ。瑟郎が見ている。せっかく、同じ契約者として忠告をくれた仲間が見ているというのに。その瞳から逃げるように項垂れてしまう。
ダメだ。何か言わないと。でも。何を。でも……言わないと、あたしは。
『冽花』
傍らで衣擦れが生まれて、低く淡々とした声が耳朶を打った。
『案ずるな』
「っ」
その一言で我に返った。
弾かれたように賤竜を見やる。彼は目を細めて、気遣わしげな表情をしていた。
その顔をみて思い出した。あの時――倒れた自分の傍らに来た時も、同じような表情をしていた。そうして彼はあの虎の脅威を前にし、冽花をかばい立ちはだかったのである。
『案ずるな、冽花。お前を、必ず守ってみせる』、そう告げて。
……そうじゃない。そうじゃないんだ。アンタを失っちゃ意味がない。
――しっかりしないと。
冽花は勢いよく自分の頬を両手でたたいた。あがる小気味よい音に男性陣は身じろぎ、驚いていた。
そうして赤くした頬のかわりに、目に強い光を宿しなおした冽花は顔を上げる。
意図して唇の端を持ち上げてみせた。
「分かったよ、瑟郎。気をつける。でも……賤竜があたしを守ってくれるのと同じように、あたしも賤竜を守らなきゃだからさ。そんなヤツにビビってる暇なんかありゃしないよ。『気を付けつつも、今まで通りに突っ込んでく』から」
な、と賤竜へと顔をむけると、賤竜は目を瞬かせていた。言われた言葉の意味がピンと来ていない模様であった。
だが、それでいいのである。瑟郎には伝わるに違いない。
瑟郎に顔をもどすと、彼もまた瞬きを落とした後に目を細めてきた。一つ頷き返した。
「さすが。それでこそ冽花だね」
「んふ。だろ?」
「うん。安心した。これで心置きなく、君たちを見送ることができる」
その言葉にまた冽花は、胸にかすかな隙間風が吹くのを感じた。
けれど、今度はその意味を正しく知って、なおも小さく笑い返した。
「うん。世話になったな」
「こちらこそ」
「おい、俺のこと忘れてんじゃねえのか?」
「忘れてねえよ、浩然。アンタにも……すげえ世話になった」
それまで黙って話を聞いていた浩然が、口を尖らせて告げてくるのにも笑って応じる。
そう、彼にも世話になった。初めて会った時、賤竜と離れ離れになった時。その救出にむかう時に――あの虎たちと戦う時もふくめて。
本当に世話になった。彼が隣にいてくれたからこそ、冽花は勇気を振り絞れたのだ。
自身が望むことをおこなうことができた。
「多謝、二人とも」
心の底から礼をのべて、拱手しつつ頭をさげる。
そんな冽花へと二人もまた拱手で応じるのであった。
そうして――ここで瑟郎はふと傍らの抱水を見るなり、そっとその背へ手を添えた。
「ほら、抱水。君も冽花に言いたいことがあるんだろう?」
「えっ」
てっきり瑟郎の補助としているものだとばかり考えていた冽花。寝耳に水の話運びに、おもわずと穴のあくほどに抱水を見つめてしまう。
そんな冽花の反応に、抱水は口元で扇を隠しながら半眼をむける。
『何か可笑しいか? 賤竜の契約者よ。私もまた当事者の――』
「抱水。彼女は冽花だ。それに素直になりなさい、最後なのだから」
今度は瑟郎が窘める側だった。柔らかく微笑む彼を見るなり、抱水は渋い顔つきをする。深い溜息をついた。瞳を逸らしつつ、小声で呟きだしたのであった。
『…………悪かったと思うている』
「え?」
『っ……すまなかったと思うていると! そう告げているのだ!! こちらの側にも事情があったとはいえ……辛い思いをさせた』
勢いあまって声あらげた後に、落ち着かなげに瞳をうろつかせる。そんな抱水を見て、呆気にとられる冽花であったが……次第に笑いがこみ上げてきた。
だって、あの抱水がである。殊勝にも自分に謝ってきているのだから!!
ついつい腹をかかえて笑いだしてしまう。
「っく……あっはっはっは!!」
『っぬ。わ、笑うな! ジェ――』
「抱水」
『……っ、笑うでない、冽……花……ッ』
「~~……っく。だってよォ、ンな……可笑しいことったらありゃしねえだろう」
終いには涙すら滲んでくるのを拭い、憤懣やるかたないといった抱水を見やる。その様子を見るにつけて、胸がスッとしたしホッとした。
この姿もまた、抱水のあるべき姿に違いないからである。
だからこそ、笑みまじりに応じた。
「いいよ。あの園林で借りは返してるし。なにより、お前にやられたことで……あたしは、大事なことに気づくことができたから」
そう言って賤竜を見やる。賤竜もまた冽花を見返すなり、そっと目を細めてみせたので、抱水は合点が入った顔つきをしたのだった。扇で口元を隠し、瞳を逸らす。
『……そうか』
「そうだよ。だから気にすんな」
『気にしてなどいない』
「ふふ。なら問題ねえな」
「二人が仲直りしてくれてよかった」
莞爾と微笑む瑟郎の言葉に、何とはなしにその身を肘で小突く抱水である。いたた、とわざとらしく撫でさする瑟郎から、抱水は鼻を鳴らしそっぽを向いてみせていた。
これこそが福峰主従の在るべき姿なのであった。
冽花はすっかりと心和んで、おのずと唇に深い笑みを刻んでいた。そんな彼女へと皆がすぐに声をかけてきた。
「達者で暮らせよ」
「うん」
「今回の礼も含めて、多少は包ませてもらおうと考えているよ。路銀の足しにしてくれたなら嬉しい」
「あ、謝謝、瑟郎」
「いいってこと。それから、何か分かり次第、いつでも手紙を送るからね。君からも何かあれば、いつでも遠慮なく手紙をおくれ。……抱水、塒の場を記した紙の用意を」
『是』
「アンタら、城抜けだす以外に隠れ家まで持ってんの!?」
和気あいあいと惜しむように最後の時を過ごしていく。
その場にいる皆が柔らかい笑顔であり、温かい時間であった。
冽花はこの時を忘れぬに違いない。賤竜と出会い、陽零で驚くべき企みに出遭い、探路――瑟郎と出会い。笑いあい、時には泣いて。話をして。そうして福峰では抱水と出会い、浩然とも出会い、ともに戦い。
赤錆色の獣の襲撃におののいては、仲間とともに戦った。
そうして垣間見た、風水僵尸と契約者の絆を忘れはしない。
賤竜を見やる。彼もまた冽花の穏やかな表情を見てか、目を細めていた。
彼とともに過ごしていく。これからも。そうして――いずれは望みを果たすのだ。
冽花と賤竜の旅は、まだまだ始まったばかりだった。




